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感覚のわずかなズレ、介入効果の感じにくさ、援助者への依存などについての雑感

精神科に連れてこられる子の父母と話すと、優先順位のズレを感じることがある。

たとえば、子どもが奇妙な言動をとり、叫び、自傷し、父母は夜も眠れないほど悩んでいる。ところが、「心配な状況なので、児童思春期専門の病院に入院を検討しましょう」と促すと困り顔になる。理由を問うと、

「学校が……」(あるいは塾や習いごと、家族旅行など)

こういうバランス感覚のズレは、きっと日常生活のいたる所に影響していて、それがまたその子の家庭生活上の苦しさの一因になっているのだろうな、と感じる。

傾聴や動機づけ、言い回しの工夫、その他あの手この手で工夫しても、精神・心理関係の本に紹介される成功事例のようにはいかない。

なんでもそうだが、大きなズレは自他ともに発見しやすく、介入による修正効果も見えやすい。ズレ度100が70になれば30も変化している。これに対して、かすかなズレは気づかれにくく、介入効果も分かりにくい。ズレ度10が7になっても、3しか変化していないのだ。

変化の度合いはともに30%だが、介入するほうも、されるほうも、100から70に変化するほうが充実感や満足度が高い。一方で、10が7になる介入は、両者にとって無意味に感じられ、モチベーションを維持しにくい。ここで踏ん張って関係を途切れさせない援助者が、良い援助者なのだと思う。

しかし、援助を受ける側として難しいのは、「無意味に感じるけれど関係は切れない援助者」が良い援助者とは限らないこと。というのも、状況の改善とは関係なく「自分に依存させるのが上手な援助者」がいるから。

とはいえ、「援助者への依存」が絶対ダメかというと、そうとも言いきれず、状況によっては、援助者への依存だけが蜘蛛の糸のような命綱となり、おかげで死なずに済んだ、ということもあるかもしれない。

なんともややこしく、難しい話……。

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