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許されるまで謝り続けるべき?

斎藤環先生の『自傷的自己愛』の中に、親が子どもを傷つけ、成長した子どもからそのことを責められる、という話があった。
親から相談を受けた斎藤先生は「許されるまで謝り続けるしかない」と書いていた(Audibleなので正確性に欠ける)が、「許されるまで謝り続ける」ことは、傷つけられた側にとっての癒しになるのだろうか?

いや、ならない。

「許されるまで謝り続ける」とは、謝られる側にとっては、繰り返し「許し」を求められるということだ。
許すかどうか決めるのは謝罪される側の権利である。
そして、謝罪の繰り返しは、その権利を強引に奪い取ろうとする行為だ。それがどんなにストレスフルなことか、繰り返し謝る側は気づかない。

許されるまで謝り続けるのは、「許されていない状態」が居心地悪いからだ。その居心地悪さに耐えられないから、早く許して欲しくて、許されるまで謝る。
そんなのは自分本位の極致だ。

そういう自己中な人たちだから、たとえ許されるまで謝ったとしても、また同じ過ちを繰り返してしまう。

本気で悪いと思っているのなら、謝ったあとの「許されていない状態」に耐えなければならない。

それこそが、謝罪だ。


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