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#猫を棄てる感想文 父との思い出

『猫を棄てる 父親について語るとき』を読んだ。
読む前から、きっと父親について思い出すことになるだろうなと思っていた。そして、実際そうだった。父は生きていればもう70を過ぎている。
時が経つのは早いものだ。

私は父と足かけ6年ほど、二人で暮らしていた。
きっかけは同居していた母方の祖母の認知症が進んだことで、元々プライドが高い者同士折り合いが悪かった祖母と父の関係は年々悪化し、ある日「今すぐ出ていけ!」となったのだった。でも、昭和の九州男児で家事などしたことのない父が一人暮らしなどできるわけがなく、娘と二人なら何とかなると思ったらしい。しかも、父と母は離婚したことにして、私はそのまま実家にいる体だった。つまり、偽装離婚である。月に1回ぐらい実家に帰り、いやー、忙しくて~と言い訳していたけれど、本当にばれていなかったのかどうかは永遠に謎。

ある日、帰宅すると、父の本棚の中身がごっそり捨てられていた。私は「はぁ? なんの権利があって人の本を棄てたのよ?」と詰め寄った。というか、泣きわめいた。が、廃品回収車はすでに回収した後だった。多分それが決定打となり、私と父は家を出ることになった。あのまま実家にいたら、私は祖母を偶然に見せかけ階段から突き落としたり、食事に何か混ぜたりしかねなかった。何よりも許せなかったのは、祖母が父の人格を否定するようなことを孫に向かって言ってきたことだ。病気なので仕方ないと受け入れるしかないのだけれど、呆けても人の悪口を言うような人間にはならないようにしようと思った。

父の当時の本棚の記憶は、断片的ではあるが私の記憶の中にあり、ローレンス・ブロックやエルモア・レナード、大沢在昌の新宿鮫シリーズ。ドナルド E ウェストレイクのドートマンダーシリーズ。ガルシア=マルケス。ポール・ディビス、金子国義。あとなぜかDr.スランプ。失った本棚に私は今でも執着している。

そういうわけで始まった父との暮らしはなかなか楽しかった。駅から徒歩5分、築30年、線路沿いにある家賃6万円のアパートで、家事能力ほぼゼロの父と娘の暮らしである。クーラーもなく(なぜ買わなかったんだろう…)夏は二人ともタンクトップとショートパンツで過ごしシャワーばかり浴びていた。冬は冬で、バランス釜の追い炊きをしたまま寝落ちして、風呂のお湯が半分ぐらいになっていて慌てたりしていた。

よく覚えているのは、部活の試合を観戦しに横浜スタジアムまで来てくれたこと、父が出張で不在の間に泊まりに来た彼氏への伝言メモが発見され「これはどういうことですか」と淡々と諭されたことや、父の仕事についてインタビューしたこと、就職先を決めたときに、知らない社名に心配したようだったが、最終的には「あなたが選んだ会社なのだから」と背中を押してくれたこと。

就職を機に引越しをしたり、祖母が亡くなった後も二人暮らしは続いていた。お互い干渉しないし適度な話し相手にもなるのが気楽だったのだろうと思う。ある日、フラれた八つ当たりで同居の解消を告げるまでは。本当に悪いことをした。

それからほどなくして、父は癌になった。このあたりの時系列は曖昧なのだが、私が一人暮らしをしたのはせいぜい半年ぐらいの短い時間で、その間に妊娠・結婚・出産とライフイベントを立て続けに経験し、飼っていた犬が死んだ。祖母が亡くなった時は泣けなかったけど、飼い犬が死んだことにはわんわん泣いた。

まだ子どもが生まれる前、祖父のお葬式で集まった時に、父は酔っぱらって親戚一同の前で「孫が生まれるんですよ」と告げた。少しテンションが高かった。当時、お葬式とはおよそ場違いなセリフだなと思っていたけれど、今になって思えば父(と兄弟)にとっては父親を亡くした悲しみを新しい命の始まりで和らげるつもりだったのだなと思う。そしてめちゃくちゃ喜んでいた。

父は理系の大学を出た後、PCメーカーでシステムエンジニアとして働いていた。まだコンピュータが伸び盛りだった頃、バブルが弾ける前だ。帰宅は午前様で母は専業主婦でワンオペで、私だったら耐えられないけれど、当時はそれが当たり前だった。人見知りで寡黙だけど、酔っぱらうと饒舌になる父。普段何の口出しもしないのに、教育方針なんかは父が決めているようだった。例えばピアノを辞めたいといえば「一度始めた習い事は10年は続けなさい」とか、バイトしたいと言えば「高校生のバイトで許可できるのはマックと郵便局だけだ」とか。

全然違う性格だけど、父か母か選べ、と言われたら私は断然父が好きだった。今でも時々目の前にやってくる。例えば緑道を散歩している時(それも大抵上り坂をのぼっている時だ)潮干狩りしている最中とか、映画を観終わった後とか。

私には戦争経験はないけれど(今のコロナ下の心理状態は後々戦争体験として語られることになるのかもしれない。また、3.11や9.11の記憶は色濃くある)かといって、祖父母に戦争体験について詳しく聞くこともなかった。聞いたところで、特に話したい記憶でもなさそうだったから。

それでいいのだと思う。小学生の子どもは休校が続いているけれど、全然気にしている素振りもなく、ひとり楽しげに日々を過ごしている。
大人になった時、何を記憶しているんだろうか。でも、私自身は他人が「え?そんなこと?」ということ、言った方は言った記憶すらないようなことを拠り所にして生きているようなところがある。

『猫を棄てる』を読んで、そんなことを思った。


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