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【杜のラボ】読書における「忘れる」ことの効用について。

こんにちは。4月9日(土)04:28です。週末ですね。一週間お疲れさまでした。

今回は、少し「煽り」を含んだ文章を書こうと思います。一般的に言って、本を読む人は、「身につかない」「記憶できない」ことを恐れすぎなんじゃないか。そもそも、人の頭は「忘れる」ようにできているんじゃないか。そんなことを書こうと思っています。よろしくお願いします。

著名な精神科医の方が、「読んだら忘れない」ことを売り文句にした読書術の本を出されています。ぼくはこの本を読んで、この方を「信頼しない」、少なくとも「信頼したくない」と決めました。それは、記憶法そのものの記述と言うよりかは、「◯◯については、別の著作をご覧ください」のオンパレードで目立ったからなんですが、まあ、かなり売れた本だったのではないでしょうか。でもぼくは、「忘れることを恐れてたり嫌がってたりしてたら、本なんか読めないですよね」と言いたいんです。このタイトルのような本が、一定数売れる、ニーズがあるということは、「本を読んだら『確実に』身につけて、『忘れない』ようにしないといけない」という風潮があるんではないかと思っています。ここでも、「効率」がのさばっていますね。いかんいかん。

でもですよ、忘れてもいいんじゃないですかね。忘れたら、もいっぺん読めばいいんじゃないでしょうか。そう考えます(もちろん、本の目的や、読書の内容によりけりですが)。

よく、読書を「食事」に例えることがあると思います。これは全くその通りで、例えば本については「早く」「たくさん」読むことが奨励されるようですが、食事を「早く」「たくさん」することは、決して奨励されません。本も食事と同じように、必要な時に、食べたいものを、必要な量だけ摂ればいいのではないかと考えます。くどいようですが、「全て」の場合の読書について言っているわけではありませんので、お含みおきください。

要は、読書も食事と同様に、「必要」だからするものなんだと思っているということです。しかも、読書を食事に例えることのいいところは、他にもあります。

①食事と同様に、「おいしく」「楽しく」読書することが望ましい。
②食事と同様に、読書は「食いだめ」できない。日々必要なものを、必要な量だけ摂取するものであること。
③食事と同様に、新しく「食べる」ためには「排泄」も必要であること。
④食事と同様に、「保存食」もあれば「鮮度」が命のものもあること。

といったところでしょうかね。一回読んだだけで内容を確実に覚えないといけないと思い込むということは、一回の食事だけで、あとは食べないでいいと考えるのに似ているのではないでしょうか。なので、読んだ内容について忘れてしまうことを恐れる必要はなくて、むしろ忘れることには、積極的な意義さえも見出だせるのではなかろうかというのが、ぼくの考えです。

そこで今回は、「忘れる」効用を2種類提起しようかなと思います。1つは、「忘れる」ことによる記憶の淘汰、つまり、自分にとって重要であるかどうかを自然に選別するフィルター的な効果があるということ、もう1つが「再読」の楽しみを生むということです。

①忘却によるフィルター的効果

そもそも「忘れる」とは、自分にとって重要である/そうでもないことの「選別」ではないでしょうか。人間の脳は、起こったことを全て記憶していると、キャパシティーを超えてしまうのだそうです。そこで「忘れる」。不要らしいことを消去すると聞いたことがあります。中には、忘れた方がいいことや、忘れないといけないこともあるでしょう。そうした淘汰圧(って、使い方合ってますか?)が働くことで、記憶しておかないといけないことが選別されるのだそうです。記憶がいわば、洗練されるわけです。もちろん、復習するなどして記憶を強化するのもありだと思います。「忘れる」ことには、そうしたフィルター的な意味合いがあるということが、まず1つめです。

②忘れることが「再読の楽しみ」を生む

2点めは、もう少し積極的な意味合いがあると思います。とは言え、「こじつけ」に思われてしまうかもしれません。要は、ぼくは読書の楽しみの1つは「再読」にあると考えているということです。

再読にあたっては、前に読んでいた時の記憶を、一旦は忘れている方が、その楽しみは大きいと思うのです。前にぼくは、読書とは「著者との対話」に参加することだと書いたことがあります( → 【杜のラボ】「本を読む」ということは。)。

再読は、言ってみれば①著者と②当初読んだ、読者である自分と、③今現在読みつつある自分との、3者間での対話となるのではないでしょうか。③の「今現在読みつつある自分」は、②の「当初読んだ自分」を思い返しつつ読むのではないかと思うのです。②の自分の読みの正しさとおかしさを味わいつつ読む。何となれば、②と③の間での変化や成長に思いを馳せる。そんなことが可能なんではないかと思うのです。そのためには、一定程度「忘れる」ことも必要なのだろうと思います。

なので、敢えてぼくは「読書を1回だけで済ますなんて、もったいない!」と訴え、再読するのをオススメしようと考えるのです。なお、「再読」については、また稿を改めて言及したいと思っていますので、よろしくお願いいたします。

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今回はここまでといたします。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!


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