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【新企画】読書会は世界を変えていく①

こんにちは。

5月31日(水)のnoteで、ぼくは「『読書会を文化に!』事務局」を開設するという記事を書いてみました。

ここでは、今までの諸活動を、より高い次元で統括したいとの気持ちも込めて、「この社会には読書会が必要だ」ということを書いてみたつもりです(え? 書いてないって?? じゃあ、これから書きます)。

このnoteを「新企画」の①と題しているのは、これから先、何回かに分けて「読書会が定着していくと、世の中は変わっていく(かもしれない)」ということを書いていきたいと考えているからです。しばらくの間、おつき合いくださいますと幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

ぼくはネットを積極的に使うようになったのは、2009年にTwitterを始めたことがきっかけだったと思っています。それ以前にも、ニフティのココログを2001年に書いていた記憶があるのですが、Skypeなどを使ったリアルタイムでのコミュニケーションを利用するようになったのは、おそらくTwitter「以後」だったと思います。

その頃、ぼくは既に精神疾患(当初うつ病と診断された後、双極性障害と診断が変更)を患っていました。今でこそ、読書会を主催する程度には回復してきているのですが、一時期は全く本は読めませんでした。

幸い、本は読めるようになり、人様ともコミュニケーションが取れるようになりました。その当時は「朝活」が流行していたのです。読書会はそのバリエーションとして、「静かなブーム」としてビジネス誌等でも取り上げられていました。

ぼくはほとんど、ビジネス的な観点からは本を読むことができません。しかし、この読書会「ブーム」には関心を持ちました。というのも、学部生の終了間際に後輩たちと勉強会をもっていたからです。その時の感触が残っていたというわけです。

今でこそZoom等のオンラインツールを使った「オンライン読書会」は「当たり前」のものとして開催されていますが、これは言うまでもなく、コロナ禍の影響によって、対面での開催ができにくくなったためでした。しかし、ぼくはそのコロナ禍に先立って、震災後数年のころからさまざまなインターネットツール(Skype、Twitter、読書メーター等)を利用しての「読書会」を試みてきました。それはもちろん、病を得ていたり、財政的理由で外に出かけにくいという理由もありましたが、読書会と「オンライン」とは親和性があるとの直観があったからでもあります。

こうしてぼくは、この2~3年だけでも、290回にはなろうとする読書会を重ねてまいりました。そこで得た感触についてこれから順次語っていこうと思いますが、一旦「筆を休め」て、稿を改めることとしたいと思います。最後までお読みくださり、ありがとうございました。それではまた!



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