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【#しおりを挟む】Ep.1:若松英輔『本を読めなくなった人のための読書論』②

〇〇さんへ。

先日投函した分はお読みくださったでしょうか。今日は、第2信をご用意いたしました。11月13日に(Zoomで)お会いできますこと、楽しみにしています。

さて今回は、若松さんのご本を読んで、感じ入ったことを1、2書いてみたいと考えています。13日に、再度お話しするかもしれませんし、ご質問をいただくことになるかもしれません。その点、お含みおきください。

若松さんのご本は、これ(=以下、『読めなくなった~』と記載)を含めて10冊は読んでいると思います。ですので、厳密には、この本に書いてあったこと「だけ」を書き連ねることができそうにありません。そのこともお断りしておきますね。

この『読めなくなった~』で言っていることで重要なのは、「本を読めないのは、別に悪いことではない」ので、恥じ入ったり、罪悪感を持つ必要はないだろうということでした。音楽や料理、スポーツなど、人生を充実させ得ることは、読書だけではなく、他にもたくさんあるし、それができていればよいだろうということでした。

また、本を「読めない」あるいは「読まない」のには、少なからず「理由」があることなので、敢えて読もうとすることはないということです。むしろ、読めるのを「待つ」姿勢が大事と書かれていました。また、考えてみるといいかもしれないのは、「読みたいと思っているけれども、読めない」場合なんではないかと思いました。もし、あなたが本を「読みたい」(読まないといけないだろうな、ということではなくて)と思っているのに「読めない」のであれば、理由を考えてもいいのではないかと、ぼくは思います(若松さんがそう書いてあったか、思い出せません)。ただ、こんなことは書いてありました。

本が読めないときには無理して読まなくてもよいのです。ただ、読みたいのに読めないのであれば、読めるようになるのは悪いことではありません。

『本を読めなくなった人のための読書論』19ページ

あれ? 同じこと書かれてたか・・・。

ですので、この手紙では、「あなた」が本は読みたいと思っているけれど、どうにも読めなくて悩んでいるという想定の元に書き進めていきたいと考えます。

また、この手紙は、若松さんのご本から「勝手に」受けた触発を元に書くこととします。必ずしも、内容の紹介ではないことをご了承くださいますようお願いいたします。

前の手紙で、ぼくは「読書は『世界』との関係のレッスン」であると述べておいたつもりです。ここでの「世界」とは、「あなた」以外の、およそ全てのものごととでも理解しておいていただければと思います。細かいことを言うと、「あなた」の中にも「世界」が、「他者」としても広がっているのでややこしいのですが・・・。

それはともかくとして・・・、読書とは、基本的には「いいもの」だと、ぼくは思っています。読書を、世界との「関係のレッスン」と呼んでいるのは、それが小説であれ、歴史や社会についての著述であれ、「あなた」が「わたし」として、どう世界に相対し得るのかを考え、時に支え、更新することを促す契機となり得るからです。別の言い方をすると、

読書することで、新しい「世界」が開けて(拓けて)くる

のだと、ぼくは思っているんです。繰り返しますが、それはひとり読書という行いの専売特許ではありません。読書「でなくても」いいと思います。しかしながら、少なくとも「可能性」としてでも、そうしたことが読書にはあることを、知っておいてもいい。そして、取り組んでみるのもいいのだと思っています。

思いがけず、長文になってしまいました。すいません。あと1信で、「完結」できるようにがんばります(笑) つまり、今回はここまでということです。

こちらは早くも、最低気温が10℃を切ったと聞きます。風邪などひかないよう、お互いに注意しましょうね。最後までおつき合いくださり、本当にありがとうございました。では、また近日中に。


今回の「手紙」としてのnoteは、ここまでとします。お読みくださり、ありがとうございました。なお、11月13日(日)15時を予定しているZoomの収録について、若干名の追加募集をいたしたいと存じます。お問い合わせは、下掲のリンクからなさってください。



最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。ときどき課金設定をしていることがあります。ご検討ください。もし気に入っていただけたら、コメントやサポートをしていただけると喜びます。今後ともよろしくお願い申し上げます。