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2021.10.29(金)せろり



あ。そういえば。昨日28日で岡山に引っ越してきて丁度一年だな、と今日思い出した。去年の今頃ここまで寒かっただろうか。

なんだか最近ずっと頭にモヤがかかっているというか、考えることを自然と放棄してしまっている感じで。読書も文字の表面を目が滑っているだけで、内容が頭に入ってこないことがずっと続いていた。我ながら本を読むスピードは速いと思っていたが、最近はちっともページが進んでいなかった。
しかし今朝は調子が良く「東京會舘とわたし 下」の「第八章 あの日の一夜に寄せて」「第九章 煉瓦の壁を背に」の二章を流れに乗って読了し、少し遠回りをした家族愛に暖かい気持ちになった。
第八章での、主人公文佳と真鍮の柱を一生懸命に磨く”玄関係”の青年とのやりとりが、人間の見落としがちな一面を凝縮しているように感じて良かった。それはとてもシンプルなことだった。

「真鍮ではなくて違う素材だったらよかったのにね」
光子が言うと、彼が微笑んだ。晴れた朝に透き通るような、とてもいい笑顔だった。
「いいえ。真鍮であることには意味があります」
「まあ」
光子が首を傾げる。
「意味?どんな?」
「磨きなさい、ということだと思います」
(辻村深月「東京會舘とわたし」毎日新聞出版 p172)

これは、2011.3.11の東日本大震災の翌日の話だ。そういえば以前、震災後は書店が混み合ったと何かで読んだ。田口幹人「まちの本屋」だったかな。非日常の中で人々は一生懸命日常を求める。
真鍮の柱を毎日磨くことは「綺麗にする」という面だけでの「磨きなさい」ではなく、ルーティーンこそが人を支えるという意味もあるのかとも思った。

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