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ご報告・28歳、潰瘍性大腸炎になって見えた世界 『食べることと出すこと』(頭木弘樹)(前編)

こんにちは、BOOK CLUBのミウラです。
今回紹介したのは、「潰瘍性大腸炎」患者である頭木さんの闘病エッセー。

Podcast・BOOK CLUB、今回の配信はこちらから。

収録中でお話ししたように、私、ミウラは1月に「潰瘍性大腸炎」の診断を受けました。
発症してから療養に入ってからの症状が重く、そこからなかなか更新ボタンが押せず、1ヶ月経ってしまいました。
更新を楽しみにしてくださった皆様、申し訳ありませんでした。

患者の話を知りたい

今回の記事では、私の近況報告も兼ねまして、どういう経過だったか思い出せる限り、書いておこうと思います。
「潰瘍性大腸炎」は、日本では、安倍元首相や陸上の桐生選手などが発症したことを公表しており、かなり知られている難病のひとつ。
といっても、難病は難病。
調べてもなかなか情報は出てきません。
けど不安は不安ですので、調べはするのですが、似たような説明ばかり。

「一患者の体験談でいいから、知りたい」と私は思いました。
この本を手に取った理由もそれが一つ。
20代で発病した頭木さんの現在に至る経験が細かく描かれています。
なので、どこかでどなたかに役立つように、私の体験も、こちらの記事に残しておきます。

鳥取と東京を股にかけた闘病期(スタート編)。
7000字の超大作、ご容赦ください。(長すぎる)

<プロフィール>ミウラ
1995年東京生まれ。2020年から鳥取で英語の先生。Podcast・Book Club運営中。2023年1月に潰瘍性大腸炎を発症。



そもそも潰瘍性大腸炎って?

潰瘍性大腸炎は、国の難病指定の病のひとつ。

難病情報センターによると

大腸及び小腸の粘膜に慢性の 炎症 または潰瘍をひきおこす原因不明の疾患の総称を 炎症性 腸疾患(Inflammatory Bowel Disease:IBD)といい、狭義にはクローン病と潰瘍性大腸炎に分類されます。
潰瘍性大腸炎は大腸の粘膜(最も内側の層)にびらんや潰瘍ができる大腸の 炎症性疾患 です。特徴的な症状としては、血便を伴うまたは伴わない下痢とよく起こる腹痛です。病変は直腸から連続的に、そして上行性(口側)に広がる性質があり、最大で直腸から結腸全体に拡がります。

難病情報センター https://www.nanbyou.or.jp/entry/62

という病気で、下痢や血便、腹痛などが主な症状になります。

166,060人(平成25年末)ほどの患者数がおり、さまざまなWebサイトで詳しくわかりやすく情報がまとめられています。
もし、医療的に詳しい情報を得たい方や、レシピなどを見たい方は、こんなサイトを見るとわかりやすいでしょう。

で、書き始めて気づいたのですが、この病気って、下痢の病気なんです。
あんまり綺麗な話じゃないです。
正直28歳女性が克明に自分の胃腸の話を書いておくのは、気が引けるのですが、お許しください。
加えて医療関係者でもない患者の体験記にすぎませんので、何か体調に問題があれば、まずは病院に行ってください!お願いします!

読んでられないよという方は、下のリンクから、Podcastの配信をお聞きくださいね。
(2月頭時点なので軽症の段階で話しています。)

2022年11月、今思えば…

2022年は色々と新しいチャレンジもあったり、任されることも増えて、忙しい1年でした。
おかげで仕事はいろいろ大変ではありましたが、毎日頑張って過ごしていました。
と、よくよく思えば、この頃から朝トイレに駆け込むことも多くなりました。
ストレス?季節の変わり目だから?
もしかしたら、この頃からおかしかったかもしれないのですが、その時は気にするほどでもなく、色々なものを食べて飲んで暮らしていました。

12月、胃腸炎になったか疑い出す

病院に行ったきっかけ

12月に入り、明らかに下痢が増えて、「胃腸炎かな?」と思うような症状が出始めます。
ひとまず薬をもらおうと仕事を早退して、病院に行きますが、下痢が長く続いていることから、その時は過敏性腸症候群か、胃腸炎か何かか、といった感じで整腸剤をもらいます。
1週間ほど休んだり、仕事もしながら様子を見ましたが、よくなる気配はありません。

新たな症状

クリスマスシーズンな東京での結婚式

その週末は、友達の結婚式で東京に帰っていました。
晴れの舞台、豪勢な料理を食べながら、本当はもっと楽しみたいけれど、体調も考えて二次会にも行けず。

トイレに行くと便が赤っぽくなっていることに気づきます。いわゆる血便です。
思わず、鳥取に帰る日の夜、母親に「なんでこんな状態で働きに戻らなきゃいけないんだ」と発狂して号泣。
のちに、まだ実家暮らしの弟に「あれは聞こえちゃまずいやつかと思って、気づかないふりした」と告白されました。

ここら辺で、Google先生に聞くと出てくる病名は「潰瘍性大腸炎」になりました。
さすがに不安も高まり、症状も落ち着かないので、鳥取に戻ったその日も仕事を早退して病院に駆け込みました。

潰瘍性大腸炎の可能性があります。大きな病院で内視鏡検査してもらってください。紹介状を書きます。」

予想通りだけども、予想通りでない展開。
どうも大事になっているぞと気づき始める。

が、問題は、その頃には年末年始の時期になってしまっていたこと。
実家に帰る飛行機もとっているし、休みは色々(楽しい)予定があるし、何より年末の仕事は休みたくない。
とりあえず大量の整腸剤をもらって帰省します。

1月、病院通いスタート

内視鏡検査へ

1月4日、朝一の飛行機で、帰鳥。(鳥取に帰ることをこう言います。)
そのまま、病院に紹介状を持って駆け込みました。
そして、翌週、内視鏡検査を受けることになります。
1月12日。奇しくも28歳の誕生日前日でした。
大腸の内視鏡検査の前には下剤を飲まなければならなず、数日前から消化にいいものしか食べてはいけません。
それでも下剤で大腸内を綺麗にするのには午前中丸々使うことになります。
梅ジュースのような薬と水を飲み続けること3時間…。

下剤のインパクト!

そんな検査をする若者は私くらいですので、周りの患者さんからは生あたたかい視線が…。
検査は、お世辞にも楽とは言えず、新しい身体感覚で、思わず「痛い」と連呼してしまいました。

検査の直後には、そのまま診察台の横で、

潰瘍性大腸炎で間違いないでしょう

と診断。
画像になった自分の大腸を見ると、急に現実感が迫ってきました。
段階としては、トイレに行く回数は1日2,3回程度で軽症のものの、左側大腸炎型で、炎症が大腸の左半分に広がっている段階。
そこまでは、どこかで違う可能性もあるだろうと思っていたところもあったのかもしれません。
ただ画像を見て、ここまで炎症が広がっていますよと言われると、私の大腸そこまで頑張っちゃったのかとなりました。
それまでは、心のどこかで、教員という仕事柄、3月末まで頑張らないと「いけない」。いや、頑張りたいと思っていた私も、これは休まないとまずいだろうと身に迫るものがありました。

実は、潰瘍性大腸炎自体は、すぐに休職しなくてはいけないような病気ではありません。
治療をしながら働いている方も多くいらっしゃいます。
重症となれば、入院しなくてはいけませんが、当時の私は軽症の段階。
ただ、母親からは

「食事にも気をつけないといけないし、一旦症状が落ち着くまで休んで東京に戻ってきたら?あなたの自炊じゃ…ねえ?

と説得されました。信頼されていない私の生活能力。

リアルダの投薬

そこで、実家のある東京に戻って治療を継続することに決め、休職することになりました。
同時に薬での治療が始まります。リアルダという薬です。

ちょっと大きくていかつい

けばけばしい赤茶色で普通の錠剤の2倍くらい大きい。
「噛まないで飲んでください」と言われるけど、でかい薬。
その上、冷所保存。
そんな薬ってあるんだと常に健康優良体だった私は驚きました。
この薬は5ASA製剤と言って、症状が落ち着いた後もそれを維持するために飲むことが必要になる薬です。ずっと飲み続けます。
とりあえずは、病気自体の治療に使われる薬にやっと辿り着けました。

大腸の病気なので、もうひとつ気になるのは、食事のこと。
担当の先生からは、「食事はそこまで気遣わなくても大丈夫ですよ」と言われました。拍子抜け。
が、さまざまな情報がネット上にはあり、「食事で治せる!」という人も多いので半信半疑。
とりあえず辛いものや揚げ物、何よりアルコールは摂らないように、消化にいいものを選ぶように、気をつけました。
(食事については、頭木さんの著書でもその付き合い方の難しさが語られていますので、そちらも見てください。)

ということで、大雪の鳥取を出発し、実家の東京へと向かいました。

寒かった

続きは後編へ

2月から3月私はどうなったか。続きは後編へ。


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