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それでも私たちはつながりたい『つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく』(綾屋 紗月/熊谷 晋一郎)

お久しぶりの記事投稿になってしまいました。
今回私、ミウラが紹介するのは、第31回の『つながりの作法 同じでもなく 違うでもなく』です。
Podcastはこちらから。

「つながれないさみしさ」と「つながりすぎる苦しみ」

この本の作者は、アスペルガーの当事者である綾屋紗月、脳性まひであり、小児科医でもある熊谷晋一郎である。社会の中でも「マイノリティ」である二人。
Book Clubではマイノリティについても、度々扱ってきた。

『つながりの作法』では、マイノリティである二人の視点から、「つながり」の可能性を見ていく。

「つながれないさみしさ」を抱える綾屋

まず、綾屋は、健常者が情報に優劣をつけながら、整理できる外界について、全ての情報を同列に扱ってしまう。故に、「にぎやかな情報に溺れてしまう」ような感覚で世界と対峙している。本来ならさまざまなフィードバック情報で整理して、運動操作などを調整することができるが、彼女には難しい。ドリブル運動やただ「話す」という「発声」すら、困難を抱える。

いつまでも不確実性にさらされることになり、「こうすればこうなる」というような安定した自らの動きを作り上げることができない。結果的にそれは、自分という存在の輪郭をおぼろげなものにしてしまうため、私はいつまでたっても、自分を取り囲む「世界」に対しても「私自身」に対しても信頼を持てずにいたと考えられる。

『つながりの作法 同じでもなく違うでもなく』P37

結果として、綾屋は、あふれる情報を整理できず、身体内部の「つながらなさ」が過剰にあることで、「つながれないさみしさ」を抱える。

「つながりすぎる苦しみ」を抱える熊谷

一方の熊谷は、脳性まひ故に、体が常に緊張状態にあり、「つながりすぎる体」つまり、適度な「つながらなさ」を持てない体になっていた。適度な「つながらなさ」を持てないということは、すなわち外界に対して「しなやかに」対応・変化させることが難しいという別の問題を持っている。

そして、「つながりすぎる人間関係」も外界とつながれないという問題につながると熊谷は言う。彼は、子どもの頃から、母親との密室状態の介護・リハビリが続いていた。(当時は脳性まひは治ると言う「健常者幻想」があった。)それゆえ次第に、母との分離不安、外界への社会不安を抱くようになったという。

この2つのパターンを整理した熊谷は、「差異検出」と差異をこえて反復する「全体パターンの検出」がつながりのために必要ではないかと唱える。

外界とのつながりを得るための身体内部の条件は、
①外界の「差異」に細かく反応できるための内部自由度
②外界のノイズを排除して「全体」パターンを抽出するための内部統合
の両方になると言えるだろう。

『つながりの作法 同じでもなく違うでもなく』P66~67

「つながり」と「しがらみ」

一方で、他者とつながることは「しがらみ」にもつながる。

綾屋は、連帯の過程を第一世代・第二世代・第三世代という経年的変化を段階として語る。

まずは、第一世代。誰ともつながれない私・自分がおかしいと自分のせいだと追い込んでいる状態で、自分にとって意味のあることが他の人にはそうみられていない。マイノリティとして社会の端に追い込まれつつ、自分だけの苦しみ、自分のせいだと考えている段階である。

第二世代。同質の仲間で構成された小さなコミュニティを見つける段階。当事者コミュニティを見つけ、仲間と連帯する時期である。すなわち、「自分は一人じゃなかった!」と思える。一方で、「自分は本当に〇〇な人間なのか」と当事者としての真正性も問われ、「自分の困り感は〇〇としての困り感ではないのか」とコミュニティの中でも応答してもらえないこともあることに気づいていく。仲間が「しがらみ」にもなってしまう。

ここまできて、「これ私のことでは?」と思った人も多い気がする。

例えば、私の場合、中高時代、宝塚歌劇のオタクだった。けれども、当時宝塚が好きな人は周りに少なくて、「私だけだ」「ジャニオタになればよかった」と思っていた。しばらくして、SNSで他のファンの人と繋がったり、同好会に顔を出したりしていくうちに、「一人じゃなかった!」と思ったが、自分なりに宝塚歌劇の愛し方を決めていた私は周囲と若干ずれていて、結局そのファン達に馴染めなかった…。なんてしょうもないことから。

現代人は、仲間を見つける過程で誰しもこの段階を通るのではないだろうか。かつては居心地の良かった仲間と語る言語がずれていく。違う業界への就職、地方から都会への移住などなど。
「私たちずっと友達!」とプリクラに書いていた仲間とキャリアや結婚、世の中の見方などが少しずつずれて、そんな仲間に馴染めなかったり、「しがらみ」のように思ってしまう。結局「語っても無駄だ。私は一人だ」となる人が多いのではないだろうか。

そんな中でも、私達は「つながり」を求めている。そこで現れるのが第三世代だ。

第三世代は、多様性を持ちながら、違いを超えて仲間を見つける時期。熊谷と綾屋はそんな段階のあり方を探しているときに、「当事者研究」と出会う。

「当事者研究」との出会い

本書によると

「当事者研究」は、自分の身の処し方を専門家や家族に預けるのではなく、仲間の力を借りながら、自分のことをよりよく知るための研究をしていこうという実践

『つながりの作法 同じでもなく違うでもなく』P102~103

である。
つまり、専門家によって与えられた診断名から自分の姿を見るのではなく、当事者が自らの状態を語り、時には自分を救う方法を考えたりしていくことを仲間とともに行っていく活動だ。これまでは、当事者「個人」のあり方として注目されることが多かった「当事者研究」を二人は「つながり」つまり「コミュニティ」の観点から、改めて見つめ直す。
新しい「コミュニティのあり方」として、治療でも社会運動でもなく、「研究の倫理」に可能性を見出すのだ。

それぞれが自分たちの経験や状況を語れる場。つまり多様な差異を持った語りが存在する場。
そして、それに言葉や物語を与えるコミュニティが共有する言語や社会制度。すなわち構成的体制という全体での統合。それは必ずしも押し付けられるものではなく、日常の実践の中で更新されていく。
このような差異と全体のループが個人だけでなく、コミュニティの中でも生まれることで、「違いを超えたつながり」が生まれるのではないかと二人は唱える。

個々人の差異はそのままに、同時に際を超えた共感と合意を立ち上げるという二重性は、まるで夢のように次々と自生してくるイメージを、他者と交わし合うところに生み出される。ひとりで傷をかかえこまないこと。差異を超えた共通感覚も同時に育むこと。差異の偶然性に気づくこと。それこそが、失われつつあるつながりの基礎になること、私たち二人は信じている。

『つながりの作法 同じでもなく違うでもなく』P220

あいまいな「語り」の可能性ーーー強制収容所・紛争・性被害

「当事者研究」について回るのは、「語り」の問題でもある。当事者が「言葉」にすることの意味を問う一冊を思い出した。

『なぜならそれは言葉にできるから』

ドイツ人のジャーナリスト、カロリン・エムケが著した『なぜならそれは言葉にできるから』では、極限状態に置かれた人々が証言する姿について語られている。それはときにアウシュヴィッツであり、ソ連の強制収容所であり、旧ユーゴスラヴィアでおきた内戦でもある。

強烈な環境に置かれ、日常を失った人々は、『つながりの作法』で語られるところの「全体」での統合の仕方がわからなくなっている状態とも言える。今まで理解していた構成的体制が突如消え失せてしまった。果たして、自分はそれを言葉にできるのか、言葉にして相手は受け止めることができるのか、と当事者は不安を抱える。

人間関係の一形式としての他者との会話なしには、我々は自分自身にも世界にも確信を持つことができない。我々は、自身の経験をひとつの物語にあてはめることを必要としている。(略)つまり、自身の継続的なアイデンティティが証明され、確認され、問われるのは、他者との会話においてなのだ。

『なぜならそれは言葉にできるから』

まさしく、綾屋が語っていたように、自分の経験を言葉にして相手に伝えられない故に、つながりを持つこともできなければ、自分の存在にすら、確信を持てない状況だ。

『なぜならそれは言葉にできるから』という希望と意志によって、微かに自らのアイデンティティを取り戻そうとする当事者達。彼らの言葉をどう受け止めるのか、「殴られなかった者たち」や社会の側がどう「聞く」かが重要だとエムケは語る。結局「証言する」という行為で試されるのは「聞く」側のコミュニティや、社会なのだ

『当事者は嘘をつく』

もう一冊、「当事者」に着目した本をあげたい。

『当事者は嘘をつく』で、小松原は、自らの性被害体験から始まったサバイバーに対する研究のあり方を描いている。

「性被害」を告白するとき、社会は当事者に「嘘をついている」「男性を陥れようとしている」と糾弾することがある。つまり、当事者であることは「嘘をついているのではないか」という周囲からの疑念との戦いになる。
そして、一方で当事者である自分への疑いとの戦いでもあった。小松原自身、「自分は過去の記憶に嘘をついているのではないか」という「語り」に対する不安を持っているという。覚えている記憶は曖昧で、全て本当という確信は持てないと語る。

一方、小松原は、自助グループの活動をこう振り返る。

誰かの言葉は私のものであり、「私」の言葉は「あなた」のものだった。もちろん、私という自己は、常に型から溢れ出し、すべてを語ることはできなかった。それでも、少しずつ、私は「私というもの」の形を取り戻し、人前で「私である」ことができるようになった。

『当事者は嘘をつく』

小松原の言葉を見ても、「語り」を通して自らの形を取り戻す、綾屋の言葉に重なる部分がある。
そして、彼女自身、このエッセイを通して、当事者達が「研究」を通して生き残る=サバイバーとしてのあり方を示している。

「語り」とはそれだけ曖昧で、はかないものだと世界は扱っている。「聞かれない」言葉も多い。それでも、人はなぜ語るのか。

それは、自分の言葉が誰かの物語となって、その人の「個」を支える「差異」となり、「全体」の構成的体制に影響を与えうるとどこかで信じているからではないだろうか。

違いを越えてつながるために、私たちはまだ「言葉」に希望を持ち続けている。

分断された世界で

2022年3月。ロシアによるウクライナ侵攻が進む現在。私はこの「違いを超えたつながり」という夢物語のような言葉を噛み締めている。

これだけの難民危機は、シリア難民がヨーロッパに殺到した2015年を思い出させる。いや、忘れてしまった人が多いのではないだろうか。
当時イスタンブールにいた私にとっては身近だった。難民が通ったのと同じようなルートでヨーロッパに入り、私は平和な母国へパスポートを持って帰国したのだから。

果たして、私たちは誰の語りを聞き、そして、誰の語りを無視してきたのか。
ウクライナの難民と中東の難民の「何が」私たちに違いを感じさせるのか。
「殴られなかった者」たちの私たちが試されているのだ。

そして、私たちは当事者の言葉を聞かなくてはいけない。「殴られなかった者」として。

ということで、お聞きください。


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