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【エッセイ】無趣味と読書

「なぁ、お前の趣味はなんだ?」
「え、読書だけど」
「なるほどお前は無趣味なのか。やってて楽しいことはないのか?」
「さぁ?別に、自分のしたい事をしていけばいいだろ。趣味なんて人に威張るものでも、自慢することでもないだろ?自分が好きなことで継続していることでしかないんだから」
「だからお前はモテないんだよ」

そういって、僕の友人は豪快に笑った。

今日はこんな会話、一幕を切り取って少し考えてみたい。

僕の趣味ははっきりと断言できる。読書とバイク、アウトドア(登山/キャンプ)だ。この三つの柱で、僕の私生活は構成されている。特に読書は毎日している行為でもあり、常に頭の中で考えていることだともいえる。

さて、そんな僕だが友人と会話するときには決まって「趣味は読書」だと断言する。そうすると、今回のように「無趣味」と判断されたり、「小難しいことが好きなんだね」「すごいなぁ、本は読めない」なんて反応が返ってくる。
正直な話をすると、「同志っ!」となることはない。

自称読書家を謡っている僕だが、実際に読んでいる本はそこまで真面目ではない。もちろん、必要に応じてビジネス書や哲学書を読むこともある。ただ、基本的に読んでいるのは「小説」「エッセイ」「ラノベ」「新書」である。哲学書やビジネス書は、空き時間で読んでいることが多い。

読書家なら、もっと小難しい本を読めと言われるかもしれないが、僕はこの読書でいいんだ。そもそも、読書とは自分との対話で自己理解を深める。時に世界を広め、新しい知見を運び、人生を変えるキッカケを与えてくれるものだ。

だから、「読書は無趣味の象徴である」というこの現状が僕はとても不愉快で嫌いだ。ただ、「読書する人が少ない」というだけで、なんだかとても煙たがられる。

この現実はそう簡単には変わらないし、変えられない。でも、「読書」は「自分に合わない」「自分から遠いもの」という感覚を改めてほしいと思う。そのために、僕ができることは何だろうか?
読書の敷居を下げることか?
それとも、読書の優位性を説くことか?

いや、楽しくなければやらないだろ?読書よりも魅力的で効果的な趣味がある。それを認めたうえで、「いや読書やろうぜ」と思わせることが大事だ。

そんな大それたことができるのか。きっと難しいだろう。
だから、挑戦してみたい。もっと読書家を大量生産して、つながっていきたい。

それが、僕の目標になるんだなと。今日の会話で再確認した。

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