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雨の中、晴れたあなたを想い


■はじめに

特に書く記事が思いつかなかったので、X(旧Twitter)で投稿している140字小説を字数制限なく追記・修正したものを掲載します。

話を選んだ基準としては、あまり「いいね」がつかなかった話です(笑)。
140字だと伝わりきらなかったのか、選んだ題材、書き方がよくなかったのか……。
反省点は多々あるでしょうが、それに拘泥することなく、能天気に改稿してみます。

よければ読んでみてください。

■本編

 あなたは天気の予想を外すことがなかった。
 どれだけ雨が降り続いていて、厚く黒い雲が空を覆っていても、もうすぐ晴れるよ、と言えばその通りになった。
 僕が冬の寒い朝、明日の商談憂鬱だなあ、取引先の大崎部長苦手なんだよ、と言うと微笑んで、「大丈夫。明日は大雪で、交通網が麻痺するから」と僕の好きなたまごサンドとコーヒーをテーブルに並べた。
 翌日は記録的な大雪で、交通網はおろか、出社も危険だということで、リモートワークになった。大崎部長への商談は、後日手の空いている社員と課長が出向くことになった。僕が社外研修を予定していた日だったからだ。
 そのあなたが、「明日は晴れるよ」、そう笑って言った。
 でも、もう三日も雨が降り続いている。痛みも悲しみも洗い流しそうな激しい雨だったけれど、僕の心を蝕む暗く蠢くような感情は弱まるどころか、雨の音を聴けば聴くほど活性化するように思えた。
 僕はベッドの上で膝を抱えて天井を見上げた。掃除機の音がする。上の階の住人が掃除をしている。生活をしている。
 テーブルの上はコンビニ弁当のプラスチック容器やカップ麺の容器が、所狭しと並んでいた。床にはビールやチューハイの空き缶が転がっていた。中身がこぼれているものもあった。
 昨夜、人生で初めて煙草を吸った。不味くて、煙ったくてすぐに空き缶に押し付けて火を消した。その痕跡がベランダに横たわって雨に打たれていた。
 まるで僕のようだ、とぼんやり考えて、掌をルームライトにかざして見た。指の周りがうっすらと透けて、赤色に見える。僕の中にはまだ血が流れている。だが、あの日あなたが病院に運ばれていく中で見た顔は、もっと鮮やかで毒々しい赤に染まっていた。
 スマートフォンのアラームが鳴る。
 そうだ、今日はあなたに会いに行かなくては。
 あの日僕はほんの数分遅れた。その遅れが、あなたの命を奪ったに違いないと、僕は信じている。だからこそ、これ以上遅れることは、僕が僕自身に許さないことだ。
 手に泡を乗せて顔に塗りたくり、剃刀で剃って顔を洗う。髪を整えて喪服に袖を通し、黒いタイを結び、時間にまだ余裕があることを確かめ、湯を沸かして二人分のコーヒーを淹れ、テーブルに向かい合わせに並べた。
 コーヒーを啜りながら、あの日の朝あなたがしてくれた話を思い出していた。奥手な妹に彼氏ができた話、駅前に新しくできたパン屋のサンドイッチがおいしいこと、最近読んだ本の話……。
 他愛ないことばかりだった。でもあなたの言葉は蛍石のように様々な色に輝いて僕に訴えかけてくる。その言葉たちはとてももろくて、僕が気を付けて掬ってやらないと、僕の記憶の鉱脈の中で粉々に砕けて、石ころと見分けがつかなくなってしまう。
 それが、いつか忘れるということなのだろう。
 その薄情さと残酷さに僕は体を抱えて身震いしながら、あなたのことを忘れるものか、と自分に言い聞かせた。そうしなければ、僕は足元から砕けて倒れてしまいそうだった。
 コーヒーを飲み終えると、あなたに淹れた分は流しに捨て、二つのカップを洗って水切りかごに伏せた。いつもの朝と、同じ光景だ。
 玄関の鏡の前でタイが曲がっていないか確かめ、革靴に足を通して、傘立てのビニール傘を手に取る。
 ビニール傘はやめなよ、といつもあなたは言っていた。でも、ちゃんとした布の傘を買っても、僕はすぐに壊してしまって、間に合わせのビニール傘を使うのだった。
 扉を開けると、篠突く雨の中、傘も差さずに中年の母親と若い十代の娘が深々と頭を下げて立っていた。
 僕はあなたたちを恨んでいないんだ。
 そう言おうと思っても、言葉は出なかった。
 彼女たちも被害者だった。無免許の、粋がった同級生の運転する車に同乗し、他の同乗者がみな死んだ中で運よく生き残ったたった一人。
 罪悪感を抱くのは分かる。止めずに同乗した以上同罪で、生き残った自分が償わなければと思う気持ちは。
 だって、そうやって罪悪感に寄り掛かっていなければ、君は生きていけないんだろう? それは殊勝なようでいて、卑怯ではないかい?
 君は見ていないに違いない。血に染まって冷たくなった、彼女の無残な姿を。
 僕の心が晴れることは、もうないだろう。どれだけの晴天の下でも、僕には雨が降り注ぐのだ。それは、あなたという存在を僕から奪った世界への反逆だ。
 だから君も苦しんでくれ。罪悪感を心の中で育てて、怪物が君や君の周囲の人間を食い殺すその日まで、僕と彼女を忘れずに生き続けるといい。
 あなたなら、きっと晴れやかな顔で笑って言うのだろう、彼女たちを許してあげて、と。
 あなたがずっとその笑顔を僕に向け続けてくれるように、僕は彼女たちを許さずにおこう。だから、その微笑みは僕だけのものだ。
 拳を握りしめ、彼女たちの横を素通りする。嗚咽と、謝罪を念仏のように繰り返す声が耳に触れたが、僕はそれを振り切り、葬儀場へと向かう。
 僕は傘を開き、街の灯の中に消える。

〈了〉

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