誰が為の世界で希う-5

『柏木蓮人:今日って予定ある?』
 そんなメッセージが届いたのは、五月の大型連休中のことだった。
 大学からの課題に取り組もうとしていた亮は、心の中で首を傾げながら『空いてます』とだけ送り返した。
『柏木蓮人:ほんと?』
『柏木蓮人:じゃあ、師匠も休みだって言ってたし、練習ができるかもよ』
 なんの練習かなど、言葉にせずとも分かる。
 亮がネックレスを贈られたあの日以来、三人――特に社会人である巷一の予定はなかなか合わず、亮は魔法を使えないままでいた。けれど今日、いよいよ使い方を学ぶことができる。本当に、魔術師の仲間入りができるのだ。
 浮足立つような心地なのに、心臓がうるさいほどにどきどきと鳴る。なにか相反する感情が混ざったような、そんな面持ちで画面に指を滑らせた。
『どこに行けばいいですか』
『柏木蓮人:多分、師匠から連絡があると思う。どこがいいか、いま考えてるって言ってたから』
 そのメッセージを読み終わったと同時に、新たな通知が一件。
『かんだ:これから、この間の公園で会えないかな。魔法の練習をしよう。』
『分かりました。これから向かいます』
 手早く返信を済ませ、必要最低限のものだけを持ってアパートを出た。ポケットの中にネックレスがあることを確かめる。そのまま勢いよく駆けだして、陽光と新緑の眩しさに目を細める。
 その口元にはほんの少しだけ、笑みが浮かんでいた。

 あの公園に着いたとき、そこにはすでに蓮人がいた。前に会ったときと全く同じ格好で相変わらずフードを被っていたが、亮の姿を認めるなりすぐに外して手招きをする。まだ明るい昼間だというのに、公園には人の影がなかった。
 ブランコの柵に寄りかかっている蓮人に駆け寄って、亮は「早いですね」と声をかける。
「まあ、学生寮が近いからね。それ以前に今回は魔法を使って来ちゃったっていうのもあるけど。多分師匠はまだ来ないよ。職場は池袋だけどちょっと離れたところに住んでるって前に言ってたし、基本的に師匠は移動のときに魔法を使わないからね。そもそも持ってる魔力量が少ないから、必要最低限の魔法しか使わないようにしてるって言ってた」
 それにしても、と蓮人が後ろを振り返る。その目線をたどるようにして見上げると、使えないように規制テープの張り巡らされたブランコがあった。
「休日にしては人がいないなぁと思ったら、遊具が壊れていたんだね。老朽化しているかもしれない、ってことで、他のも使用禁止にされたみたい」
 蓮人の言葉に、亮は辺りを見回した。ブランコやシーソーにも、たしかに黄色のテープと『あそんではいけません』の張り紙があり、亮はひとけのなさに納得いったように数度頷く。
「さっき魔法でなにがあったのかを探ってみたんだけど、数日前に小さな子がブランコに乗っていたら、鎖が切れて落ちちゃったみたいで。……遊んでいた子は、落ちて怪我をしたみたい」
 蓮人はその現場を自分の目で見たかのように痛ましそうな表情で語り、亮は情景を思い浮かべて唇をかみしめる。けれど、ふとなにかに気づいたように「あの」と声をあげた。
「魔法で、なにがあったのかを知ることができるんですか」
「そうだよ。師匠が空間系の魔法を得意とするように、おれは時間にまつわる魔法を得意としているんだ。といっても、タイムトラベルは無理だよ。未来予知をしたり、物や人から過去を読み取ったり、失ってしまった記憶を復元したり――そういうことができる」
 ブランコに手をかざし、蓮人はふっと微笑んだ。ほの暗さを含んだ、陰のある笑みだった。
「記憶を読み取るといっても、それがすべて正しいとは限らないけどね。記憶と事実はイコールじゃない。特に人の記憶はその人の主観でしかないから、勘違いや見間違い、聞き間違いが含まれることが多いんだよ。時には知りたくないことを知ってしまうこともあるし、魔法だっていいことばかりってわけじゃない」
「……」
 ポケットの中にあるネックレスを握りしめた。視線がゆっくりと落ちていくのが、自分でも分かる。
 良くも悪くも、変わるのだ。知る前にはもう、戻れない。
「まあ、でもおれは、自分が魔術師でよかったと思ってるよ」
 その言葉に、顔を上げる。
 鼻にかかった声が、ふふっと笑った。
「自分の力で誰かを助けられるし、なにより、日常生活の中で役に立っているからね。大学の課題を短時間で終わらせられるし、未来予知は使えるようになるとかなり便利だよ」
 蓮人はスマートフォンを取り出して時間を確認すると、「まだ来ないだろうなあ」と呟いて近くのベンチへと腰を下ろした。なにもすることがなく、亮はその隣に座り込む。
「暇だねぇ……。先に、ちょっとした座学でもしてみる?」
 少し離れた場所にあった木の枝を魔法で呼びよせて、蓮人は面白いことを思いついた子どものような表情を浮かべる。
「魔法を使うときに必要なものは、魔力と想像力のふたつ。なにをしたいのかを強く思い浮かべながら、それを現実に変えられるように魔力を編み上げていくことで魔法が使えるんだよ」
 すごく感覚的で説明しづらいんだけど、ともどかしそうにする蓮人に、亮は驚いたように目を見開いた。
「……なんか意外ですね。呪文とかいるのかと思ってました」
「いちおう呪文も存在しているよ。でも、補助として使うことがほとんどだね。それ専用の言葉を覚えなきゃいけないし、別に必須っていうわけじゃない。いつか余裕が出来たら覚えてみるのもいいかもね、ってくらいかな。おれも一回覚えはしたけど、あまりに使わないものだから結構忘れてるし」
 蓮人は地面に文様とも言語ともつかないなにかを書き、けれどすぐに納得のいかない表情を浮かべ、足で消しながら答えた。
「それよりも大事なのは、想像を想像のままでとどめておくときと、想像を現実に変える――つまり魔法を使うときの切り替えだよ。それがうまくいかないと、意図せず魔法を使ってしまったり、逆に上手く魔法が発動しなかったりするんだ」
 地面に図を書き、示して見せながら、説明は続く。
「師匠は、その切り替えのときになにか動作をするといいって言ってた。なにをしたいか具体的にしっかり思い浮かべて、決まった動作と同時に魔力を編み上げるとやりやすいだろう、って。例えば、師匠は手を叩くと同時に、あるいは深呼吸した後に魔法を使っているし、おれは手を動かすことが多いかな。こう……かざしてみるとか、らせん状に動かすとか」
 言葉と同時に、くるくると渦を巻くような仕草をしてみせる。そして、なにを思いついたのか、蓮人は同じ動作を繰り返した。一回目と違うのは、二人の目に『黄色』が見えたということ。
「いまって、もしかして」
「うん。魔法を使ったよ。……ところで、おれがいま、なにをしたのか分かる?」
 唐突な質問に、亮は思わず視線を泳がせる。
「……分かりません」
「だよね。実は、魔術師だったら魔力の残滓を分析して、誰がなんの魔法を使ったのかを知ることができるんだよ」
 ほら、と蓮人が自分の足元を指さした。するとそこに、薄く、わずかに『黄色』が漂っている。気づいてなかったのか、目を見開いている亮に「これが残滓だよ」と少しだけ屈んで手をかざしてみせた。
「魔法を使うと、必ず残滓が残る。時間が経てば薄れて消えちゃうけど、残っているうちにこうやって手をかざして集中すれば、これがどんな魔法を使われた後に残されたのか分かるんだ。魔力の『色』や『雰囲気』が知っている人のものであれば、使役者が誰なのかも特定できる。これは魔法じゃないから、多分ネックレスをしなくてもできるんじゃないかな。ちょっと、やってみてよ」
 体を起こし、ほんのりと悪戯っぽい笑顔で亮が動くのを待つ。
 亮はゆっくりと手をかざし、残滓を包み込むようにした。意識をそちらに向け、深呼吸。目を閉じて、手のひらにある残滓の言葉を聞こうとするかのように、耳を傾けた。
 瞬間、聞こえないはずの声がなにかを囁いたような感覚に陥る。それと同時に、脳裏に答えがひらめいた。
「……未来予知、ですか?」
「そうだよ! 一発でできたのはすごいね。おれがこれを教えてもらったときは、コツを摑むのに苦労したんだ」
 花が咲くように満面の笑みを浮かべた蓮人に、亮はゆっくりと、言葉を続ける。
「……これは、多分、ですけど。十分後の、この公園で起こることを予知しましたか?」
 蓮人の目が、驚嘆の色に染まる。
「そう、そうだよ。……すごいなぁ、そこまで分かるんだね」
 どこかかみしめるようにして呟いて、ひとつ、ふたつと頷いた。
「師匠はいつ来るのかな、って思ってさ。十分後の予知をしてみたんだ。そしたら、おれと清水くんと師匠、三人いたから、そろそろ到着するかもしれないね」
 スマートフォンを取り出して、蓮人は時間を確認する。そのまま公園出入り口の方を振り返り、亮もつられたようにそちらを向いた。
 二人の目線の先には、人影がひとつ。
 ゆったりとした足取りで、でもこちらに気づいたのか途中から急ぎ足で。巷一が、「すまん、待たせた」と二人に近寄ってくる。
「師匠が遅すぎるので、簡単な座学と残滓の話をしちゃいましたよ。残滓の分析をやってもらったんですけど、おれより精度が高いかもしれないです」
 蓮人の言葉に、巷一は言葉もなく目を見開いた。ぱちり、ぱちりと瞬きを繰り返し、亮の方を見つめる。
「……そうか」
 なにかを続けようとして、でも口が動いただけで言葉にはならず、結局、なにかをかみ殺すように笑顔を浮かべた。
「魔法の使い方はもう聞いたんだね。じゃあ、少し実践練習をしてみようか」
「はい」
 頷きながら、亮は巷一の表情を窺い見る。深い笑みがそこにはあるはずなのに、どうしてだろう、なにか暗い雰囲気が同居しているように、亮には思えた。
「最初は簡単なものから、慣れてきたら少しずつ難易度の高いものに挑戦していくのがいいだろうね。難しければ成功率も下がるし、魔力も大量に消費する。自分の魔力の限界を見極めるためにも、まずはあまり力を必要としないものをやってみようか」
 巷一の顔に刻み付けられている、愁いにも似た影には気づかぬふり。ひとつ頷いてみせて、亮はネックレスを取り出した。身につけた瞬間、指の先まであたたかな力がみなぎるのを感じて、深呼吸。
「そうだな……あそこの木の下に移動するっていうのはどうかな。いわゆる、瞬間移動ってやつだね」
「ちょっ――」
「多分だけど、きみならできるんじゃないかと思うよ」
 途中でなにかを言いたそうにした蓮人の言葉をさえぎって、巷一は最後まで言い切った。
 そのことには気づかなかった亮は、巷一に示された移動先をじっと見つめ、木のそばに立っている自分を思い浮かべてみる。
 ――できるだろうか。
 ふとよぎった不安を振り払い、深く息を吸い込んだ。
 一息ついたのち、覚悟を決めたように手を持ち上げる。切り替えのための動作は、すでに決めていた。
 指を鳴らす。
 それと同時に指先から魔力が自分を取り巻き、目的地へと運んでくれるようなイメージで、力を編み上げていく。
 瞬間、『赤』の光が亮を包み、人影が一つ消えた。
 それと同時に、巷一の指定した木の下に消えた人影――亮が現れる。
 自分の立っている場所を、確かめるように見回して。亮はしばらく呆然と自分の手を眺めていたが、弾かれたように顔を上げ、手を握りしめる。視線の先にいる二人に向かって「あのっ」と声を張り上げた。
「俺、これ……」
 蓮人と巷一はぽかんと顔を見合わせていたが、巷一がすぐに笑顔になって亮と向き直る。
「うまくいったな。成功だよ。きみは、魔法を使えたんだ」
 それを聞いた亮の表情にも、歓喜の色が滲んで広がっていく。
 元の場所に駆け寄り戻ってきた亮は、その場に残っていた残滓を見つけてしゃがみ込む。
「……『赤』なんですね。俺の魔力って」
「そうみたいだな。綺麗な『色』だ」
 魔法の残滓が薄れて消えていくのを眺めている亮のことを、巷一は目を細めながら見ていた。彼の全身を覆う『赤』の、濃さや深さ、鮮やかさと、存在感とを見定めるようにして。
「もう少し、いろいろと初歩的な魔法をやってみるか。時間も、まだまだ十分にある」
「はい!」
 それからは、巷一が言ったことを亮が魔法でやってみせて、の繰り返しだった。大概は上手いことこなした亮だったが、うまくいかないときは、蓮人が的確なアドバイスをして改善していった。
 そして、日が傾くころに「また今度、練習の続きを」と約束を交わして、前回同様に巷一と別れた。
 再び、亮と蓮人は二人きり。駅まで談笑しながら、歩を進めていく。
「まさか瞬間移動を説明なしにできるとは思わなかったよ」
「俺も、ちょっとできるか不安でしたね。うまくいってよかったです」
 嬉しそうにそう語る亮に、蓮人は手を顎に当てて少しばかりの沈黙を返した。
「――師匠は言わなかったけど、あれさ、基本的、初歩的であるとはいえ、初心者にやらせるにしてはちょっとハードルが高い魔法なんだ」
「えっ」
 思わず蓮人の方を振り返ると、彼は難しそうな顔でひとつ息をついた。
「おれが最初に師匠から教わった魔法は、近くのものを呼び寄せる魔法だった。しかも、かなり詳しい説明付きでね」
「……」
「師匠はきっと、清水くんの素質がいいと思っているんだね。もともとの魔力量とか、清水くんの想像力を高くみてる。実際、いろんな魔法をやったけど、大体のものは一回で成功していたよね。かなり長時間、いろいろな魔法を使ったけど疲弊している様子でもないし……清水くんなら、難易度の高い魔法もそつなくできそうだなって、おれでも思う。……でも」
 蓮人の足が止まり、しっかりと亮の方に向き直る。
「さっきも言ったけど、魔法を使えるってことはいいことばかりじゃない。これは、ただの想像、だけど……難易度の高い魔法を使えれば使えるほど、他の人に利用されやすくも、なる。――いるんだよ。おれたち魔法使いを利用してやろうって考える人が、ね」
 言葉を重ねれば重ねるほどに、蓮人の表情は苦々しく歪んでいく。
「そのことを、覚えておいてほしいんだ」
 それでも口角を上げようとする、蓮人の姿が、亮には痛かった。
「分かりました。覚えて、おきます」
 真っ直ぐに蓮人を見て、首肯する。
 蓮人は頷くように俯いて、そのままフードを被った。傾いた日は、蓮人の顔に重たく影を落として表情を隠してしまう。
 その後は二人とも言葉もなく、それぞれの家路についた。

(続く)

*この物語はフィクションです。実在の地名・人物とは一切関係ありません。
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