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『青い鳥』 重松清

目の前に、1人で膝を抱えてうつむいて座っている子供がいます。よほど嫌なことがあったのか、暗い表情をしています。

こんな時、あなたはどうしますか。「やあ、どうかした?」と気さくに声をかけますか。それとも、気を利かせて暖かい飲み物を渡してあげるでしょうか。

私は人に声をかけるのが苦手なので、他の人に助けを求めるでしょう。「あそこで座り込んでいる子供がいるのですが…」と。

村内先生の場合は、その子供のそばにいてあげます。その人曰く「先生にできるのは、みんなのそばにいることだけ」、そして「たいせつなことしかしゃべらない」そうです。

村内先生とは、重松清さんの本『青い鳥』に登場する中学校の非常勤講師です。担当する教科は国語。この村内先生には、あるハンディキャップがあります。それは、"吃音(きつおん)"というものです。

先生は「こ、こ、こ、こ…」という具合に、言葉がつっかえたようになり、上手く話すことができません。

そんな村内先生の評判は、決して良くありません。

生徒の大半は、「むかつく」「授業がわかりにくいから代わってほしい」と厳しい言葉を投げつけたり、「どもり」と言って馬鹿にしたりします。

私は吃音を持った方に会ったことはありませんが、自分の想いをつっかえながらでしか話せないのはもどかしいだろうなと思います。村内先生が懸命に言葉を紡ごうとしているシーンでは、こちらも心の中で応援していました。

けれど読み進めていくうちに、村内さんはどうして、人と話す機会が多そうな先生という仕事に就いたんだろうという疑問が浮かびました。

生徒が提出した日記にコメントを欠かさず書く程のマメな人なので、個人的には物書きの方が向いていそうだなあと感じました。

そんな村内先生は、さまざまな理由で"ひとりぼっち"になっている8人の生徒達と出会います。それぞれの生徒のそばにいながら、"たいせつなこと"を教えるのです。

『青い鳥』には、8つの短編が収録されています。今回はそのうちの1編『青い鳥』の内容に触れることにします。

語り部は、園部君という男子生徒。

彼が在籍する2年1組ではかつて、野口君という男子生徒に対するいじめが行われていました。内容は、お菓子や文房具などを野口君に持ってくるよう指示する、というものです。

野口君はみんなの頼みに応えるため、自分のお小遣いをはたき、品物を持って行きました。お金が続かなくなると、両親が経営しているコンビニから無断で持って行ったりもしていました。

何でも持ってくるので、みんなは野口君に"コンビニくん"というあだ名をつけていました。

その後、野口君は自殺を図りました。幸い命は取り留めましたが、そのまま転校してしまいました。

どうにもやり切れません。2年1組の生徒たちに問いただしたくなります。そこまで追い込まれていたのに誰も気がつかなかったのか、と。

しかし、2年1組の生徒はこう言います。

いじめているつもりなんか、なかった。
(中略)
「野口もさ、俺らの仲間に入れてもらえて、けっこう喜んでたような気もしねえか?」
「……笑ってたよな、あいつ」
「だろ?だろ?いじめられてるって感じじゃなかったよなあ」
ー『青い鳥』重松清

「君達がほんの遊びのつもりでやっていたことはいじめである」と言われたことに対する戸惑いが感じられます。野口君が笑っていたから、嫌がっているように見えなかったから続けていたのでしょう。

案外これが、いじめをする人の本音なのかもしれません。本人にそういう意識はなく、「相手は何も言ってこないし、気にしていないんだろう」と思い込んでいるのです。

クラスの総務委員を務める園部君はある日、生徒総会に参加します。そこに居合わせた村内先生が、"いじめとは何か"についての話をします。

それを読んで、「なるほど」と納得しました。それまで"いじめ"という言葉に対して曖昧なイメージを持っていたので、腑に落ちる思いでした。

要するに、誰かと喧嘩をしたり誰かを嫌ったりすること自体はおかしくないんだと思いました。人の好き嫌いは誰にでもあるから仕方がないのです。

ただし、相手から「やめてほしい」と訴える声があった時、それを無視してはいけないのです。相手が嫌な気持ちになっているのを知っていて続けるのが"いじめ"です。

村内先生はさらに、いじめ事件の後に片付けられていた野口君の机を再び教室に並べます。園部君はそれを、自分達に対する"罰"だととらえます。野口君を追い込んだ自分達への当てつけだ、と。

園部君も1度だけ、ボトル入りのガムを持ってきてくるよう野口君に頼んでいました。だからこそ、自分は責められていると感じているのでしょう。

しかし村内先生はこう言います。

いじめを受けた野口君はきっと、そのことを忘れたくても忘れられない。なのに、君たちだけ終わったことにするのはずるいじゃないか。机を並べ直したのは、野口君のことを忘れないため。君たちにはそうする責任があるんだ。

言葉をつっかえさせながら、批判するのではなく、懸命に教え諭すように話していました。私は「よかった」と安心しました。

いじめをする人を擁護するつもりはありませんが、園部君も園部君で、"いじめの加害者"になってしまったことを悩んでいたのだろうと思うからです。村内先生が言った"たいせつなこと"を忘れないでほしいです。

園部君も野口君も、今後の人生がいいものになることを願うばかりです。

村内先生はある時、1人の生徒から「どうして先生になったのか」と質問をされます。それに対して、こう答えています。

「俺みたいな先生が必要な生徒もいるから。先生には、いろんな先生がいたほうがいいんだ。生徒にも、いろんな生徒がいるんだから」
ー『青い鳥』重松清

人は、みんな同じじゃない。みんなと同じになれずに孤独を感じている人もいる。そういう人には、静かに寄り添ってあげることが大事なんだ。村内先生からそう教えられた気がしました。

今はスマートフォンの普及で、コミュニケーションの方法は増えていますが、人とのふれあいは希薄になってきているようです。顔と顔を合わせないため、ますます孤独を感じる人が増えていそうだなと感じます。

そういう人たちが、今日もどこかで村内先生みたいな人を待っているのかも知れません。私も微力ながら、誰かに寄り添えるような記事を書いていきたいなと思います。

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