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生の復活、生の解放

今まで名も知らなかった疫病が世界を震撼させ、さまざまな制限を余儀なくされながら、それでも自分の気晴らしを探して生きる生活はこれからも続いていきそうである!都会の方ではすでに人々は我慢の限界に達しており、店があいてないからと、あらゆる勤め人の心のガソリンであり、また体の傷と心の傷の両方に効果がある妙薬であるところの飲み物を路上で飲む動きが出てきているようだ。

賛否両論あるだろうが、それについての意見はここでは言わないでおこう。私が感じたのは、人間はいつになっても逞しいものだなあ、という感慨だけである。

疫病の蔓延を抑えるためと言えど、彼ら若い人々にとっては理不尽な制限であることに間違いはない。彼らには若者らしい青春というものが必要なのである。いつの世でも若者は元気いっぱいに夜の街に繰り出し、好みのタイプの異性がいればなりふり構わず口説きにかかり、ふられれば仲間と一緒にビールでも飲みながら忘れようとする、そんな存在でありたいのである。

いつ終わるかもしれないトンネルのような時間を、暗闇の中、手探りで這い進んでゆく・・・。そんな状態にいつまで耐えきれるのだろうか。もはや我慢の限界が来ているような気がする。

さあ、いったいこれからどうなってゆくのだろう?こういう時は歴史から学ぶといい。人間社会は不思議なもので、全く同じようなことが過去に何度も起こっていたりする。過去から一切学ばずに同じことを繰り返すのも、私たちのような生き物のもつご愛嬌、ではないだろうか。

川端康成は終戦後の社会の様子をこう語っている。

今年の秋は全国的に出産がおびただしいことを私の隣組も証拠立てているのには違いなかった。言うまでもなく平和のたまものである。戦争中低下していた出産率が一挙に上昇した。無数の若い男が妻に返されたのだから当然である。しかし出産は復員者の家庭にばかり多いのではない。夫が出てゆかなかった家にも多い。中年者に思いがけない子どもも出来た。戦争の終わった安堵が妊娠を誘ったのである。
平和をこれほど現実に示したものはあるまい。日本の敗戦も今日の生活苦も将来の人口難も頓着なく、もっと個人のもっと本能の働きである。塞がれていた泉が噴き出したようだ。枯れていた草が萌え立つようだ。これを生の復活とし生の解放として平和が祝福できれば幸いである。動物的なことであるかもしれないが、人間を憐れむ思いも知るだろう。戦争中の子は不慮の流産がずいぶんあった。懐妊も少なかった。女の生理の異常が多かった。それがこの秋は十戸の隣組にも四組のお産があった。戦争のためにこの世の光を見ないで失われた子どもたちのことを私はふと憐れむ一方、戦争のあいだにも流れ去った私の生をまた悲しみながら、私のそれがなにかに生まれ変わってくることはあるだろうかと思った。

いうまでもなく「第一次ベビーブーム」のことを言っているのだろう。戦争が終わり数年たった後に訪れたこの産声まみれの期間を、川端はどういう思いで過ごしていたのだろうか。

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もっと個人の、もっと本能の働きである。

命の危険を感じた生命個体は、生殖能力が急激に上昇する、という話を聞いたことがある。眉唾かもしれぬが、こういう話を聞くとどうやら本当らしく思われてくる。戦争中に敵と立ち向かった兵士たちが、銃弾の飛び交う中で恋焦がれたのは、祖国においてきた自分の妻の柔らかさではなかっただろうか。

そんな兵士たちがいざ妻のもとに帰り、さっそく何を始めたかは容易に想像されるところである。彼らは生き残ったのだ。命をつないでいかなければならぬ。地獄の中でも生き残った己の強い遺伝子を、後世に残さなければならぬ。もう空襲警報の心配もない世の中で、安心して子供を育てることが出来るのだから。

さて、この話は現代にも当てはめることができるだろうか。閉塞感漂う、疫病に支配された世の中が終わりをつげる未来を想像してみる。むろんコロナウイルスが撲滅されるというよりかは、インフルエンザのように病気と共生していくことを私たちが選ぶ、という選択をする可能性の方が高いだろう。

人々は待ってましたとばかりに街へ繰り出していくかもしれない。そして、さまざまな出会いが増え、疫病の中でも生き残った遺伝子を残すべく、長く低迷している出生率も上昇の兆しを見せるかもしれない。子どもがたくさんいる社会というのはこの上なく明るい希望に満ちているに違いない。我々年上の者は若い命からエネルギーをもらって生き永らえるのだ。活気に満ち溢れた楽しい社会が、疫病を通り過ぎたあとに訪れるといいのだが・・・はたしてどうなるだろうか。


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