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森鴎外「高瀬舟」から読む、善悪の基準の浅はかさ

ーー時代は江戸。島流しになった罪人を送る船、「高瀬舟」の護送を行う官吏が聞いた、とある罪人の物語。

貧困にあえぐ兄弟のどうしようもない悲劇。罪人となった兄は、いったいどうすれば正解だったのだろう?どう転んでも、兄は泥をかぶらなければならなかった・・・

島根出身、明治の代表的作家。世間で判断される「善」と「悪」の基準のいかに曖昧として不正確なものであるか。物事をうわべだけで判断しがちな人間社会にたいして大きな揺さぶりをかけた、大傑作をお届けしますーーー

奇妙に明るい罪人

時は江戸時代。関西を細々と流れる高瀬川は、島流しになった罪人を京都から大阪に移送するために利用されていました。

高瀬舟には、罪人とその家族、そして護送の役目を命じられた幕府の役人が一緒に乗ります。そして、いよいよあくる日に刑の執行が迫ったという日に、高瀬舟は、真夜中の京都の地を、川の流れに従って音もなく下っていくのです。

島流しになった、ということは、その罪人はかなりの大罪を犯したというでした。そして、大抵罪人たちは同乗の家族とともに、お互いの身の上を夜通し語り合い、あまりにも悲惨な自分たちの境遇を嘆き悲しむのでした。

高瀬舟の護送を行う、ということは、これらの会話を嫌でも聞かなければならない、と言うことを意味していました。当然、それらは明るい話であるはずがありません。

したがって、役人たちの間では、この護送は不快な職務として嫌われていました。

さて、ある晩のこと。

羽田庄兵衛という幕府の役人が、この護送業務を命じられました。

この日に乗ってきた罪人は喜助という名でした。家族はいない独り身の男とみえて、高瀬舟にはたった一人で乗ってきました。

庄兵衛は罪人と2人きりで舟に乗り込みました。正直気が進みませんでしたが、お上の命令なので仕方ありませんでした。

やがて、庄兵衛はこの罪人の様子がどことなくおかしいことに気づき始めたのです。

どこがおかしいのか?

罪人にとってその舟は、住み慣れた土地からの永遠の別れと、不便極まりない離島へ流される前に、明るい京都の灯を目に焼き付ける最後のチャンスでした。

つまり、罪人は悲しげな様子をしてなければならないのです。その道中が、明るく希望に満ちたものであるはずがないのですから。

しかし、とうの喜助といえば、さっきから雲の合間に顔をのぞかせている月を仰いで黙っています。その顔はたいそう晴れやかで、目には希望に満ちた明るい輝きを宿しているのです。

庄兵衛は不思議だ、と思いました。

喜助の顔は、いかにも楽しそうで、もし庄兵衛が一緒に船に乗り込んでいなかったら口笛を吹き始めるとか、鼻歌でも歌い出すとかしそうな勢いなのです。

庄兵衛はとうとうこらえきれなくなって声を掛けました。

「喜助。お前は何を思っているのか。」

喜助の感謝

喜助は、なぜそんなことを聞くのか、と言うような顔をしました。

「いや、特に理由はない。ただ、高瀬舟に乗っている罪人の身としては、お前の顔がいかにも晴れやかなのが気にかかってな。」

すると喜助は答えました。

「確かに。島へ行くということは、他の方にとっては悲しいことかもしれません。しかし、それはその方が楽をしていたからでございます。私はこの上なく貧乏な暮らしをしてきました。毎日のように身を粉にして働きましたが、稼いだ金はすぐに借金取りに支払わなくてはならず、その日に食うものをこしらえるためにまた借金をこしらえる、という生活をずっとしてまいりました。どこに住もうと、どこに逃げようと、この苦しみから逃れることはできませんでした。」

「しかし、今回はお上のお慈悲で命を助けていただき、なんと私の住むところまで用意していただきました。島は辛いところかもしれませんが、鬼の住むところではないでしょう。私にはこれまで、自分のいていいところがありませんでした。しかし、お上は私に島にいていい、とおっしゃってくださいます。そして、こんなものまでいただいてしまって、私はもう感謝してもしきれないくらいなのです。」

喜助は、島流しの罪人に持たせる決まりになっている銀貨を、じゃらりと月の光の下に出して見せました。

庄兵衛は黙って考え込んでしまいました。

彼は喜助よりも明らかに恵まれた境遇にありました。妻がおり、子供が4人もいました。幕府には給料として米の支給を受けています。食うには困ったことがありません。

だが、彼の心の奥には常に不安がありました。こうして暮らしていて、ふいとお役がご免になったらどうしよう?大病でも患ったらどうしよう?というような焦りがあって、どうも自分の境遇に100%満足したためしがなかったのです。

自分には家族がいて、喜助は気楽な独り身であるから。それだけのことでしょうか?庄兵衛には、この違いはもっと深いところにあると感じました。

「人は、体に病気があったりすると、この病気が無かったら、と思う。その日その日の食い物がないと、なんか食うものがあれば、と思う。もしお金があったとしても、もっとお金があったら、と考える。こんなふうに先へ先へと考えてみれば、人はどこまで行って踏みとどまるのができるのだろうか。おれにはさっぱりわからぬ。だが、それを今目の前で踏みとどまって見せてくれるのが、この喜助だ。」

庄兵衛は思いました。

悲劇

「喜助よ、お前は人殺しをしたそうだが、いったいどういう顛末でお前が人を殺すことになったのか、話して聞かせてくれぬか。」

喜助はひどくかしこまった様子になりました。

「どうも飛んだ心得違いで、どうして自分があんなことができたのか、我ながら不思議で仕方ありません。私には弟がおりまして、幼い頃に両親を亡くしたきり、兄弟2人でずっと暮らしてきました。去年の秋まで、私たちは弟とともに働いていました。しかし、急に弟が病気になり、働けなくなってしまったのです。

私どもは掘っ立て小屋同様のところに寝起きをいたしまして、なんとかその日暮らしをしていました。毎日私が食い物を持って帰ると、弟はすまない、すまない、と言って泣くのです。私にばかり働かせてしまってすまない。自分が何もできなくて申し訳ない、と言って。

ある日いつものように仕事を終えて帰ると、弟が布団の上に突っ伏していました。周囲は血だらけでした。私はびっくりして、どうしたのだと聞きました。

弟は自分で自分の首を切ったのでした。しかし、当然ろくな刃物を使うことができたはずもなく、道ばたに落ちていたなまくらの剃刀を使って首を切ったようでした。なので、死にきれずに大変苦しんでいたのです。

すまない。どうにも治りそうもない病気だから、兄貴に迷惑をかけてはすまないと思って、早く死んで兄貴に楽をさせたいと思ったのだ。あともう一息、あともう一息この剃刀を動かせば死ねるのだ。さあ、手を貸してくれ。

まっていてくれ。医者を呼んでくる。

弟は怨めしそうな眼で私を見ました。

医者が何になる。ああ苦しい。はやくやってくれ。

私は途方にくれました。しかし、こんな時は不思議なもので、弟の目がモノを言いました。弟の目は、早くしろ、早くしろ、と言って、さも怨めしそうに私を見ています。しだいにその目つきがだんだん険しくなり、とうとう敵の顔でも睨むような、恐ろしい目つきになってまいりました。私はとうとう、これは弟の思い通りにしてやらなくてはならないと思いました。

私は剃刀を持ち、力を込めました。かなりいびつな手ごたえがあり、どうやらかなり深いところを切ったもののように思われました。

そのとき、扉から知り合いの婆さんが入ってきました。

婆さんは、剃刀を持つ私の手と、弟の苦しみにゆがむ顔を見ると、あっ、と声を上げて、すぐさま家を飛び出していきました。」

喜助は、少しうつむきながらこのようなことを話しました。

庄兵衛は思いました。これは人殺しというものだろうか?殺したことには間違いない。だが、弟はそのままにしてもどうせ死ななくてはならなかったのだ。死ぬ間際の苦しみを少しでも和らげようという思いやりから、喜助は手を下したのだ。そこには何の悪意も、罪もないのではないか。

喜助が弟を殺したのは、弟を苦しみから救ってやるためでした。すると、庄兵衛は、今こうして自分が喜助を罪人として島へ送ろうとしていることが、なんとも腑に落ちないことのように思われて、嫌な気持ちになりました。だが、彼の身では、当然お上の判断には逆らうことができません。庄兵衛は胸につかえた不快な塊を何とかして呑み込みました。

暗い川面の上を、高瀬舟は滑っていきました。


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