「初体験」の多い生き方をしよう。
突然ですが!!
先日投稿した記事から今思いついたことを書きます。
世はSNS時代。いろんなSNSがしのぎを削っております。
Twitter。
Instagram。
Facebook。
Tiktok。
いずれも世界中の皆さんが競い合うように毎秒レベルで新しい投稿が行われています。フォローの数を増やせば増やすほど、誰かの投稿を見ている間に他の誰かがすぐに投稿してきてくれます。画面の中のコンテンツは尽きることがありません。
スクロールすれば次から次へと「新しいもの」が湧いて出て来る。
すると、いつの間にかもっと見たい!もっと見たい!という衝動に駆られ、気づけば夕方になっていたりする。
SNSの依存性はかな~り高いです。見ていると次々にポップアップされてくる「あたらしい」投稿。ああ。ついつい確認したくなっちゃう。
わかっちゃいるけどやめられねえ。
「あたらしい」もの。やっぱりいいですよね。
でも、ここまで次から次へと新しいものが湧いて出て来るモノに皆ハっている、ということは・・・?
人間って、もしかしてメチャクチャ「あたらしいもの好き」なんじゃないだろうか?
と、最近はうすうす思っております。
例えば、多くの方が新生活を始める4月。
今まで自分が慣れ親しんできた習慣や人間関係がすべて崩れ、また新しいものを構築していかなくてはいけない、そんな時期。
とっても不安です。
でも、実はけっこう内心では楽しんでたり。
新生活を始めて、「もうほんとに大変だ!!なんとかしてくれい!」などと言いつつ、喜びと充実感にあふれ出た顔をしている方、たくさん見てきました。
いままでの愉快で退屈な日常から一変。新しい環境で一から始めなくてはいけないとなったとき、人は少なからず不安を感じます。
さぞかし大変だろう、と思います。
それでも、一方で無限の可能性を秘めている。
そうです。新しいものには無限の可能性があります。
4月の新生活のお話だけではありません。
新しい道を歩いてみる。
新しい趣味を始めてみる。
新しい本を読んでみる。
いろんな人と出会って話をする。
ちょっと足を踏み出せば、世の中にはいくらでも「あたらしい」が転がっているものなんです。
そんな「あたらしい」に手を出すには、ちょっと勇気が要ります。人間はいつだって習慣の虜です。同じような行動をとり続けたほうが実際楽だし、もとから慣れ親しんでいる場所や環境にとどまり続ける方がリスクは少ないでしょう。
それでも。
やっぱりちょっと無理をしてでも「あたらしい」に手を出してみるべきです。
ほんの些細な事でいいんです。いつもと違う道で帰ってみるとか、いつもと違うスーパーに行ってみるとか、前からやってみたかったお菓子作りに挑戦してみるとか。それだけで新たな発見があります。今まで思ってもみなかったことに気づくかもしれません。
「新しい」ものに触れると、私たち人間はより多くをそこから吸収しようとします。いろんなものを感じ取る能力は、いろんなことに「挑戦」してみる限り、衰えることはありません。
そして何よりも。
私たちの精神にとって最大の敵は、何を隠そうあの「退屈」です。
さっき申しあげたとおり、人間は次から次へと湧いて出て来るSNSを何時間も眺めていられるくらい新しいものが好きな習性を持つ一方で、「いずれはほとんどのものに飽きてしまう瞬間が来る」という悪癖を持っています。
期待に胸をふくらませて始めた東京での生活も、いつの間にか退屈してしまった。
同じく期待に胸をふくらませて始めた新婚生活も、いつの間にか・・・(以下略)
などと言うように、私たちが心中密かに抱いている悩みの中で「退屈」が原因を占めるものは結構多いのではないでしょうか。
飽きたからと言って、今すぐ全てを棄ててしまえるほど私たちは自由ではありません。ほとんどの方は、とっくのとうに退屈してしまったとしてもその生活を続けなければなりません。何よりも、生きるために、です。
そんな中でこそ。
できる範囲で、ちょっと自分にストレスをかけてでも「新しい」ものに触れてみる。
毎日一つでもいいので、新しい発見をしようと慣れた風景に目を凝らしてみる。
これをやってみるとやってみないとで、毎日の充実度が全く変わってきます。
もちろん。
「やりたくない理由」を抱えている方もいるでしょう。それは昔の失敗体験に基づいている場合もあったり、トラウマに基づいている場合もあったりするので、一概に「行動しない」ことを悪く言うことはできません。
それでも、「これならやってもいいかな。」と思えることが一つでもあるのなら、ぜひともやってみるべきです。
「今まで素通りしてたけど、ここにはこんな面白いものがあるんだ!」
と発見する力。
「みんな気づかないけど、これって結構かわいいんだよね!」
と、隠れた場所に美しさを見出せる力。
私たちが子供のころに持っていたこんな素敵な力をもう一回思い出してみること。もう一度、子どものような眼で世界を見渡すことができるようになること。
社会的にあんまり逸脱せずに、私たちの敵であるあの「退屈」に打ち勝つためには、もうこれしか方法がないのではないかな、と私は思っています。
感受性をよみがえらせるために、いろんなものを吸収し、いろんなものに触れてみましょう。
いつの間にか、私たちを楽しませるためにどれだけたくさんのものが置いてあるか、そして「楽しむ」ということは完全にその人次第であり、今まであなたが何かを「つまんねえな」と切り捨ててしまう原因は、実はあなたが「つまんない」と感じた当の物ではなく、「つまんない」と感じたあなた自身にあるということに気づいてしまったり。
とりあえず、あれこれ考えずに手を出してみよう!
今日はそんなお話でした。
いつもお読みいただきありがとうございます。皆様の一日が素敵なものになりますように。
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