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がさがさがさがさ、ぷちぷち

ミジンコは水中で生きる動物である。何はともあれ、生きている。これ以上にいいことはない!そんな喜びを胸に、今日も彼らは藻屑やボウフラどもと一緒に水中をぴょんぴょん跳ね回っているのだろう。

もし彼らが跳ね回っているその世界が、数分後に太陽の仮借なき熱線によって蒸発させられてしまうとしたら、彼らは何を思うだろう?

今日、千葉県のとある山林の水溜りで、一匹のミジンコであるS君が亡くなった。彼が亡くなる前に書き残した手記を、ここに記しておきたいと思う。


ここはいいところだ。生まれた時から、僕はずっとここにいる。知り合いもたくさんいる。ミドリムシもたくさんいて、食べるのには困らない。でも、今日はB君がこんなことを言っていた。「なんだか目がちかちかするんだ。いつもよりまぶしい気がする。」たしかに、ここのところずっと世界は明るい。上から世界がぽつぽつ降ってきて、僕たちの世界を広げてくれることが時々あるんだけれども、最近はずっとそんなこともない。僕たちの世界は、だんだん、上からの強烈な光に照らされて、ちょっと暑くなってきたし、少し窮屈になってきたような気がする。「俺たちは終わるのさ。」B君が言った。「だってお前、古文書じゃ、本当に俺たちが棲むべき世界には、こんなでっかい目玉をもってひらひら泳ぐ奴らがうじゃうじゃいて、俺たちを食べにくるのが普通って話じゃないか。それが、ここには一匹たりともいない。ここにいるのは、ミドリムシと、俺たちと、あとは菌だけだ。なんて暮らしやすいんだろう!でも、なんて堕落しちまっているんだろう・・・。俺たちはとうに、見棄てられているんだよ・・・。天敵のいない世界に、未来はないのさ。命は悠々と生きてはいけないんだ。」B君は言った。僕にはその古文書というのが読めないからよく分からないけど、最近、B君のこの言葉があながち間違いじゃないような気がし始めている。

窮屈だ。世界が、どんどん、小さくなってきているのだ。今日なんて、いつもは距離をとっていたはずの、僕と仲の悪いK君が急に僕の目の前に現れて、「おう、久しぶりだな。」なんて言ってきた。「久しぶりだね。」僕も返した。最近どうも暑いな。そうだね。

どうもおかしい。苦しくなってきた。眼がかすむ。まぶしい。世界が真っ白だ。声が聞こえる。周りのミジンコたちも皆同じらしい。「どうか俺たちをお許しください。俺たちは、何も知らず、ただ無邪気なだけなのです。」B君の声が聞こえた。だが、そんな悲痛な声も届いた気配はない。上からの猛烈な光は収まる気配がない。それどころか、光は移動しているらしい。ますます上に移動していき、光も強烈になってゆく。急激に世界が小さくなってきた。となりにB君がいる。K君もいる。ああ、お母さん、今そちらに行きます。いや、行けない!ぎゅうぎゅう詰めで話にならない。いかせろ!お母さん!!下のヤツの頭を思いっきり蹴ったら。足を思いっきり噛みつかれた。痛い、と思って思わず目を開けると、上にいるやつが急いで交合している。こんな時に何をやっているんだと思ったのもつかの間、急に息ができなくなった。
何も見えない。苦しい。ああ、がさがさがさがさ音がする。次第に遠のいてゆく。あ、死ぬ。これが、死か。恐ろしい。恐ろしい。誰か僕に、世界を、一滴でも、いいから、ああ、苦しい、そうだ交合・・・がさがさがさがさがさがさがさがさ。ぷちぷち。

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