青空が爆薬で濁る
作家ゴーゴリがウクライナのヴェルィーキ・ソロチンツィの正教会礼拝堂で、洗礼を受けてからわずか150年しか経っていないのである。150年前といえば、まだ自分の曽ヶ祖父が生きていたころだろうか。脈々と続く家系の流れの中で、あらゆる時代を生き抜いてきた自分の祖先に思いを馳せてみたりする。顔も分からぬ、声も聞いたことのない自分の祖先が、時代の風に揉まれながらも懸命に生き抜いていったことだけは、今自分がこうしてキーボードを叩いていることから分かる。
毎日のように流れてくる信じられない戦火の様子に心がやられる。しかし当然だが、地球のどこで何が起こっていようとも、まるで何事もなかったかのように前に進んでいかなければならない。何一つ自分には関係ない!だが、勉強をしたり、作業をしたりする自分の手の甲に、数週間前には明らかに存在していなかった、重い枷のようなものを感じるときがある。
文学。それは素晴らしいものだ。分かる人には分かるこの素晴らしさ。わざわざ「活字を読み込む」といういわばストレス、いわば不要不急の苦労を負ってまで、感じたい事柄、経験したいものは、ある。自分の手が生み出したものが、誰かの心を震わせることができるのならばこれ以上の幸せはない。ウクライナの地で生まれ、遠くロシアのペテルブルグにて没したニコライ・ゴーゴリは何を考えてその鷲ペンを取っていたのだろう、なんて考えてみる。彼にとってはウクライナのソノチンツィ市はかけがえのない、母の匂いの漂う故郷であり、大都市ペテルブルグは青春時代を過ごした、これもかけがえのない第二の故郷であったはずである。ありえない話だが、今、彼が生きていたら何を語るだろうか?母を捨て、職を得るためにペテルブルグへ行き、その土地で、寒さと飢えと、ネヴァ河の水よりも冷たい官吏社会の風に骨の髄まで凍り付いてしまった自分の運命と、理不尽極まりない暴力によりなぶりものにされる我が故郷とをひき比べて涙を流しただろうか。羊皮紙の上で、自分の考えだした奇怪な名前の主人公に、故郷への愛と、暴力についての呪詛を語らせただろうか。そのありあまる想像力は影を潜み、小ロシアの青い空の下で、ひたすらに息子の成功と幸せを願う母の安否を気遣うあまり、彼にとっての運命である餓死への道を歩み始めただろうか・・・
生きる時代も生きる場所も、てんでかけ離れている一人の卑小な人間がそんなことを考えてもどうしようもない。だが、精神的に自分を大きく育ててもらった芸術作品が生み出された土地が戦火に脅かされ、無残にも燃えているのを見るのは、とてもじゃないが、いたたまれない。逆に考えれば、そのような暗澹たる世情や歴史を孕んでいる土地だからこそ、ゴーゴリに限らず幾多もの偉大な芸術家を生み出したのかもしれない。誰も掃除したがらないほどの汚い床を拭き掃除した後、我々は雑巾を絞る。その雑巾こそが作家であり、時代の風や峻烈な経験により固く絞り上げられた「雑巾」が、人生に音を上げる前に、自分の血で「文字」を刻む。それが、時代を超えて多くの人をゆさぶる作品になる。一方、酷使され疲れ果てた「雑巾」はあまりにも短い生涯を終えて、誰にも顧みられずにどこぞの小学校の体育館に放り出されていたりする。
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