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盗んだバイクで走り出せない15の夜

あんたは良い子だねえ。そういわれるたびにムラムラと腹が立つ。15の夜。ページをめくり過ぎてお目当ての写真が手汗やら粘液やらでぐちゃぐちゃになっているグラビア雑誌を手に取る時でさえ、ちょっとした罪悪感を感じてしまう。嫌な性格だな、と思う。もうちょい図太くありたい。

若いっていいねえ。君たちには無限の可能性があるんだ。若いくせに何を言ってるんだ。ええかげんにさらせ。あほんだら。だぼ。黙って大人の言う事聞いてりゃいいんだ。

いろんなオッサンオバハンから言われた、多様性のないセリフが滝のように降ってきては肩をくすぐって去ってゆく。何者にもなれる?だが、自分はいったい何になりたいんだ?それさえも分からないのに、「若者はいいねえ、これからなんにでもなれるんだから」なんて言われても、正直、ピンとこない。生きていければいい。将来の不安なくニコニコ飯を食っていれば大成功じゃないのか。「馬鹿だねえ。若いくせに変に大人ぶっちゃって。もっと夢を追いかけなさいよ。」夢を追いかける?ロックスターにでもなれっていうのか?小説でも書いて食っていこうか?

こうして考えていること自体、俺は恵まれているのだろう。生きるのに精一杯な状態だったら、自分の未来のことを考えてあれこれ苦しむことなんてできはしない。こうしていられるのはなぜかと言えば、それは俺の両親がものすごく頑張って仕事をして、子ども部屋つきの立派な一軒家を建ててくれたからで、そんな両親が本当に若いころから「夢を追って」生きてきたのかどうかは、正直疑問だよ。「お前の好きなように生きなさい。」親父は言う。すごいと思う。自分は毎日のように満員電車に揺られ、得意先で頭を下げ、同僚や後輩にはものすごく気を遣って暮らしているだろうに。毎日物凄い苦労をしてお金を稼いでいるというのに。そのお金を黙って食い尽くしている当の俺に向かって、「自由に生きろ」と言えるそのおおらかさは、いったいどこから来るのだろう。

おとっさん、おっかさんよ、俺たちはただ人生をつつがなく、無駄な苦労や不幸なく無事に生き抜いていければそれで十分なんだ。つまんないかもしれない。悟ったことを言う若者に未来はないと言われても、元気がねえ若者はつまらん、と言われてもそれでも俺は明日もほかほかの飯が食いたいんだ。贅沢はしなくていいから、屋根付きの一軒家に毎日一汁三菜が食えるくらいの生活が出来れば、それで十分なんだよ。いや、これでも贅沢過ぎるくらいか。とにかく安定志向、とにかく危ない橋を渡らない、これが俺の本質なんだ。モテねえし、つまんねえ人間だけど、自分に向いてないことを無理してやるよりかは、このままこんな感じで生きていった方がいいような気がする。

雑誌を放り投げ、俺は再び勉強机に向かった。

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