個の自由と良心の呵責(前編)

 ここ2年ぐらい、わりと真剣に悩んでいることがこれだ。今日日本に住んでいるが、私はずっと良心の呵責に苛まれている。ちょっと思考が煮詰まってきたので、一端整理しようと思う。

現代日本においての2大問題は「経済の低迷」と「環境問題」である。(コロナのパンデミックについては、ちょっと直近過ぎて考察できないので無視)

この二つをどうにかしようとして、現状取られている方針が、「経済成長」と「SDGs」(に準ずる方針)である。

まず、経済問題から考察していくと、日本はここ30年ぐらい経済成長率が低迷している。勘違いしないで欲しいのが、低迷しているのは「経済成長」であって、「経済成長」ではない。実際日本経済は毎年数%づつ成長している。googleが提供してくれたデータによれば2018年の実質成長は0.8%だそうで、それ以降の数値はまだ確定していないのだが、今年は0.4%~0.5%の予測らしい。(2020.12.14現在)

データ上、数値は低いが成長はしている。ちなみに経済成長0%という状態は、理論上、資本が増加も減少もしてない状態であるので、企業で考えてみると、1年間もろもろ経済活動をやってみたら、増えたり減ったりしたけど結果的に持ち金が1円も変化ししなかったという状態だ。家計でいうと、1年間色々生活したら、貯金額が1円も変化しませんでしたという状態である。あまり現実的ではない。

ただ、現状日本経済はそれに近い状況になっている、と言える。全体でみるとちょっとだけ日本の持っている資本は増えているが、あんまり変化がない状態だ。ただ、問題なのは、それは日本全体でみるとそうなっているだけで、ミクロな単位でみてみると、資本が結構動いているということである。

実は日本のいわゆる富裕層は増えていて、2019年発表データでは、2017年時点で2015年から5万世帯増加、富裕層以上の総資産額は2015年と比較して9.9%増えているらしい。(※リンク)

これをどうとらえればいいかと言えば、日本の経済はあまりお金を稼いでいないのにお金持ちが増えている状態である。つまり、日本のなかで、結果的に富裕層ではない層から富裕層へ、いくばくかお金が移動していると考えられる。もちろん、新たに獲得した分はあれど、そればかりではないということだ。実際、体感として貧困問題が他人事に感じられなくなってきていると感じる。東洋大学の田辺和俊/鈴木孝弘(2018)の論文を見ると、年々貧困率が上昇しているグラフが掲載されている。(※リンク)

このような現状を打破するために、政府は「経済成長」を掲げているわけであるが、この根拠となるのは、いわゆるトリクルダウン理論で、これはつまり「程度の差はあれど、いっぱい稼げばみんなが恩恵を受けられるよね☆」理論なのだが、まあ、これは高度経済成長の時期には確かに効果があったかもしれないが、今後高度経済成長が見込めない以上難しいだろう。

では、なぜ高度経済成長が見込めないのか。それは、端的に言えば、コストダウンができないからである。資本主義の拡大は、いつの時代も自然と労働力の搾取によって成り立っていた。

単純に考えてみてほしい。あなたは資本家として商品Aを作って儲けよう=資本を増やそうと思ったとする。その際、どうすれば効率よく資本を増やすことができるか。簡単である。安く作って、高く売ればいい。ただ、その商品Aに対して、同じような商品BやCがあった場合、高い値段に設定しすぎると買ってもらえなく可能性が高い。故に、価格はそこそこにして製造コストを安くしようと考えるのである。

では、製造コストを安くしようと考えた場合どうすれば良いのか。だいたいの場合コストの多くの割合を占めているのは、原材料費と人件費である。故にこの二つのコストを減らそうと考えるのである。これを真っ先にやったのが大航海時代以降のヨーロッパだ。17世紀ごろであるが、奴隷を大量に作って人件費がゼロで労働させ、さらに、植民地から資源を(現地奴隷を使って)強奪して、ヨーロッパ経済は拡大したのである。この流れはWW2(第二次世界大戦)後まで続いた。

そうとまでいかなくても、同じようなことは日本でも発生していた。1970年代からの高度経済成長を支えていたのは、地方からの安い出稼ぎ労働者である。彼らをどうして安く使えたのかと言えば、彼らの生活は今ほど市場に依存していなかったからであり、要は自分ち周辺で米や野菜、衣類等々を作っていたからである。いわゆる自給自足であり、その自給している部分があったからこそ、給料が多少安くても生き延びられたということであるし、逆を言えば資本家は足元見て賃金を安くしていたともいえる。このことの代表的な例として挙げられるのが、世界遺産になった富岡製糸場である。日本初の官営製市場として登録されたが、私はあれは負の遺産であると思っている。調べればわかるが、当時の労働環境は相当ひどいものであったらしい。

さて、日本では1986年からバブルがあったが、バブルによって金余りの状態が起きた。そして日本では多くの人がライフルスタイルを自給自足と市場半々だったのを、市場に依存させるよう変化させた。これは需要の増加ももたらしたため好ましいことととらえらえたが、同時に安い賃金で人を雇うことができなくなったとも言える。

その後、外国人労働者や、中国や東南アジア、アフリカに拠点を移して人件費を抑え安く造ろうという流れにちょっと前までなっていたが、今はあまり聞かない。きっと最後のフロンティアと言われていたアフリカの治安悪さと、思ったより人件費が抑えられないのが関わっているのではないかと思う。

加えて、資源に関しても、まさか今どき外国で資源を大っぴらに強奪するのは難しい(実は資源搾取はされているのだが。大っぴらになっていないだけで。よく見ると結構報道されている)。ここから言えることは、コストダウンがあまり見込めない、かつ、あまり高くも売れない現状があるということである。

よって、企業はちょっとしか稼げない、と言うのが現在日本を含むいわゆる先進国の現状である。

随分と長くなってしまったで、一端区切ることにしよう。もう一つの価値観については後編にて考えてみることにする。

では、また。


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