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アラフォーが脱サラした理由

私は、2021年の3月に脱サラをした。
今回は、なぜ脱サラをしようと考えたのかについて話しをしようと思う。

根本には、全世界の子供達の基礎教育の実現という夢があるからだけど、
夢とかを切り離して考えた場合は、脱サラをした理由は、自分の会社・職場に、自分の周りの上司や先輩を見た時に、自分が目指したいと思える姿がそこになかったから。

私は、39歳の時にこれからの40代の10年間をどう過ごしたいのかについて真剣に考えた。
その時に参考になったのが、自分の10個年上の上司や先輩。
10年経った時に、自分の周りの自分の上司や先輩のように自分もなっていたいだろうかと想像してみた。
なぜなら、自分はそうなりたくないと考えていても、同じ会社の環境の中でずっと仕事をするということは、10年後の自分も、自分の身近にいる上司や先輩と似たような姿に自分もなっているということ。

そして、どう考えてみても、答えはノー。
5年後、自分の会社の先輩みたいになっていたいか、ノー。
10年後、自分の会社の部長みたいになっていたいか、ノー。
15年後、自分の会社の役員みたいになっていたいか、ノー。
20年後、自分の会社の社長みたいになっていたいか、ノー。

どういう角度・視点で考えてみても、会社の中に自分が目指したいと思うような姿がどこにもなかった。
そう考えた時、毎日、遅くまで残業して働いていることが馬鹿馬鹿しく感じた。
自分が今、進んでいる道は、自分が目指している道とは全く違うのに、安定した給料と引き換えに、毎日、夜遅くまで働いて、多くのエネルギーと時間を消費している。
加えて、ストレスと労働過多による健康を犠牲にしている。

日本の大手企業で働くということは、毎日、夜遅くまで働いて、1日の中で仕事に多くのエネルギーと時間を消費して、1日を終えることになる。
仮にそれを40代の10年間続けて、自分が部長になれたとして、自分は幸せだろうか?
自分が入社した時の部長が絵に描いたように説教好きな上司で、口癖が、「俺がお前くらいの時、〜したからこうして今、部長になることができた、だから、俺のように部長になりたかったら、俺の言う通りにもっと〜しろ」などで、自分が部長でまるでサラリーマンとしての成功者として偉いんだぞというような言い草。
そして、そんな自分をお前も見習え的な言い草。

世間から見れば、社員が1万人以上いるような会社の部長になることは凄いことなのかもしれない。
でも、その部長を見ていて、自分もそうなりたいとはこれぽっちも思わなかた。

日本の沢山ある高々1万人規模の会社で部長だからといって、自分は偉いんだぞアピールを常にしてくる。
自分は、会社組織というこんな小さな閉ざされた世界の中で少し成功したからといって、そこで満足し偉ぶるような人間にはなりたくないと。
その部長の話を聞きながら、こんな部長みたいにだけは絶対になりたくないと心底思っていた。

サラリーマンの世界では、社長、役員、部長という地位の高い人は偉くて、まるで、大将軍と同じような偉そうな態度を取ってくる。
そして、周りの部下も、社長、役員、部長を、大将軍様に接するように、腫れ物に触るかのように接する。
要は、社長、役員、部長への絶対服従。
上司の言うことは絶対。

いやいや、絶対じゃないから。
上司もただの人間だから間違うことはいくらでもある。
でも、サラリーマンの世界では、何を言うかではなく、誰が言うかの方が大事。
社長が言ったというだけで、それが本当に正しいかそうでないのか考えることもなく、みんなが盲目的に従う。
完全なる思考停止。

部長が間抜けな企画を作っても、誰も何も口出ししない。
部下は部長の言われた通りにただ従うだけ。
一方、若手社員がどんなに良い企画を作ったとしても、若手平社員と言うだけで、上司や先輩は誰も、その企画に耳を貸すことはない。
問題は、何を言うかではなく、誰が言うかだから。

下っ端社員に求められるのは、上司の指示に逆らわず、与えられた仕事を指示された通りに忠実に従うだけ。
そして、上司と異なる自分の考えを主張することよりも、ただ、自分の意見を頭の中でかき消して、上司の言うことに何も考えずに従って仕事をしている時が、皮肉にも最も評価される世界。
つまり、今の仕事は自分でなくても、いくらでも変わりがいる。
そんないくらでも変わりがいる仕事のために、毎日のように残業して、自分の健康と時間を犠牲にする毎日。

結局、そんな訳で、サラリーマンとしての将来に自分の希望を持てなくなった。
今、脱サラした後、自分で起業してビジネスを始めたが、サラリーマン時代の1/5の収入も稼ぐこともできない。
でも、今の生活のほうが断然満足。

もしこの先、収入が稼げなくなって、生活保護を受けるようになったとしても、サラリーマンに戻りたいかと聞かれれば、答えは、ノー。
例え野垂れ死ぬことになっても、今の生き方を貫く。

サラリーマンの皆さんは、自分のサラリーマンとしての将来に希望を持てていますか?

今回は、この辺で。














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