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公共とは③ 官-公-私の線引きって?

こんにちは。

「公共とコミュニティデザイン あるいは"あそび"という語らい」
…という、半日の対話イベントに参加してからの自分の頭の中の変化を書きたくなってしまって、書き続けている、いまです。

プライベートの時間で、モヤモヤ解決のための読書会を開催していますが、

…私のこの活動は、ほんとうに誰かの役に立てているのかな?
…自分がやりたいテーマで、開催し続けているけれど、
…ほんとうに困っている人のために、アプローチできているのか?

という疑問が、2020年末あたりから自分のなかに渦巻いていました。

で、

誰でも利用できるオープンなもの=公共?
困ったときでも、いつでも無料で利用できるところ=公共?

という発想から「公共」に興味を持っていました。

これは、イベントに参加する前の「公共」へのイメージ。
転職時、数か月働いていない時期もあって、広島県の就職支援機関にはお世話になりましたし、失業保険にもお世話になった記憶から。

でも、公民館のような公共施設の社会における位置づけは、昔よりも重要視されなくなっています。

その理由はなにか?
普段の生活で「公共」を感じることが少ないのはなぜ?

それを踏まえたうえで、
私の読書と対話という場づくりに活かすべき公共の要素ってなに?

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参加した対話イベントを通じて、2つの整理をしました。

①官-公の違い

行政がするもの=公共、だと単純に思っていました。

でも普段、市役所や区役所には行かないし、税金高くていやだなーなんて話もしたりするわけで、行政と自分の暮らしに距離感があるんですよね。
これって、私が気になる公共とはちがう。

行政と仕事をすることが多い話題提供者のおふたりや、市役所職員の参加者さんのお話しを聞いていて気づいたのが、官というカテゴリー!

たしかに、官公庁っていいますね!(あ、公って入っているけど笑)

<私のイメージ>
官:行政、各種制度、国からの資金、おかたい、閉塞的?
公共:公園・図書館・公民館など市民の集いの場、オープン、いま衰退気味

いま仕事が、公益財団法人で働いているので、
はじめて行政の業務に関わっていて、煩わしいことや時間かかること、制度のルールで疑問に思うことは、確かにあります。

でも、官には官の役割がある。ということも確か。

だって、失業保険お世話になったし、生活保護の制度だって、日本国の昔のえらい人が制度を作ったからこそ。
大きな力が働かないと実現できないことです。

きれいな図書館のような箱物を作る事業だって、そう。

個人の力じゃどうしようもない。

困っている人の力になりたいと言っても、その人を養うわけにはいかないし、自分の生活だって回していかないといけない。

自分がお手伝いできる困っている人の層は、自覚する必要がある!
自分ができる範囲を見極めて。

それから、ちょっとずつ、その範囲を広げていったらいい。

いつか、官、と一緒に仕事ができるよう。
個人の力をつけていきたいな。

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②公-私の違い

私的な行動と公的な場って、対立することがしばしばありますよね。

「花火は禁止です」
「ポイ捨てはしないように!」
「ボールを投げないでください」

公園に禁止令看板のなんと多いことか…!

公共が開かれた場、という意味もあるため、
公共とルールの問題は、そう簡単に万能な一般解があるものではないです。
対話イベントでも、話題として盛り上がったけど、すかっとする答えがでるわけではありませんでした。

公共の場を利用するのは、私的な市民だから、難しいですね。

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公私のあいだの概念を、ひとつご紹介します。
このイベントに参加する前に『マイパブリックとグランドレベル 今日からはじめるまちづくり』という本を読みました。

マイパブリック=私設公共。
×「公共」とは「与えられるもの」「みんなのもの」
〇自分自身が「公共」であり、自分で「公共」はつくられる

マイパブリックは、著者の田中元子さんによる造語とのこと。

個人が、創意工夫を楽しみながら、ひらかれた活動をつくっていく。

これは、いわゆる「公共」と「私」の間をさすものだと思います。
公共と対比させている「私」は、チロルチョコ買った、てきな完全に自分の楽しみのための行動であるものを指します。

この本では、

(1) 自分を満たし、
(2) 他者と楽しみ交流し、
(3) 社会や世の中の役に立てる、

第三の趣味(1~3全部ある)=マイパブリックとして、いち市民起点で公共をひろげて、まちづくりをしていこう!

というメッセージを伝えています。ふむー!

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この本を読んだとき、私の読書会は、このマイパブリックみたいに開いたものにしていきたい!!と思ったんです。

第三の趣味、の要素は満たしつつある気がする。

でも、今回のイベントでとらえようとしている「公共」とは、ちょっと違う。私の読書対話会は、図書館の機能や役割とは、たしかに異なるもん。

マイパブリックはあくまでも「私」の領域を超えなくて、私領域のなかの限りなく公共に近い部分なのかなと。

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対話ワークショップで、定量評価と定性評価、価値の対話を深めるなかで、やっぱり自分の大事にしたい価値観・好きなことをアウトプットしつづけるしかないな!!、と思いました。

大事な発見でした!
なんどでも「そうだった!」と思いたいですね、このことは。

で、読書会のお客さんを増やしていけるかな、と思いはじめた中で、「公共」を意識してみて、そしたら、すごくすごくたくさんの人を相手にすることになるってことなの?…と尻込みしていたモヤモヤがあって。

でもいまの私の読書会という活動は、あくまでも「私(し)」のなか。
個人の力の限界はあるし、私らしさというバイアスはかかる。
(読書対話会では、テーマを設けているから、関心のある人が集まる)

でも、小さくてok!

小さい私(し)が、ぽこぽこ生まれて、ゆるくつながって、
あったかい社会というものが作られていくのかな。

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ほんとうに、いろんな気づきがあった対話ワークショップでした。
これは、淡路島まで行った価値があります。半日で大収穫。

でね、まだ書きます。笑

最後に、じゃあ「公共は一体なに?」ということ。

これはワークショップの中では答えが見つからなくて。

淡路島のあとに立ち寄った京都にて、京都御苑と喫茶店で過ごしながら、ちょっとひらめいてみた、いまの私が考えている「公共」について、言葉にしてみようと思います。

舞台は、京都へーー!




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