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暇と退屈の倫理学

〇タイトル

暇と退屈の倫理学 | 読書(88/1000)
著者 國分 功一郎

〇学んだこと

※隅括弧内が章番号。ほぼ書籍より引用。

【1】幸福の知覚

炎は熱いから近づくと熱い。すでに炎の概念を自身の中にもっている。そのため、知覚後に結果となる熱いを認識できる。
また、楽しい・好きの概念が不明確なため。様々なものを知覚しても楽しい・好きを認識できない。

【1】キリストの名言

人はパンがなければ生きていけない。
しかし、パンだけで生きるべきでもない。
私たちはパンだけでなく、バラをもとめよう。
生きることはバラで飾られなければならない。

【1】パスカルの退屈論

うさぎを狩りに行く人にうさぎを手渡すと嫌な顔をする。
うさぎを狩りに行く人はうさぎが欲しいのではない。
狩りをする人は「不幸な状態から自分たちの思いを逸らし。気を紛らわせてくれる騒ぎ」を求める。
欲望の対象はうさぎだが、欲望の目的は気晴らし。
この気晴らしには若干の負の要素が必要。退屈する人間は苦しみや負荷を求める。

【1】ラッセルの退屈論

退屈とは、事件が起こることを望む気持ちがくじかれたもの。
事件とは、昨日と今日が区別されるものをさす。
そもそも、人は日常の反復に耐えられない。
また、事件はハッピーでもアンハッピーでも良い。
そのため、退屈の対義語は興奮。
幸福の秘訣は、自分の興味をできるだけ拡張する。興味を惹く人やものにできる限り友好的に接する。

【2】住生活

誘導生活から定住化するに伴ってその環境にすぐに順応するというエネルギーを日々使わなくて良くなった。
大祖先は大脳に高い情報処理能力(環境適応能力)を獲得したがその能力を遺憾無く発揮できず、退屈になる。

【3】暇と退屈の語彙

暇とは:何もすることのない、する必要のない時間。
退屈とは:何かをしたいのにできない感情や気分。退屈は主観的な状態。
暇な人はもれなく退屈するのか。また、退屈な人はもれなく暇なのか。

【3】労働者と暇

富を持つ人は暇を自慢する。やるべき仕事がないことこそステータスシンボル。
労働者は富を持つ人に憧れるため、金銭と暇を求める。
資本家は労働者をより生産性高く働かせるには余暇が必要。やがて、労働者には管理された余暇を与えるようになる。
しかし、労働者は余暇の上手な使い方を知らないので、余暇を潰すためのレジャー産業が生まれる。
レジャー産業は人々の欲望や欲求に応えるのではなく、人々の欲望そのものを作り出す。
そして、レジャー産業は労働者の余暇をさらに資本に転化する。

【4】浪費と消費

浪費は必要を超えて物を受け取ること。浪費は満足をもたらすが物理的な限界などからいずれ限界に達する。
消費は目の前のものを受け取るのではなく、モデルチェンジした・行きたいお店に行けた!という観念(ステータス)を消費している。
消費は「個性」を煽って訴求をするが「個性」は誰にもわからない。
そのため「個性」は決して完成しない。
消費は満足に達することなく、常に失敗する(成功しない)ようになっている。
もしくは到達点がないのに到達点が求められる。

【4】労働社会と疎外

労働社会において、労働者は資本家からの疎外を感じて本来的な自由を求める。
消費社会においての疎外は自分で自分のことを疎外している。自分で自分たちを追い詰めるサイクルを回している。
後付けで疎外から脱出するために、本来性のあるものを求めるが結果として労働の短縮を求めたりするなど、ゴールは不明瞭。
この疎外は暇なき退屈をもたらす。結果として、疎外のゴールは再起的に疎外にたどり着く。

【5】ハイデッガーの退屈形式

1.何かによって退屈させられること(受動的)
空虚放置:虚しい状況に置かれてしまうこと。会議室に放置された。
引き留め:人は頑張って仕事を見つけようとする。ぐずつく時間と対応している。身だしなみを整えたり時計を確認する。
2.何かに際して退屈すること・よくわからないが退屈する。何かわからないが自分がそこで退屈する。
空虚放置:特定のものが存在しないそのもの。何に退屈しているかわからない。
引き留め:根源的な時間の引き留め。解放されうる一定の時間の束縛。
3.なんとなく退屈
空虚放置や引き留めは存在しない。自由であるのが人間だけ。この退屈が自分に自由を教えてくれている。

【6】環世界

環世界とはそのものを取り巻く環境。
ダニの場合、酪酸の匂い・温度・体毛の有無が環世界。
人間はこの環世界を複雑に多様にもつ。
同時に環世界への適応能力が他の動植物よりも高い。
何か特定の環世界にとらわれるのであれば人は退屈しない。
環世界を相当な自由度をもって移動するからこそ退屈する。

【7】幸福と動物

幸福を探究する必要がなく、満足を持続する。
幸せを探究する本来の人間は存在しない。人間の終わり。
人間は考えることの契機となる何かを受け取る余裕がある。

結論

1.読者がそれぞれの仕方で切り開いていく
この本を読んだ時点で暇と退屈に対峙する観点を獲得できている。また、この本を読んだ時のように理解のフローを自分の中で踏む。それぞれの論者が同様の理解を深めていって倫理学を発見していく。
2.贅沢を取り戻す。(人間であること)
食事・絵画など本質的な価値を自分で感じ取る・楽しむために訓練をする。また、生活をバラで飾る。
3.(退屈との共存を余儀なくされる生に関わっているのであれば)生からはずれる。(動物であること)
環世界を崩壊させ、再構築する。そして、結露2の贅沢を取り戻す。

人間であること・人間らしい生活を楽しむことで、動物になることを待ち構える。
何かおかしいと感じることを待ち構えつつ、環世界を少しずつ良くして、人間として贅沢になっていく。
※結論だけ読んでもこの書籍の主張は理解できない。

〇感想

このnoteを記載している現在、私は転職に伴う有休消化期間。つまるところ暇な状態。
自身が読む前に暇に対する価値観は「暇という状況そのものが悪」と感じていた。
そのため、何か暇を埋めるためにあえて忙しくするように、仕事をしたり強引に他の人との食事の機会を埋めるためにとにかく暇の時間を埋めまくっていた。

同時に誰彼構わず食事に誘った故に食事中・食事後には得も言わず満たされなさを感じていた。
自分が本当に望んでいた暇を埋める行為ができているのかを自問したらおそらくNO。
そもそも、暇を埋めるためにどうなっていたら良いのかというのも、なんとなく人との縁を切らさないようにといった漠然とした目的だった。
目的は達成したが、満足感はあまり感じ取れていない。

書籍を読んで、暇や退屈に対する処方箋をもらったような感覚。
人間らしく・動物らしくなるために、この処方箋が効果を示すために自身の生活を見つめ直していきたい。

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