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本と珈琲と〇〇の企画意図について。エッセイ、小説について_20240309

この記事を執筆している時点で全12回(特別編やコラボ回を合わせると14回)開催してきたわけであるが、企画当初の頃よりも少しずつ、コンセプトというか、何を目指したものなのかが鮮明になってきているところもあるので、改めて「本と珈琲と〇〇」とはどんな会なのか、文章でまとめてみるとする。

私にとって、読書をすることや、本に囲まれた部屋にいることは日常である。珈琲を淹れたり、好きな店に行って飲むのも日常である。日常の中に佇むそういった時間は、ちょっとした幸福を与えてくれる、とても素敵な事象だと思う。しかし、日常にあるということは、目立つような主役級のものではなく、あくまで「ハレとケ」の「ケ」である。これはそうあってはいけないということではなく、むしろ「ケ」であることが重要である。
そんな、ひっそりと佇む素敵な事象がある、ということを感じる機会があれば、より暮らしに深みが出て、豊かになるのではないかと考え、本と珈琲を軸とした、「ちょっと変わったお茶会」的な時間、空間、風景を演出するのが、本と珈琲と〇〇の企画意図である。
イベント自体の雰囲気は「どこかある種の『わざとらしさ』を感じるくらいの演出が加わった、だけれども居心地は悪くない、日常の要素で組み立てられた、ちょっと非日常な空間での、ゆったりした余白のある時間を過ごす体験の場」ということだろうか。

来場者へイベントを楽しんでいただけるようにと、私自身で書き下ろした小説をお配りしているが、実は別の理由もあって執筆している。

最近知ったというか、認識したことなのだが、私は、話をするのが得意でないらしい。世間話など何気ない会話においての咄嗟の言葉選びが苦手なのである。こんな言い方をすると酷く物静かな人物像に思い描くかもしれないが、実際のところは剽軽(ひょうきん)な印象を抱かれることの方が多い。大勢でわいわいするのも好きだし、呑みの場でのやり取りも大好きである。コンプレックスとまではいかないが、日常会話での言葉選びの速度だと、脳味噌で考える時間が足らず、会話のテンポを優先すると、どうしても解像度の低い言葉を使ってしまうというのが最近の気づきなのだ。

これは友人が例えてくれたことなのだが、HIP HOPのラップに例えると、『私はリリック(歌詞)を考えるのは得意だけれども、ラップバトルのように即興でラップをするのが下手』ということらしい。とても的を得た例えである。余談であるが、私はHIP HOPも日本語ラップも大好きであり、いろんなラッパーの楽曲も拝聴しているし、なんならビートに乗せて即興ラップごっこをしたこともある。できるできないはさておき、それはそれでとても楽しいのである。

話を戻して、本と珈琲と〇〇のイベントでは、私自身で書き下ろした短編小説をお配りしている。当日の主題に沿った短編小説で、珈琲のお供になればと執筆しているものである。過去回のものについてはnoteにて購読することもできるので、もしよろしければ是非お読みいただきたい。

そして、短編小説を執筆しているのは別の理由もある。これは、先に述べた説明下手というところに繋がってくる。その都度のイベントの雰囲気は、端的に伝えるのが難しく、ニュアンスや雰囲気のような状態で頭の中にある。そのため、それらを伝えるために、一旦小説(物語)というものに出力するという手法をとっているのである。

こんな風に、かなり回りくどい手段をとっている私は、めちゃくちゃ面倒臭いやつなのであるしかも、過去のイベントに関して、イベントの企画打ち合わせ段階でこの小説を出店者に共有したことはまだないのだ。執筆が間に合わず、前日に徹夜で執筆、当日の朝「こんな感じの1日にしたくて」とお渡しすることがほとんどである。
(過去に出店してくださった数々の皆様、本当にごめんなさい)
今後はきちんと、企画段階で共有しようという所存でございます。

正直なところ、普段の会話でも解像度の高い言葉を使って、端的にお話しできるようになりたいとも思っているので、その練習も兼ねて、エッセイを書いてみようと考えた。日々に起こった出来事、何気なく思った事柄、ただの独り言などを、会話ではなく、文章に起こすことで、うまく伝わったら嬉しいなぁくらいに考えている。

noteのエッセイは、ラジオやポッドキャストのような音声コンテンツに近いものと私の中では捉えておりますので、コメントなども大歓迎でございます。
今後はフランクな内容のものも書き連ねる予定でおりますので、是非お読みいただければ幸いです。今後とも、何卒。


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