読書会のような交流会を
今、考えている目標像
前回、読書会を愛知でやってみたいと書きました。
これをもう少し具体的に考えていきたいと思います。
実は、そもそも僕は読書会というものにほとんど参加したことがありません。最近、東京で開催された読書会フェスというイベントで、二つの読書会を短く体験したのみです。なので、読書会未経験とほぼ一緒なのです。
けれど、経験していないから主催できないとは思っていません。読書会をあまり知らない僕が、自分流の読書会というものを考えてみました。
どんな読書会を開きたいのか
前回で書いたように、僕は本を通した交流をしたいと思っています。ただ、本を紹介し合うことを主な目的にするのではなく、人と人とが理解を深め合える場にしたいと考えています。
もちろん、本を紹介し合うだけでも、本のチョイスや紹介の仕方、内容などで、その人を知ることは大いにできると思いますし、やってみたいことの一つです。しかし、僕はおそらく会の主眼を「紹介」に持っていくと、人ではなく本に意識がいってしまう。
それならば、はじめから、本を通して人が理解し合うことを前提にすれば、軸がぶれないと考えました。では、より具体的に、どのような会にしたいのかを考えます。
本から知るもあり、本屋から知るもあり
僕は、「語る」ことを大事にしたいと思っています。何かを語ることで、その人が立ちあらわれる。そして、語る内容は好きなもの、興味のあるものがよいと思っています。僕の場合は、主に本や本屋です。
本を通してと何度も書いていますが、本屋からでもよいと思っています。なんならカフェでも旅でも街でもいい。好きなものを通すことで、その人のらしさが出てくるし、いきいきとしてくる。
僕はそんな姿が見てみたいですし、自分も出したい。そして、各々が、こういう理由でこれが好きなんだ、とか、自分ってこういうところがあるんだ、と自分に対する理解を深めてほしい。そして、そこに参加している人たちも、それぞれの人に対する理解を深めていく。
誰かが発言したことで自分の知らなかった面に気づくこともあるし、その逆もまた然り。そんな相互作用も出てくるし、何よりそういう場は、楽しくて居心地がいいと思っています。実は、心理学関連の交流会に何度も参加していて、そういった経験をたくさんしているので、自信を持っていえます。
居場所と呼べる場所を目指して
ひとりよがりな考えに聞こえるかもしれません。もともと、自分の居場所をつくるためにはじめたいと思ったこともあり、理想論に近い。
ただ、この読書会で行いたいのは、自分さえよければいいというものではありません。むしろその逆で、訪れる誰もが否定されることのない、受け入れられた雰囲気のある、安心して楽しめるものになってほしいと思っています。願わくば、居場所の一つになっていただけたら。
そのためには、哲学カフェなどで設定されるような、基本的な対話におけるルールがあったほうがいいでしょうし、相互理解が進むような意識で、主催者である自分が、会に臨むことも必要だと思っています。
様々なことを踏まえた上で、読書会のような交流会(交流会のような読書会?)を、いつか開催できたらと思っています。今は突っ込みどころの多い理想論で、曖昧な部分も多いかと思いますので、これから実際の会の流れなど、細かいところを詰めていく予定です。
前回の最後に、読書会は広義の本屋ではないか?と書きました。本をあつかう人、本を通して人とのつながりを育む人は、僕はみんな本屋さんだと思います。(内沼晋太郎さんの著書で感銘を受けた考えです。)
本を一人で読むだけでなく、本を、自分を語り合う場を、自分でつくりたい。これが今の目標です。
お読みいただきありがとうございました。
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