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こそあどの森の物語 岡田淳

全部で12巻+1巻のシリーズ。
1巻読むごとに更新していきます。

そう、児童書。
とっくに成人したのに児童書をまた紐解くのか?と思う自分もいたけれど、小学生の時に夢中になって読んだ本は、いつ読んでも魅力に満ち溢れている。
最近完結したと耳にして、居ても立っても居られず全巻大人買いしたので、子どもの頃に読んだ1〜6巻と、今回初めて読む7巻以降の感想をつらつらと書いていく。

ふしぎな木の実の料理法

あー、これこれ!
これだよ、こそあどの森の物語!

ってまずどこで感じたかというと、本の表紙を開いてすぐの見開き。
細かい森の描き込みに、あちこちに見え隠れする家々。初めて開いた時(小学生の時)に「わあ!」って感動して、顔を近づけて隅々まで見たことを覚えてる。

次に感じたのは、登場人物たちの家の見取り図。
これも舐めるように見た。
湯沸かしの家、大きな木の上の屋根裏部屋、ビンのお家、巻き貝の家。
どの家も素敵で、遊び心がある。子供の時も今も変わらず、こんな隠れ家を持ってみたいと胸が躍る。

第1巻の魅力は、主人公のスキッパーが渋々(渋々という言葉の10倍くらいの渋々さ)自分で一歩外に出ていくこと。
これで終わりと言い聞かせて、アテが外れてがっかりしながらも、最後までできることをやり抜く。
やりきったじゃないか、と自分を納得させるためにすごく大切で、すごく難しいことだけれど、スキッパーは渋々やり抜く。スタンディングオベーション。

そんなスキッパーの前向きムーブメントの中で1番嬉しくなるのは、森の住民の姉弟・スミレさんとギーコさんを訪ねる時から、話す内容を考えて練習していくところ。
スムーズにミッションを達成するためだから、全ては自分自身のためなんだけれど、たった一言であってもコミュニケーションを取るために工夫しよう・練習しようって自分から思ったことは、スキッパーが自ら家を出たからこそ。
同居しているバーバさんの後ろにくっついて出ただけなら、絶対に選択しなかった行動だし、自分で(渋々)考えて動くことを知っていく10代の少年の成長が眩しい。
気づけば「スキッパー頑張れ!」って応援している。

スキッパーの世界が広く開かれるこの巻で、「冬眠から目覚めた」と微笑むスミレさんの一言は、この冬のことだけじゃなくて、スキッパーがこそあどの森に来てから今までの10年近い期間を意味してるんじゃないかと睨んでる。
あながち間違いじゃないはず。
ウニマルに閉じこもっていた子どもが1人で訪ねて来たことは、他の住人たちにとっても驚きだっただろうし、同時に嬉しかったと思う。
双子はともかく、森に住む大人たちは皆見守っていたんじゃないかな。
”気にかけるけれど、無理強いも干渉もしない。スキッパーの思うように森で生活したら良い。”
そんな大らかな気持ちを感じ取れて、泣きたくなるほど慈しみに溢れているなと思った。この歳で読んだから、そう思えた。

春が来て、みんなでふしぎな木の実を料理するラストシーンまでは、ずっとにこにこして読んでいた。
スキッパーに木の実を送ってくれたバーバさん。
予期せぬ事故を起こしてくれたドーモさん。
みんなありがとう!

世界は広くて、私が思っている以上に素敵が溢れているのかもしれない。
という幸福な気持ちをひと匙足してくれる第1巻。


ちなみに、うんざりしているスキッパーを見守ることができるのは、多分1巻だけだと思うから、その意味でシリーズ唯一無二の魅力はあると思う


ふしぎな木の実の料理法
岡田淳著
理論社
2022年4月第61刷
読み終わった日:2022年5月28日

まよなかの魔女の秘密

1巻を読んだ後だから、表紙にびっくりする。表紙からしてスキッパーが冒険少年になっている!
目次の挿絵に至ってはわんぱく小僧じゃないか。大股で森を歩きながら、もぐもぐしているぞ、あのスキッパーが!
と、まずそこに感情が全部持っていかれる。微笑ましくて、嬉しいなあ。

珍しいフクロウを捕まえようとするところでも惜しみなく好奇心と行動力を出す。その行動力、10年間もどこに眠らせていたの?
と、こちらが目を白黒させている間に、湖の双子からスキッパーに知らされる、平和なこそあどの森に似つかわしくない大事件。
既読だから安心して読めるけれど、小学生の時はキュッと胸が痛くなったんだよね。しかも、こちらにも、トマトさんにも追い討ちをかけるように、怖くて誰も口にできないことをぽんぽん言っていく双子。容赦なさすぎる。

この双子がスキッパーを頼りにしてきたのが意外だった。歳は近そうだし、子ども同士だからかな?
彼女たちは、二人で世界が完結していそうなのに、閉じてない。双子にしかわからない不思議な世界を持ってる気配はぷんぷんするから閉じているように見えるけれど、彼女たち自身はオープンにしているつもりなんだろうな。
スキッパーにめっちゃ懐いてるし、スキッパーも戸惑いながらも仲良くしていて、「友達ができているーーー!」と嬉しくなる。
これは、この3人、ふしぎな木の実のときにお茶を一緒に飲みながら、距離縮まったパターンだな。とっても見守りたかったその光景。

ちょっと賢いフクロウと、
我が道を行く双子と、
密かに胸躍らせているスキッパー。
中盤明かされる秘密。
ワクワクがドキドキハラハラに変わる瞬間。
みんなで練り上げる作戦。
そして魔女との対決。
小さな森の物語だから大迫力の冒険物語ではないけれど、子どもたち(と一羽)の冒険譚としては読み応えがある。スリリングな展開にどんどんページをめくってしまう。
もちろん結末はハートフルだから、安心して読んでいける「こそあどの森プレゼンツ 愛と冒険の物語」な第2巻。

まよなかの魔女の秘密
岡田淳著
理論社
2020年3月第42刷
読み終わった日:2022年5月29日

森のなかの海賊船

こそあどの森に秋がやって来た。季節が巡るのははやい。
双子とヨットで遊ぶスキッパー。夏の間に乗り方を教わったらしいスキッパー。
完全にお友達で、冒頭からハッピーに溢れている。

1巻ぶりの笛吹きの2人組に出会って、冒険の幕が開ける。
スキッパーがトワイエさんの家で読ませてもらった本に見つけた秘密、初読の時はよくわからなかったんだよな。
でも今なら「なるほどこういうこと」とすんなり理解できた。
隠し文章があるなんて秘密、持っている本で見つけちゃったら大興奮だよな。
絶賛するトワイエさんの気持ちもわかる。この方、3巻大活躍の大人1人目。
後半でトマトさんに向けて色々と話すシーンで、押し付けがましくないさりげない気遣いができる人だってわかって、感激した。

3巻大活躍の大人2人目。というかもはやMVPの、ギーコさん。
ギーコさんの話の衝撃よ!
いや、ギーコさんが喋った!というところにまず衝撃を受けたけれど、記念すべき一言目で爆弾落とす!?と焦った。
しかしながらよくよく読み返すと、この人、ちゃんと1巻で一言、2巻でも一言喋っていた。申し訳ない。1冊につき一言って、とっても省エネ。そのギーコさんが驚きの内容を話すから、やっぱり二重にびっくりするのは変わらない。

トワイエさん・ギーコさんと違って、トマトさんとスミレさんはなんとなく乗り気じゃない。トマトさんは、3巻はもちろん、1巻でもみんなと違う行動する場面があって、小学生の時に苦手だなあと思ったことを思い出した。
特に3巻では、感情に従って「嫌だ」というから、読み手として納得できなくて不満に感じた。
でも今にして思えば、「和を乱すべからず」の精神が染み付いちゃってたってことなんだろう。違う意見の人がいても、こそあどの森の人は否定しない。変えてほしいなという思いがあれば、寄り添いながら説得する。
それでトマトさんが意見を曲げなかったとしても、やっぱり森のみんなが本気で怒ったり不愉快になったりすることはなかっただろうと思えるから、優しい物語だと思う。
わがままを通せる、という意味ではなく、それぞれの考えを尊重して受け入れる度量の広さを確かに感じる。

この巻は、海賊フラフラの秘密がわかるあたりから、ずっと、何か切なさを感じる。哀愁というのか、孤独感のようなもの。
作中に、100年以上前の出来事という時間の隔たりがあって、100年以上も明らかにされなかったという事実(設定)が悲しいのかもしれない。
でも、フラフラは、確かに生前は孤独になって、100年以上も拭われなかったけれど、最後に思い出の場所、宝物の眠る場所に帰って来て、かつての仲間たちと再会できたという解釈をしたい。
結末には一抹の寂しさも残る。夢のようなひとときを過ごした住人たちに残された宝物は、みんなで使ったというオプションも相まって素敵だし、ふとした時に、各々が思い出してくれそう。
宝物が住人たちの手元にあるかぎり、フラフラは孤独じゃない気がする。この印象にはどこか心地よい救いがあって、悪くないなと思ってる。

森のなかの海賊船
岡田淳著
理論社
2019年6月第34刷
読み終わった日:2022年5月30日

ユメミザクラの木の下で

1巻から3巻が、ウニマルを出たり、双子と力を合わせたり、森の住人たちと冒険に行ったりして、スキッパーにとって世界が広がっていく話・人と繋がっていく話だったとすると、この4巻で初めてスキッパーは『別れ』を経験した。
そう気づくと、儚く散っていくサクラと重なって、切なさが増す。

スミレさんがトワイエさんと話した仮説に照らせば、スキッパー自身が「子どもたちと遊んでみたい」と思っていた可能性は高い。
バーバさんの手紙と、昔、バーバさんが節をつけてかくれんぼの合言葉を唱えてくれた記憶をきっかけに、「誰かとかくれんぼをしてみたい」という思いは募ってたと思う。
(頭の中で唱えてたってことは、言いたくて仕方なかったはず)
「誰かと何かをしてみたい」という願いの芽がスキッパーの心にひょっこり二葉を出したのだろうか、と思うと、1巻の件も相まって、スキッパーの心に種を蒔くのはバーバさんなんだなあと感慨深い。
まだ手紙でしか登場してないけれど。早く帰ってきて。

そしてスキッパーは、実際に出会った子どもたちと、今までやったこともない遊びをする。
花冠を作ったり、つたでターザンごっこをしたり、念願のかくれんぼをしたり。
見知らぬ子どもと見知らぬ遊び。1人の思索や散歩だけでは得られないワクワクを感じて、まさに未知との遭遇オンパレードだったはず。
スキッパーが本当に楽しそうで、満ち足りているように見えるから、余計に突然の別れが切ない。

ユメミザクラの木の下で眠った大人たちの中で、スミレさんだけが夢を、スキッパーと遊んだことを覚えていた理由、考えてみた。
スミレさんは、1巻でスキッパーを見たときに「ハリネズミ」と呼びかけた。
しかも、子供の頃のスミレさんもスキッパーをハリネズミと呼ぶことに決めた。
ということは、スミレさんは昔、スキッパーによく似た人、もしくはよく似た髪型の人をハリネズミと呼んで仲良くしていた経験があるのでは?
そうだとすると、スキッパーのささやかな願いが引き金となってスキッパーに会いに行ったのだとしても、スミレさんにとっては昔懐かしい人に会う出来事だった可能性はある。
だから、スミレさんだけが夢を覚えていた。
とか?

もっと夢のある仮説では、子どものスミレさんが今回スキッパーを「ハリネズミ」と呼んで、その記憶が子どものときから大人のスミレさんにまで引き継がれて、「ハリネズミ」呼びが定着したのかも。
ユメミザクラの力で現れた子どもたちの世界・時代
に、スキッパーがトリップしたようなイメージ。
これも良いな。

ユメミザクラは散ってしまって、きっともう花をつけないけれど、スミレさんはずっと覚えている。スキッパーもウサギのことを忘れないと思う。
突然の別れを悲しむ気持ちも、いつかきっと、ほろ苦い思い出になっていくんだろうなあ。

また一周り成長したスキッパーに、乾杯!

ユメミザクラの木の下で
岡田淳著
理論社
2022年4月第24刷
読み終わった日:2022年6月7日

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