いいかねPaletteは、フォースと共にある。
皆さん、こんにちは。
いいかねPaletteの運営をしています株式会社BOOK代表の青柳です。
いつも、いいかねPaletteを応援いただきありがとうございます。
意外に知られていないんですが、いいかねPaletteは僕らBOOKが設立し、管理・運営を行っています。
現在、僕はBOOKの社長であり、いいかねPaletteの代表を務めています。
そして、2024年4月15日で株式会社BOOKは設立から9年目を迎えます。
僕は、福岡県田川市の出身で、いいかねPaletteの前の旧猪位金小学校は卒業校でもあります。
ですが、僕は、はじめっからBOOKの社長だったわけではありません。現会長の樋口の跡を継いで、BOOKの社員から社長になりました。
そこで今回は、僕がどういった経緯でBOOK社長に、いいかねPalette代表になったかを書かせていただきます。
そこから、今後、いいかねPaletteが大切にしていきたいことが少しでも皆さんに共有できたなら嬉しく思う次第です。
「逃げてきた」人生
―2016年 自分の父親が他界した時、僕は東京のスロット屋のトイレにいました―。
思えば、僕の人生はここ一番で「逃げてきた」人生でした。
向き合うことを避け、夢を描くことも、目標に向かって努力することも避けてきました。
自分が凡人であり、その身の丈を知るのが怖かったし、身から出た錆を受け止めるのが怖かった。ここぞという時にはいつも弱い自分に流されて、咄嗟に嘘を並べてきました。
嘘をついて習い事をサボるところから始まり、見知らぬ人と競う大会も見知らぬ場所での受験も、色んな理由をつけて逃げてきました。
自分に非があっても受け入れられず謝ることができない、時に人になすりつけて仲間を犠牲にすることもありました。
バンド、バイト、嘘
そうして大人になった僕は、大学時代、バイトをしながらバンド活動に没頭していきました。
バイト先の店長や先輩方とは、多くの苦楽を共にし、散々とお世話になりました。
そんな中、バイト先で大変なことがおきたのです。ここで詳しくは書きませんが、それは店長や先輩方にとって今後の人生に関わる大きな事件でした。
僕は、この時、ここ一番で逃げました。
僕は、その事件に巻き込まれたくない一心で多くの嘘をつきました。その時、共に最後まで添い遂げなかったことを今でもずっと後悔しています。引け目から、長らく顔を合わすことができませんでした。
野心、上京、荒廃
その後、上京した僕は、おもしろいことをやって出世してやると野心だけを抱いて広告映像の世界に飛び込みました。
お金もそこそこ稼ぎ、そこそこ自由に仕事をさせてもらっていたと思います。
ですが、見栄と堕落した生活がしみつき、ギャンブルや飲み、キャバクラを繰り返しては散財し、毎晩夜中まで遊んで帰るような生活を続けていました。
お金は湯水のように湧き出てこないので、稼いでも馬鹿みたいに使ってしまい、結局お金がなくなって人様に借りてしのぐような生活です。
嘘をついて、お金を得たこともあります。
そんな時に、父親に病が見つかりその余命がいくばくもないことを知らされます。
心配しつつも、なんだかんだ大丈夫だろうと高を括る僕は、父親の元に大して帰らず、変わらず見栄を張り堕落した生活を続けていました。
そして、2016年8月。父親が他界します。
僕は、変わらず東京のスロット屋にいました。
悲しみに勝る恐怖、そして虚しさ
そこは、地下のためスマホの電波が入らず、兄 貴哉からは何度もスマホに着信があったのですが、電話は鳴りませんでした。
気づいた時には、いくつも不在通知が入っており、まさかと不安になった僕は慌てて外に出て電話をかけます。
電話先、兄は泣きながら言いました。
「お前何しよん?親父死んだぞ。」
今でも、東京の夏の喧騒の中、スマホを片手に呆然としたことを覚えています。
気づいた時には、品川駅から新幹線に飛び乗っていました。その時、所持金は1万円もなかったと思います。
とにかく、怖かった。
愛する人を失くす寂しさでなく、自分自身の情けなさに涙が止まりませんでした。
まっすぐに悲しむことができず、父や家族に対して何もできない自分に対して―寂しさよりも先に一家の大黒柱を失った今、「俺はこれからどうすりゃいいん…」と真っ先に我がごとを考えて不安に震えていた自分が本当に情けなかった。
何の努力もせず、見栄ばかりでお金もない男が大切な人を失うと、こういうことになります。
寂しさはそこから数カ月後、かなり遅れてやってきました。虚しかった。
二度とこんな想いはしたくない。初めて、強くそう思いました。
寝ずの番にあらわれた2人
人生で一番つらいことは、お金がないことでも、大切なひとを失くすことでもない。「ここ一番で、嘘をつき逃げてしまうこと」です。
父親の通夜、寝ずの番、僕と兄のところに僕らを心配して樋口と大井が訪ねて来てくれました。初代BOOK代表の2人です。そして、その場で2人から一緒に仕事をしないかと誘われました。
これが、僕がBOOKで働くことになった一番はじめのキッカケです。こうして、僕はBOOKメンバーになります。
ここ一番
心機一転、性根を改め、生活を改めて働き始めたBOOKでの仕事ですが、2018年夏、いいかねPalette開設から僅か1年と数カ月でBOOKは債務超過に陥り、メンバー全員がクビになります。
よく聞かれるので、これを機に、なぜその時に僕がBOOKにボランティアとして残ったのかも書き留めておきます―できる限り短く。
理由は、簡単。
今これ、大切な「ここ一番」じゃない?と思ったからです。
上からも分かる通り、僕の人生は逃げてばかりで、決心もなければ覚悟もない人生だったと思います。
ノリとキャラで誘われるがままに、主体性なく、見栄と欲望のまま生きてきました。
その行く先に起きた父親の死、そして、BOOK倒産の危機―。
多くの取り返しのつかない過ちが、僕に教えてくれました。
「僕は僕の人生を生きているようで、僕の人生を生きていない」ことを。
また弱い自分に流されて嘘をつき、逃げてしまって良いのか?
もう逃げたくない
僕が、無償で構わないからBOOKの経営を建て直させてくれと話した時、樋口は凄く嫌がりました。もう迷惑をかけたくないと―今でもその表情や震える声を覚えています。
自分のせいで仲間を失う経験。樋口の気持ちは、不思議と僕にも痛いほど分かりました。なので、BOOKや田川にこだわらず、また都会に出て違う仕事をすることも考えました。
でも、ここで樋口がそう言ってるからと、本当にこのまま諦めていいのか?
BOOKを、いいかねPaletteを、そして、何より自分自身を。
もう二度と逃げたくない。
自分の人生を自分の手で選ぶこと
小さい時から大好きだった兄のような存在の樋口が目の前で苦しむ姿を前に、今、逃げ出してしまったなら、僕はこれから生涯ずっと変わることはできない。
たとえ、誰かに馬鹿にされようとも、今より貧乏になろうとも、結果、救えなくたって―。それでも、逃げず、ここ一番で大切なひとのそばに立ち、役に立ちたかった。
何よりも、それを自分自身の手で「選択」したかった。
弱くてダサい逃げまくりの僕が、逃げない決心をする。
そんなちょっとの「愛」と「勇気」が、僕をBOOKに残したんだと思います。
そして、BOOKの経営を建て直すため、いいかねPaletteの運営や販促、映像制作の営業などのボランティア活動を経て、僕はBOOK社員に戻り、2年前、社長に就任しました。
BOOKの社長になれたことは光栄ですが、決して狙っていたわけでもなく、本当におまけ的なものだと思ってます。笑
ただ、あの日。過去から逃げなかった自分だけは褒めてあげたい。
今は、その道の先にある未来なだけです。
まだまだ続くよ、ここ一番
コロナ禍が明けてもなお、多くの中小企業が休廃業、また解散に追い込まれています。廃校利活用においても、その運営の難しさから撤退を余儀なくされる施設も増えてきました。
BOOKは、いつ潰れてもおかしくない会社です。
いいかねPaletteは、いつなくなってもおかしくない場所です。
変わらず、未だに苦しい経営状況にあります。
それでも、僕らはいいかねPaletteを諦めないし田川を諦めない。何より自分たち自身を諦めない。
今の僕を突き動かすのは、いいかねPaletteを愛し関わってくれる仲間たちです。みんなの役に立ちたい、そして、みんなで社会をもっとおもしろくしたい。
それは、あの日、道半ばで別れるしかなかった初代BOOKメンバーが思い描いた、みんなが憧れる田川をつくること。
そして、未来、今日この瞬間に自らの弱さを乗り越えて明日に向かって決心した自分とみんなに、「あの日の決断は間違ってなかったよね。だって、僕らも世界もあの日より数十倍おもしろくなったよ。」と言うためです。
まだ夢が叶ったわけでもない、お金だって決してない、だけど今僕は幸せです。
もう二度と、僕は逃げません。
「愛」と「勇気」で、過去の自分をちょっと越えていく。
僕は、それを、心に「フォースを宿す」と言ってます。
そして、フォースの先に多くの仲間が僕らを待っている。
いいかねPaletteで、それぞれの心に「愛」と「勇気」の火を灯しましょう。
そこに仲間がいれば、きっと人間の可能性は無限大です。
最後になりますが、現在までいいかねPaletteを運営できているのは、本当に多くの方々の支えがあったからです。この場をお借りして心より感謝申し上げます。
いいかねPaletteを愛し、遊びに来てくださり、関わっていただき、いつも本当にありがとうございます。
これからも、ともに田舎から社会をもっとおもしろくしましょう。
フォースと共に。田川で待っています。
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