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とある映画と出会うまでの話


 それまで私にとって映画というものは金ローか長期休みの特番かwowowで放送してるのを録画してダビングして、気に入ったのを繰り返し家で見る、そういうものだった。映画館という場所も家族か友達と行くもので、自分一人じゃ行かない、「行けない」ものだとなんとなく思っていた。
特別な時にしか行けない場所。行く時は準備して、心構えをして、備える。
気軽にふらっとなんて、とてもじゃないけど行けなかった。

 そんな私の認識が変わる日があった。
2019年1月。
プレイしている刀剣付喪神と歴史を守る某ゲーム、その劇場版が公開されていた。
Twitterの趣味垢TLで評判を知り、気になりつつも勇気が出ず、二の足を踏んでいた。
けれどそうこうしてるうちに公開終了が迫っていると聞いて、
どうしても観に行きたくなった。
衝動的に近場の劇場を調べ、どうにか自分でチケットを買い、家族に断りをいれ、一人映画館に駆け込んだ。
誰かに買ってもらったものでなく、また小遣いからでもなく、自分のバイト代でチケットを買った。方向音痴も心配性も、文明の利器・iPhoneで調べて乗りきった。

日頃から優柔不断の心配性、初めてのことに対しては腰が重い私にしては早い動きだったと今でも思う。
ネットでチケットを購入して近場の劇場へ駆け込むまでは2時間もかからなかった。

積み重ねてきた躊躇いと緊張を好きなものへの関心と未知への興味とで吹っ飛ばして駆け込んだあの日、大学生になってから初めて私は「映画は一人でも観れる」ということを身を持って知ったのだ。

映画を観る。親しい誰かとその面白さや楽しさを共有するのとは別に、自分1人でダイレクトにその作品を感じて味わうという事は、想像していた以上にどきどきして…素晴らしい経験だった。

これが私の、ひとり映画の第一歩だった。

 それから数ヶ月後、夏が始まる7月。
残りの単位取得・卒業制作・サークル最上級生、そして就活がのしかかる大学4年生という状況にようやく馴染んできた頃。
私は慌ただしい1ヶ月の合間を縫って、映画館に行くようになっていた。
専ら、授業が一つも入ってない全休の火曜日に。

 朝が得意じゃないくせに早めの時間でチケットを取って行く。
平日の、それも朝に映画館に来る人は多くない。
人目を気にせず観れることに味をしめた。
それにバイトやサークルが無い日なら午後にも追加で一本観れる。
時間もお金もそんなに無いけれど、
某映画館の会員カードも作って、色んな映画を観に行った。
街中の広告やTVのCM、映画の上映前の予告編。気になる作品はたくさんあった。一度にたくさんは観れなくても、行きつけになった最寄りの映画館のHPを眺めては、次はあれを観ようこれも観ようと考えるのは楽しかった。

 特に、上映前の予告編が好きだった。予告編は一つの物語の切り貼りだ。その時目にした一瞬が本編でどういった意味になるのか、どの場面なのか何となく想像してストーリー展開を予測する時間が良かった。
幾つも幾つも面白そうな予告が流れるのを、わくわくしながらも初見の頭で出来る限りのキーワードを覚えておいて、後で改めてタイトルを調べて観に行ったりするようになった。


 そんな日々の中、一つの映画の予告を劇場で観た。




『−この街も僕も君も、現実だと思っていたこの世界は
                全部ただの記録(データ)だった−』

穏やかな風景にぽつりと静かに落とされたモノローグから始まる、
2分にも満たない映像。
衝撃的な事実と思わしきセリフ、未来の自分との邂逅、好きな人を助けたい、奔走する日常に世界の崩壊という大きな出来事。
次々と切り替わる場面と映像、断片的に捉えられる言葉、それらを包み彩る音楽。目に、耳に、飛び込んできた全てが心にヒットした。


それが、映画『HELLO WORLD』との出会いだった。 


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