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日記② おすすめから脱したい

SNS疲れ

 最近SNSを見てても疲れるだけのことが多い。先日選挙があったから、SNSは選挙のことばかりだ。
 選挙関連のお祭り騒ぎがあったことで、最近SNS合わないなと思っていた気持ちが確かになった。某候補者への手のひら返しは見ていられない。アルゴリズムによって、自分に似通った意見ばかりを目にすることで、人々は自らの意見をより頑なにするだけだ。そして、自分が空気読めてる側だと思うやいなや、喜んでKY叩きをはじめる。
 何がしかの主張をすると袋叩きにされるかもしれないので、誰もが自由に発信できるプラットフォームとしてのSNSは原型を留めていない。日本人は空気を読むことが得意すぎ、逆に空気がないとやっていけないので民主主義にも宇宙ビジネスにも向いていない。

冷笑にハマる世の中

 日々使うSNSとかには大体おすすめ機能がついている。SNSだけではなくいろんなアプリにも。そしてどんどん自分の好きなもの、興味あるものが流れてくる。そういうおすすめ機能は便利なものなはずなんだが、それによってむしろ貧しくなっている部分もあると思う。
 例えば、最近相手を論破したり切り捨てたりすることがいやにもてはやされている節がある。手越がイッテQに出てた時はディベート対決なんて全然見かけなかったやん。俺はコモドドラゴンと格闘するイモトが見たかったのに、今では相手にきつい物言いで迫って困窮させるのがエンタメになっている。
 こういう冷酷な態度が流行るのに、おすすめみたいなのも少し関係しているんじゃないかな、と思ったりする。
 インターネットから、日々膨大な情報が私たちのもとに流入してくるようになった。その一方で、仕事とか勉強とか家族との時間とか、みんな色々抱えていて、1日の時間は限られている。だから、その膨大な情報の中で自分にとって必要のない情報は除かねばならないし、それを助ける機能が好まれる。つまるところ、自身の摂取したくない、する必要がないと感じた情報に向き合うことは現代人にとっては大きなストレスなんだろう。そんなわけで、自分の考えとちがう意見の人を、要らない情報の発信源とみなしてブロックすることに慣れてしまった気がする。
 みんなが意識しているかどうかはさておき、人へのこういう見方は、ネット・リアルに関わらずある程度社会に浸透してきてしまっていると思うし、それが切り捨て論が流行っていることの一つの要因な気がする。

なんとなくのまとめ

 視野を狭めてしまわないよう、日々の生活の中で偶然性を大事にしていけたらいいなと思う。たまーに仕事するyoutubeのおすすめも良いが、あんまり話したことなかった人と話してみたり、ふらっと気になったお店に入ってみたり。
 日々の生活を豊かにする方法はおすすめ以外にもきっとたくさんある。
 狭く深くを好むタイプだからこそ心に留めておきたい。

もしここまでお付き合いくださった方がいたなら、ありがとうございます。

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