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20220217 秘密について

私のワンルームの部屋にある茶色の本棚に並ぶ本の中に「ゾッキ」という漫画がある。AとBを持っている。なんだかずっと昔の記憶を、はたまた昼寝しながら見た夢みたいな漫画。2年前の春、なんとなく手に取って読んだ。そのあと、なんと大好きな松田龍平が映画化の際に出演すると聞いて、いろいろ調べてみたら、映画監督が竹中直人・斎藤工・山田孝之と知り、さらに大興奮した。なぜなら私は竹中直人も大好きだからだ。

好きなものと好きなものが連鎖してまたさらにでっかい好きなものになっていく感覚が好きだ。

そんなわけでその後、もちろんスクリーンで映画化した「ゾッキ」を観て、さらに私はそんな「ゾッキ」の大ファンになった。

ゾッキのワンシーンでこんなセリフがある

人は秘密がなくなったら死ぬんじゃないだろうか?

私が読んだゾッキA.Bにはなかったセリフだった。

月が夜道を照らす帰り道、私はよくこのセリフのことを考えることが多くなった。夜道は寝る前の目を瞑った瞬間のあの時間よりいろいろ考えてしまう。なぜだろう?

私には秘密がある。誰にも言ってない話だ。もちろん秘密だからここにも書かない。というか多分、死ぬまで私の体内に置いておくと思う。

単純に「秘密」と言っても本当に本人だけが知っている秘密だったり、その「秘密」になった出来事を知っている人が本人だけになった秘密だったり、いろいろ種類があるとして。

私はまだ生まれ落ちて23年ならないくらいだけど、秘密がある。
それはとても特別なことだと感じる。

誰かに打ち明けたらそれはもう「秘密」ではなくなり、ただの「出来事」に変わる。自分だけのものじゃなくなる危うさに似た儚さ。
でも猛烈にその出来事を誰かに聞いて欲しくなる衝動、人によっては「秘密」を思い出しては心を震えさせるようなことかもしれない。そんな爆弾を抱えて生きていくような感覚。

この感覚は、とても特別で、さらに生きるという行為そのものにも当てはまるような気がするのだ。すぐに元の形じゃなくなってしまうような爆弾を抱えて、止まることはない感覚。

そう夜道を歩きながら考えた時、人は秘密がなくなったら死ぬなと、私もまた感じた。

明日も私は私の秘密を〝密かに〟抱えて働く。働いて寝て起きていろいろ考えて、秘密は年季が入った物のような傷をつけていく。そして私はいつか、秘密を誰にも打ち明けないまま死ぬ。

秘密は秘密ではなくなる。

人が死んだら秘密はなかったことになる

これは「この世界の片隅に」という漫画のワンシーンにあるセリフだ。このセリフも「秘密」について対峙したときに考えさせられる言葉だと感じている。

人が死んだとき、秘密もまた死ぬ。
消えてなくなる。つまりなかったことになる。思い出よりもっと頼りない形で。

「生きることと」と「秘密」は切っても切り離せない関係性にあるのではないだろうか。

そんなことを考える2月の夜道だ。
たぶんまた私は秘密について考えては、ちょっとドキドキして、そのドキドキから湧き出るほんの少しのエネルギーで1日を終えていくのかなと思う。

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