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個人的な読書遍歴を思い返したところ、自分が形成される過程をおさらいすることになった話。

「ーーがしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身は―ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない。」(伊丹十三著、『女たちよ!』まえがきより)

モノゴコロつく頃からなんの疑問も持たずに本を読んできましたが、最近、 読書遍歴について思いを馳せることが何度かありました。

一度目は、澤村伊智さんの著作を読みながら「この作家、ぜったい私と同じような本を読んできてるわ」と確信せずにはいられなかったとき。後で確かめたら、バッチリ同世代の作家さん。
そして2度目は荻上チキさんのインタビューで挙げられていた読書遍歴が、こ自分の高校時代に読んでいた作家さんとまる被りだったとき。彼もだいたい同世代。

もちろん、多作で息の長い作家さんや、何世代にも渡って愛される作品がさんが多々存在するのは承知ですが、本にも流行り廃りがあるもので、同じ年代の人は似たような読書体験をしてきているみたい。同じような本を読んでいても仕上がりがずいぶん違うのは、個体差ということで。

自分の読書履歴を思い返してみると、当時の世相や社会的な空気感も相まって、なるほどミステリやホラーが好きになるわなぁ、と自分の素地の成り立ちを再認識出来ました。

そして、冒頭の伊丹十三のことばが浮かぶんです。そう、私はもともと空っぽの容れ物で、今まで読んだ本の蓄積が今の私の嗜好を作ったんですよね。

ゆる読書会のファシリテーターさんたちとのチャットでも読書遍歴を語り合う予定があるので、ちょっと書き出して、自分なりに整理してみたいと思います。

まず小学校以前。

そのころ何を読んでいたかというと、とにかく絵本。
食べ物の描いてある絵本が大好きで、全ページに「○○のん」(関西弁で○○のもの、の意)と書きなぐるほど好きだったようです。
それから、旬の食材事典と図鑑。お菓子の基本、というタイトルの料理本。 母が持っているものを、すべては読めないまでも延々と「見て」いたようです。
幼稚園のころ、児童書の背表紙に書いてあった「しつけ」の字を「しっけ」と読んで「なんでこの本に関係のない文字が書いてあるんやろ」と疑問に思っていました。一番古い、背表紙の記憶です。

小学校に入り、漢字も覚え、図書室というものに出会います。 

図書室、良いですね。今まで知らない本との出会いに溢れていますね。 
そこで私がエンカウントしたのが子供向けの「古典落語全集」。
有名どころの古典の名作がぎゅっと詰まった、全10巻ぐらいの全集はけっこうなボリュームでしたが、その中の「のっぺらぼう」か「まんじゅう怖い」のどちらかを『怖い話の本』だと勘違いして手に取ったのが始まりです。

ちなみに、世代的に分かっていただける方は分かっていただけると思うんですが、90年代っていうのはノストラダムスの大予言を始め、終末論だったり超常現象や都市伝説のようなものが子供の間でも浸透するくらいの社会的ブームになっていまして(いわゆる第二次オカルトブーム)、振り返ってみるとまぁものすごい世相だったのです。いまではサブカルチャーとして受け入れられていると思うのですが、当時はドンズバのメインストリーム。

けっきょく、その「のっぺらぼう」だか「まんじゅう怖い」だかは、当たり前ですが怖くもなんともなく、しかし、あざやかな言葉遊びやひざを打つほど上手いオチ、江戸の人情噺の面白さに逆にハマった私は、あっという間に全集を読破。そして全集読破のカタルシスを覚えてしまい、「「シートン動物記全集」、「ファーブル昆虫記全集」と全集を読み終え、そのまま「講談社 青い鳥文庫」「講談社 KK文庫」「ポプラ社 江戸川乱歩 少年探偵シリーズ」へとなだれ込みます。  

小学校高学年。文庫本って小さくておとなっぽい。

ハタと気づくと、いつのまにやらクラスメイトが見慣れぬピンクの文庫本を回し読みしてるじゃない…。それが「講談社X文庫 ティーンズハートシリーズ」の『時の輝き』(折原みと著)でした。

今までの落語やら怪談やら少年探偵やら動物昆虫やらの世界とは、まったく違う世界。クラクラするようなきらびやかさ。表紙の女の子もキラッキラ。クラスの女子がキャッキャとはしゃぐのを横目に、私は「一応読んでみたものの、いまいちピンとこんなぁ…」と、クラスのブームに乗りそびれたのでした。そりゃ田舎の小学生にティーンの恋愛はピンとこないよね。

あまりのきらびやかさにおののいた私は、しかし手の出しやすいサイズとお値段の『文庫本』という存在を知り、その手軽さにどんどんハマってゆきます。
その次に手を出したのは講談社文庫の「ムーミン谷シリーズ」(トーベ・ヤンソン著)。アニメで知っているような明るさだけではなく、彗星が落ちて世界が破滅しそうになったり、冬眠から一人目覚めてしまったり、パパがちょっと鬱になってしまったりと、なかなかの暗さ、不安、胸騒ぎにあふれたシリーズでした。明るく楽しいだけではない物語が、余計に子供だましではない感じだし、あちこちに散りばめられている、聞いたこともないような処世術、人生訓のようなセリフや哲学的なやりとりに、外国の文化を感じてワクワクしていたものです。
あと、なぜかこの頃に同級生のお母さんが「葡萄が目にしみる」(林真理子著)を貸してくれました。きっと、うちの母が「文庫本ばかり読んでる」みたいな愚痴をこぼしたに違いない。ちょっと大人っぽすぎる本を貸してもらった私は、初めて本を読了できませんでした。軽くショック。

さて、晴れて中学生。電車通学が始まりました。

 鞄に入れるのはもちろん文庫本。
このころ、新本格ミステリブームはまだ続いていて、講談社文庫のミステリを2日で1冊ほどのペースで読み漁っていたような気がします。 
そして角川ホラー文庫が創刊されたのも、ちょうどこの頃でしょうか。
『リング』(鈴木光司著)が大々的に売り出されていて、黒い表紙の文庫本が続々と棚を侵食していく様子にワクワクしたものです。
電車通学により行動範囲が広がり、あらゆる本屋に寄り道したり、古本屋のワゴンを漁ったり。少ない小遣いからどれだけ面白そうな本を買えるか、というチャレンジに燃えていたのでした。新刊でも文庫なら1000円で2冊買えたんです、この頃。

続いて高校生。

相変わらずの電車通学。このころになると、一日の終わりに風呂に本を持ち込み、読み終わってから出る、という奇習が始まります。安く手に入れた古本は、次々と風呂の湿気でヨレヨレになっていきました。本に申し訳ない、とは思うものの、どうしても読んでる途中で手放せず…。よく考えればものすごい長風呂で、家族にも申し訳ないな…。  
この中高生の頃、本屋の棚や古本屋のワゴンで出会った作家は数知れずーー妹尾河童、遠藤周作、井上ひさし、筒井康隆、椎名誠、阿刀田高、鈴木光司、原田宗典、さくらももこ、群ようこ、中島らも、島田荘司、綾辻行人、京極夏彦、桐生操、山田詠美ーー。
世代も何も関係ない、ごった煮のような読書を通して、好きな作家や作風がなんとなく固まってきた時期でもあったと思います。 

大学でも隙あらば図書館へ入り浸ります。

が、読書に割く時間は減りました
その代わり、映画の原作本を読んだことをきっかけに、翻訳SFや翻訳ミステリなどの海外作品、哲学入門や純文学、古典と、今までなら手に取らなかったようなジャンルの本にたくさん触れた時期でした。 
この時期に読んだ伊丹十三のエッセイの数々には深く深く感銘を受け、今でも心に楔を打ち込まれたままです。本当の教養、品格、ヨーロッパの粋とは、女とは、男とは…いずれも背筋が伸びてしまうような随筆の数々を、この時期に読めたことは本当に幸運でした。

就職超氷河期。

薄氷の上をすり足で這うようにして、とある企業へ。やったぜ!
この時期に初めてキチンと読んだビジネス書。社会人1年目は覚えることが多く、タダでさえアワアワするのですが、なにしろ今年の採用人数が少なく、身近に同期がいない。情報共有や切磋琢磨する相手もいません。
この頃は、漠然と「学生から社会人にレベルアップしてくれる」メソッドや考え方を探していたように思います。そんなのが本読むだけで手軽に分かるようなら、この世にビジネス書は必要ない、とは気づいてない頃です。
当時、同じようなビジネス書を何冊も読みましたが、しっかりと記憶に残っているものは一冊もなし。結局、最後に残ったのは「いまやろうと思ってたのに」(リタ・エメット著)という「先延ばしグセを直す方法」の本。結局、自分が身動きが取れない時、その原因は何なのかを明らかにする手法が一番役に立ちました。
あれもやりたいこれもやりたい。やらないと終わらない、手を付けないと始まらない。そんな当たり前のことは分かっているのに、それでもなぜか取り掛かれないイライラを、身をもって感じていた時です。
未だに先延ばしグセは治ってませんけど、理屈は分かってるんですよ、理屈は。これがいわゆる先延ばしグセなんですけどね。 

現実は小説より奇なり。なぜか海外へ移住。

「奇なり」とか「なぜか」とか書きましたが、結婚を機に海外に移住することになるという、ごく一般的な海外移住です。 
とにかく一番の問題は、読むものがないこと。他に問題が無いと言ってしまうと嘘になってしまいますが、とにかく日本語の書籍にアクセスできないのに困りました。どこに売ってるのか見当すらつかない。教えてくれる日本人の知り合いもいない。目がスカスカします。
この頃は日本へ出張があるたびに、スーツケースの半分を単行本で埋めて帰ってくる、という蛮行を繰り替えしていました。おそらくそのせいで、いくつものスーツケースがすぐに壊れてゆきました。ごめん。

カナダの自宅で大問題発生。

本を置く場所がない!譲る先もない!本は重い!タスケテ!
なんということでしょう。
調子乗ってホイホイ出張に行って本を買い続けた結果、もう読み直さないであろう本がどんどん溜まっていくという怪現象が…!(キャー!!悲鳴のSE)
同じ本を何度も読むこともできず、読み終わってからお譲りする先もなく、読み終わった本だけが積み上がっていきます(日本人の友人ができるのは子供が生まれた後のことで、当時は日本人がが周囲に存在しているなんて思ってませんでした)。
この頃、自分のミステリ好きを呪ったものです。一度謎解きを読んでしまうと、二度、三度とは楽しめません。それからは、本を選ぶ基準が「何度も読み直して楽しめそうな本」に代わりました。
それでも本は増え、IKEAの本棚はベロベロにたわみ、段ボールの底はバリバリ抜けていきます。
この頃の電子書籍市場はまだよちよち歩きのような印象で、大手資本のサービスが停止になったりと、海外からのアクセスが出来なかったりと、まだ手を出せていませんでした。 

電子書籍との邂逅。

それにしても、大手の電子書籍サービスなら安心であろうよ、とKindle とKOBOのどちらを導入しようか迷いに迷うこと数年。
あるとき、日本へ出張に行った際に、思い切ってKOBOで本を一冊買ってみました。楽天ポイント溜まってたし、失うものはなさそうだし。
なんということでしょう(2回目)。
よ、読める。携帯でも本が読める。ちょっと紙の書籍とは勝手が違うけれども、読める…。感動…圧倒的感動…ッ!!気づけは私の頬を、一筋の熱い涙が伝い落ちるのでした。嘘ですけれども。

今に至る病。

「殺戮に至る病」(我孫子武丸著)みたいになりましたが、それから子育ての合間に電子書籍中心の読書環境を整えて、今に至っております。 
現在、主に使っているサービスは、Kindke Unlimited とAudible。そしてKindle のセールやキャンペーン。我ながらアマゾンにズブズブですね。
Kindle Unlimitedは、最近ラインナップが非常に充実してきていて、しかも一度に購読できる数も20冊に増えました。一生使うと思います。
そして、しばらく前にAudiobook から乗り換えたAudible。こちらもラインナップがKindle Unlimited より新しかったり、話題作も多かったりと大満足で、こちらも一生使いたい。
だいたい毎日読んだり聴いたりしているのですが、読了の興奮状態のまま次の本を読み始めてしまうので(リーディング・ハイ状態)、読書ログをきちんと書けないのが悩みです。

でも、海外に住む読書好きとして、これ以上幸せな状態ってないかも知れません。 

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