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「値段なりの仕事をします」という言葉

 私の妻は落語家(個人事業主)である。

 毎年、妻が確定申告の為の書類整理をひーひー言いながらやっている。
 わざと私の前でひーひー言っている気はするが、そんな姿を見せられては手伝わないわけにはいかないので、私は割と前のめりで手伝う。毎年のその共同作業がなかなか楽しいからだ。

 昨年に比べてどういった種類の仕事が減っただとか増えただとか、コロナ禍前と後の違いだとか、二人で話しながら領収書や支払調書の整理をしていく。
 日々の暮らしの中で妻の仕事の内容はだいたい把握しているつもりだが、この確定申告の為のお金関係の書類を見ていくと、まるで同じシーンが別のカメラアングルから映し出されたような気持ちがするから不思議だ。

 妻の一年間の活動の一日一日を想像したり、同行した仕事については思い返したりするのだが、いつどこへどんな仕事に行き、経費がどのくらい掛かり、その対価として幾らの収入を得たのかを書類で再確認すると、
「一年間、本当にお疲れ様でした」
と殊勝な、ややしんみりした気持ちにもなる。

 話は変わって、先日のこと。
 仲介者を通して一人のフリーランスのベテランデザイナー氏に仕事を依頼する機会があった。
 落語会のチラシデザインの発注で、いつもならよく知っている人や私が作成するのだが、この時はいつもと違って、初対面の方にお願いする運びになってしまった。そしてどういう方かよく知らないまま打ち合せ日を迎えた。

 依頼内容を伝えた後、早い段階でお金の話をしてしまいたかったので、デザイン料を提示したところ、良い反応が得られなかった。
「ええ! そんな反応されたら仕事の質に影響が出るんじゃないかって心配になるじゃんか!」
 心の中で悪態をついた。信頼関係が築けていないので、報酬が安いから手を抜こうと思われたら嫌だなと心配になってしまったのである。だから明け透けに聞いたところ、やはりその方の相場よりも低めだった。その方を低く見積もったという失礼な構図になってしまったので、予算的に苦しい事を前置きして少し増額してみた。ここのやり取りはおそらく、私の前でひーひー言いながら確定申告の準備をしている妻と同様、ややクサめの表情や声色だったと思う。
 そして、デザイナー氏はこう言った。

「大丈夫ですよ。値段なりの仕事をしますよ」

 実は私も数年前まではフリーランスとして仕事をしていた。その時に何度となく聞いてきたセリフである。
「値段なりの仕事をします」

 それはきっと、例えば報酬が5万円だった場合、その仕事にかける時間を、(自身の基準の)時給換算か日給換算かわからないけれど、5万円分の時間のかけかたをしますということかもしれない。

 でも私はこう思う。
 同じ期限で、もしこちらの予算が潤沢で報酬が100万円だった場合、あなたの「100万円なりの仕事」ってどういうものでしょうか、と。
 5万円との差額95万円分の差が付いたデザイン性の違いを明確に見せる事が出来るのでしょうか、と。

 こちらも初めに失礼な金額を提示してしまったのかもしれないけれど、「値段なりの仕事をします」という言葉もやはり失礼なのではないか。

 そして出来上がりは、報酬に見合ったとは思えないものだった。もっと言えば、最初に提示した金額でも不満足だと思えるものだった。
 さらに集客の役割も十分に果たされなかった。
 そもそも〆切も守って貰えなかった。

「デザイン」は好みと言ってしまえばそうだし、来てくれたお客さんはそのチラシのおかげだという考え方も出来る。〆切が大幅に遅れたのも発注したこちらの指示や段取りが悪かったせいかもしれない。

 でも。いずれにしろ、クライアントである私が「払った分の仕事がなされなかった」という印象が残った仕事相手だったということに変わりはない。

 翻って、同じフリーランスの立場の妻は、どんな仕事でも、報酬の多い少ないに関わらず、自分の出来る事を精一杯やっている。その姿を私は間近で見ているので、いやでも比べてしまう。

 一度、ある仕事でお客さんをあまり笑わせられずに落ち込んでいた妻に、
「安い出演料なんだし、別に気にすることないんじゃないの?」
 と言ってしまった事があった。
「わかってないね。この仕事はそういうんじゃないの」
 この妻の言葉を聞いて私ははっとした。二度とそんな慰め方はしないと誓った。
 安い報酬だからウケなくてもいいなんて、まさにかのデザイナー氏と同じ発想なのであって、私はこの時の自分の発言を思い出すととても恥ずかしくなる。

 フリーランスの報酬は、下手をすれば赤字の時もあるし、思ったよりも多い時もある。
 でも、いついかなる時も最高のパフォーマンスで臨まなくてはならない。対価は後から付いて来る。

 妻の確定申告時期に見るお金の明細は、数字の奥に隠れた、そんな大切な事を私に思い出させてくれるものである。

 

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