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連続X小説 光と影 61〜73

 この時K氏が、抱えた仕事を私達に振って旅行に行く図々しさを持っていたら、もしかするとまだライターを続け、大成していたかもしれない。だが実際は恋人に旅行の中止を伝え、泣きながら別れを告げられたのだった。編集部総出で穴を空けずに済んだが、彼は人生そのものを失ったようだった。
 
 N氏の連載に登場する女性はとにかく不幸の宝庫だった。N氏の意向を汲んで、私が前もってマネージャーにリサーチしていたのもあるが、回が進むに連れて事務所から「こんなコがいますよ」と売り込まれるようにもなった。連載は順調で、N氏はK氏と違って「ネタ」の使い回しが上手かった。

例えば、信頼する誰かに騙されて酷い事をされたり、日常的に自傷行為をしていたり、家族でホームレスになった経験があったり…そういうネタをN氏は読者層が被らない媒体を選び、一度の取材で二度も三度も原稿を書き分けた。やがて編集部内にN氏の書くものが嫌いだと言い出す者が現れた。

 Yは私よりも1年後輩、年齢も一つ下だった。最初から男性誌希望で、誰よりもエロ本が好きだった。趣味はロリ、「それは読者は喜ばない」が口癖だった。多忙になったK氏の代わりに撮影に同行するとカメラマンのアングルに「読者は喜ばない」とケチをつけた。そのYがN氏を批判し続けた。

「顔はロリで気が強いコがいいんですよね。ボク、ドMなんで」と聞いてもないのに性癖を話してくる後輩Yは本当に鬱陶しくて生意気で一緒に仕事をしていて辟易したが、彼のくだらなさ過ぎる下ネタには思わず笑ってしまった。私とK氏とYはいつのまにか行動を共にするようになっていた。

 2001.9.11。
 その日は残業をしていて会社でニュース映像を観て少なからずショックを受けていた。その後、日本の貿易センタービルも攻撃を受けるんじゃないかと噂され、その頃母が働いていたので心配していたものだ。心配してはいたが実家に帰る事は少なく、毎晩のように新宿辺りでK氏とYと私とで飲み歩いていた。
 
 よく三人で飲みに行ったし、そこにN氏が加わることも度々あった。Yが「不幸な生い立ちなんて知りたくないんですよ読者は。誰も得しないじゃないですか」と絡めば、N氏は「Yくんこそ、誰々ちゃん、可愛いエロいなんて書いて何が楽しいの? 誰でも書けるでしょそんなの」とやり返した。

 私の会社で売れていた本は、フレンチブルドッグ雑誌と血液型本の亜流本。そして私やYが担当したエロ本だったが、こちらは書店売りのみだったので良くて数万部。我々が部数を伸ばす為に奮闘したところで、コンビニに置かれない雑誌には限界があり、N氏はそこを突いてよく皮肉を言った。

 少しずつ規制が強まっている空気があった。表現がキワドイ雑誌は、編集長が然るべき場所に頻繁に呼びだされて注意されるとは話に聞いていたが、私の会社ではそこまではなかった。「女子高生」の表記は「女子校生」ならOKという暗黙のルールに従って真剣に校正していたからだろうか。今となっては滑稽である。

 当時ヌードグラビアはソフトなものだったが、特集や扱っている記事は過激、というコンビニ誌が流行っていた。アイドルの事務所に訴えられて消滅する雑誌もあったり、人気アーティストが、まるでファッションアイテムを自慢するみたいに「昔は壮絶なイジメの加害者だった」と語る記事が普通に掲載されていた。

 そんなカストリ雑誌的なエログロナンセンスが流行っていたので、私が担当する連載に登場する女性達がいくら不幸なエピソードを連ねてもN氏はいつも「ネタ的に弱い」と言っていた。取材対象はN氏にとって底辺の人達で、そこには同情はあっても尊敬や愛情の眼差しは皆無だった。

 ある時私は著名な作家がメールで質問を公募していたので「アダルト女優にインタビューする時に必要な事は何ですか?」と送ってみた。すると本当に返事が来て、「自分の場合、どんなインタビューであれ、相手を好きになるように心がけている」と書かれていた。それを読んで涙が出た。

 いくらN氏が取材対象を「ネタ」と見做し、失礼な振る舞いを連発しようと、私は取材対象に寄り添おうと決めていた。私の態度は、安っぽい同情、偽善、あるいは下心……と避難を浴びた。N氏は相手をわざと怒らせたり不快にする手法も用いたので、連載の継続の為もあったが、それだけではなかった。

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