ジャムをめぐる葛藤 〜人と暮らしを共にすること〜
我が家のジャム事情
我が家の冷蔵庫には2種類のジャムが常備されている。
同居している私の母は毎朝食同じものを食べる。
「全粒粉の窯焼きパン」に「国産ブルーベリージャム」、それにサラダと果物。
パンとジャムに関しては『ご指名商品』が決まっており、ストックも常備されている。
いちごでもなく、マーマレードでもなく、絶対にブルーベリー。
メーカーも一択。
対して私は、無糖のヨーグルトに入れたり、パンに塗ったりして「ジャムはそれなり消費する」という感じ。
毎日は食べないし、ジャムじゃなくてバターだったり、蜂蜜を使うこともある。
添加物が少なくて、果実味が残る、自然な甘さのジャムが好きだけれど、特定の種類やメーカーにこだわりはない。
それよりも、「春は甘酸っぱいベリー系、夏には爽やかな柑橘系、冬はスパイスの効いたコックリ系、たまには新商品にチャレンジ」みたいな感じで気分によって色々試したいタイプ。
もちろんブルーベリーも好きだから、私はその日の気分によって冷蔵庫の2種類のジャムからどちらかを選ぶ。
そんなわけで、我が家のブルーベリージャムは消費されるペースが速く、
もう一種類は比較的ゆっくり消費されていくスタイルとなる。
ジャムを買うタイミング
「マーマレードがそろそろなくなりそうだな。」
朝食にお気に入りのベーグルに塗りながらマーマレードの瓶底が見えていることに気がついた。
ここ数ヶ月我が家の冷蔵庫にはブルーベリーとマーマレードが定番になっていたのでそろそろ飽きてもきたし、週末にでも新しいものを物色しに行こうと密かに楽しみに思っていた。
数日後、帰宅すると母から一言。
「あなたのジャムが無くなりそうだから、買っておいたわ。」
キッチンカウンターに置かれたジャムの瓶。
前回と同じメーカー、同じ味「マーマレード」。
密かな楽しみを奪われた私は、なんだかムッとしてしまい、
つい言ってしまった。
「またマーマレードなの?」
「だってあなたはこのジャムが好きなんでしょ」
と、母は言った。
「あの人はこれが好きだから」は本当か?
そうだ、思い出した。
夏頃、さわやな柑橘系が欲しくてこのマーマレードを買ってきたのは確かに私だ。
そしてそのマーマレードがなくなった頃、気づいたら同じマーマレードが補充されていた。
だからこの半年ほど、我が家はブルーベリーとマーマレードが定番化されていたのだ。
母は、娘のことを慮ってこのマーマレードを買ってきてくれたのだ。
「あの子はこのメーカー・この商品が好きだから」
そう、自分の好きなブルーベリージャムのように。
ありがたいことだ、と思う。
「でも、そうじゃないんだよな…」
そんなモヤッとした思いから、つい言ってしまった。
「次からは自分で買うので、私の分は大丈夫だから」
自分の食べるものは自分で決めたい
ちょっと嫌な言い方だったな。反省。
マーマレードは好きだ。
でも、いちごジャムだって、りんごジャムだって、クランベリージャムだって同じくらい好きだ。
あんバターだって気になってるし、春に向けていちご関連の新商品も気になっていた。
っていうか、ジャムは好きだけど、常備しておきたいほど好きってわけでもないの!
私の嗜好を事細かに説明することもできるのだけれど、
正直そこまで「ジャム」にこだわっているわけでもないし、
何より「いちいちめんどくさい」と思ってしまう自分がいる。
自分の食べるものは自分で決める。
自分の好きなものは自分で買う。
長年一人暮らしをしてきた私からすると当たり前のことだった。
冷蔵庫には自分が買ってきたものが入っているのが基本だし、
食品の買い替えや食材の補充のタイミングも自分で決める
しかし、誰か生活を共にするということは、そうではないということだ。
冷蔵庫には自分で選ばないような食材があるし、
食卓を共にするとなると、献立だって自分で決めるわけではない。
実際、家に帰ったら夕食が用意されている状況はとても恵まれていると思う。しかもちゃんと栄養バランスも考えられたメニューだったりする。
それ自体には本当に感謝している。
でもやはり、
自分の食べるものは自分で決めたい
せめて、朝食や軽食くらいは気ままに決めたい。
「気にせず自分で好きなモノを買って、食べればいいじゃないか」
と言われるかもしれない。
しかし、「あなたのためよ」と購入してくれたモノを差し置いて、自分で買ってきたモノを食べるのは気が引けるし、そもそもジャムが3種類もあるのは我が家の冷蔵庫のキャパからは多すぎるし、消費期限だって気になる!
だから、またしばらくは私は「私のマーマレード」を消費することを決めた。
気ままに生きる
このジャムの件は一例に過ぎない。
長年1人の暮らしに慣れてしまった私は、誰かと住まいを共にする日々の些細な事象に小さなストレスを感じてしまう。
気遣う
気を配る
思いやり
家族とはいえ自立した大人の人間同士である以上、人と暮らすってこういう心がけが必要なんだよね。
「めんどくさい」とか言ってちゃダメ。
自分の意思や嗜好を伝えつつ、相手のことを慮る。
自分のペースを守って、相手の意志も尊重する。
こうやって書くと、改めて思う。
みんな、ナチュラルにめちゃめちゃ高度なことやってんな!
また気ままに一人で暮らす選択をすることもできる。
でも、きっとこの経験が私の人間的「器」を大きくしてくれる、
そう信じて、もうしばらく「人と暮らしを共にする」ことを頑張ってみるよ!
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