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【3】ぼくたちの哲学教室

映画概要は上のリンクから見れます


哲学の授業がある学校

北アイルランドにある小学校
その小学校には国語算数理科社会のような主要科目の中に「哲学」の授業がある

「哲学」って日本だとなかなか馴染みがない言葉の人もいるだろう
実際に「哲学」ってなにをするのか?
例えば、
ケンカはしてもいいのか?
友達とはなにか?
どうしたら争いはなくなるのか?
という答えのありそうでもあるし、なさそうな問いについてみんなで「対話」をし、問いに対する認識や理解を深めていく
ぼくの「哲学」に対する解釈はこんな感じです。

作中でも様々な問いに対して生徒たちはそれぞれの意見を伝えていきます
他の生徒の意見を聴き、考え、話す
まさにぼくが今やっているダイアローグという活動の根幹になるようなことを小学生たちがやっていました

彼らの生活の基礎に「哲学」がある
彼らは小学生ですが、大人もハッとするような意見を出していました

人格形成と環境

作中の中で心に残ったシーンがあります
同じ小学校に通う従兄弟同士の2人
彼らは休み時間にケンカをしてしまうのです

一般的に、ケンカを大人が見つけたら、どっちが悪いのかもしくはどっちも悪いのかを事実確認をとって謝らせて終わりかもしれません

でもこの学校では、なぜケンカが起こってしまったのか?
これからどうしていくべきなのか?
お互いのことをどう思うのか?そしてどうしてほしいのか?
を思索の壁という部屋で校長先生と時間をかけて話します

この2人もそうでした
マインドマップを使いながら、「対話」をします。
無事に仲直りをし、従兄弟同士助け合うことを誓います

ですが、またケンカは起こってしまう
もうケンカはしないと誓ったのにまたケンカが起きてしまった
そしてもう一度校長先生と話します

どうしてまたケンカが起こってしまったのか?
そう問われた子は言うのです

お父さんが殴られたらやり返せと言っていたから

北アイルランドは、カトリックとプロテスタントによる紛争が長く続いた国です。今現在は収まっているとはいえ、その背景が色濃く残っています。
きっとこのお父さんの教えもその背景からくるものだと思います。
僕の目に焼き付いているのは、この言葉を聞いた校長先生の表情です
グッとこらえつつもどうにかこの子達の環境を変えられないか?
葛藤と決意を感じるそんな場面でした

ぼくらは「対話」をしているのか?

映画は一緒にダイアローグの活動をするいずみくんと一緒に見に行きました
帰りの車内で2人で感想をシェアしあった音声があるのでぜひ聞いてみてください

日常的に行われている会話は、雑談だったり、仕事をしていく上の業務連絡やアイデア出しなどが多いです。

「対話」をしているかというとあまりしていないのかもしれません。
それこそ今回の映画のような「哲学」的な対話はもっとしていないのかもしれません。

学校の授業の中では「道徳」がまさにこの哲学的な時間に近いと思います
今の学校教育の中に「対話」はあるのか?
家庭の中に「対話」はあるのか?
友人との会話には「対話」はあるのか?

この映画を見て、「対話」ってぼくらはしていたっけ?
ということを考えました

実はこの「対話」の時間って楽しいはずなのにどうしてぼくらはしてこなかったし、してないんだっけ?

これも新たな問いになりそうです

終わり

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