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敵は本能にあり

〔解説〕

 よく知られた「敵は本能寺にあり」は、「真の目的は表向きに言っていることではなく、別のところにある」ということを言ったものだ。人の目をあざむくために嘘の目的を表面に出し、本来の目的は隠してしまう。

 明智光秀が織田信長の家来だったとき、光秀は備中の毛利氏を攻めるという名目で出陣した。ところが、途中で急に「わが敵は本能寺にあり」と言い放ち、京都の本能寺にいた信長を襲撃した。その故事から出たことわざだ。

 こういう戦術や主義のことを「敵本(てきほん)主義」という。言うまでもなく、「敵本」は「敵は本能寺にあり」を略したものだ。

(注/ここまではパロディーではない)


〔さらに解説〕

 新しいことわざ「敵は本能にあり」は、「寺」の一字がないので、脱字を見逃してしまった校正ミスだと思われることも多い。しかし、もちろんそんなことはない。
 「敵対するものの正体は、欲をもつ自分自身の本能である」という意味だ。単に「敵は本能」ともいう。

 俗に三大欲求などと称される、食欲、睡眠欲、性欲をはじめ、物欲や金銭欲、名誉欲、自己顕示欲、承認欲ほかさまざまな欲望がある。
 これらは本能やそれに準ずるものであり、敵である。つまり、獅子身中の虫とも言える存在であり、自分がいかに多くの敵を抱えこんでいるかがわかろうというものだ。

 欲の代表的存在である三大欲求の例をあげてみよう。
 まず食欲。ダイエットの敵は糖分たっぷりのショートケーキ、油たっぷりのフライドポテトやフライドチキン、カロリーたっぷりの濃厚豚骨ラーメンなどが敵だと思いがちだが、真実の敵は「食欲」という名の本能だ。

 「睡眠欲」も強敵だ。授業中に眠くなるのは先生の教えかたがヘタだからとか、残業がはかどらないのは仕事がつまらないからだなどということもあるが、睡魔が足を引っ張ることは珍しくない。敵は睡眠欲という本能だ。
 本を読もうとしても眠くなって読めないなども同じ。ダイレクトに睡魔の猛攻に遭っている。

 さて、興味津々(?)の「性欲」については、本辞典の発行人の得意とするところであるが、残念ながら自主規制により、またの機会にしたい。これを「股の機会」として解説に代えます。
 なんのこっちゃ。



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