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難民申請を却下された”ロヒンギャ”青年


彼はロヒンギャなのか?

入管法改正反対運動で、たびたびメディアに登場していたロヒンギャ青年M氏……しかし2022年の記事で、彼は2歳の時に、ラカイン州のロヒンギャの村からヤンゴンに移り住み、2006年、20歳の時に来日するまでそこにいたと証言しています。

となると、彼はミャンマーの法律下ではロヒンギャではない可能性が高いです。というのもラカイン州に住むロヒンギャには、厳しい移動の制限が課せられているからです。

「ラカイン州において、イスラム教徒の国内移動に対する制限は広範に亘っている。当局は無国籍者であるロヒンギャに対し、ロヒンギャ少数派民族が主に居住している5地域-ブティーダウン、マウンドー、ラテーダウン、キャウクタウ(Kyauktaw)及びシットウェ-においては国内移動のための特別な書類と旅行許可証を携行することを義務付けている。ブティーダウン郡区とマウンドー郡区の政府職員は引き続きロヒンギャに対し、他の村落で一泊する場合にはその許可証を得るため、「常居所を不在にする旨を知らせる書式」を提出するとともに、当該村落の管理者の所にある来客名簿に記載することを義務付けている。これらの書式と許可を得る際には強要と賄賂が絡むことが多かった。

米国国務省「2016年人権報告書:ビルマ」

オーストラリア外務貿易省(DFAT)のレポートによると、ヤンゴンに住むロヒンギャは、国民IDカードと居住証明書を所有し、「バマー・ムスリム(Burmese Muslims:イスラム教を信仰する土着のビルマ人)」として登録、パスポートの取得も就労も可能で、高いレベルの差別には直面していないとのことです。

「ラカイン州の外、特にヤンゴンで生活しているロヒンギャの人々は多数いる。ラカイン州を除くミャンマー国内のロヒンギャ人口の規模は不明である。ロヒンギャは一般に自らの民族性を公にしないからである。ラカイン州外のロヒンギャは通常、ラカイン州に住むロヒンギャよりも高い所得を有し、より容易に資源を利用することができる他、ラカイン州内であればロヒンギャが毎日経験するような高いレベルの差別に直面することなく、生
活し、働くことが可能にする身分証明書を入手できる
のが普通である。ヤンゴンに住むロヒンギャは通常、『バマー・ムスリム(Burmese Muslims:イスラム教を信仰する土着のビルマ人)』として登録される。バマー・ムスリムは、パスポートに対する法的権利を与える国民IDカードと居住証明書を保有している。ラカイン州の外で目立たないようにしているロヒンギャは、他のイスラム教徒又は南アジア人の風貌をしている人々がミャンマーで直
面する差別と同じようなレベルの差別に直面しているが、ラカイン州北部に住む他のロヒンギャが従わなければならないような地元規則の対象にはならない。

DFATの2017年1月付報告書

赤い矢印で示したところに、「人種/宗教」を書く欄があります。ロヒンギャはミャンマーでは不法移民扱いなので、ここにはロヒンギャと書くことはできません。

ミャンマー人の国民登録証(NRC)

彼はロヒンギャであることも、ムスリムであることも伏せて、ヤンゴンで高校に通っていたようです。

「自分はラカイン州出身のムスリム」とだけ言って、ロヒンギャとは名乗らなかったという。「ロヒンギャは国民と認められていないので、ヤンゴンの学校にはミャンマー名で通いました。学校でもいじめや差別はありました。ムスリムとわかるだけで、先生の態度が変わるんです」

「心配」よりも「疑念」を向けてくる日本の入管、ミャンマー男性が強烈に感じた違和感

ミョーチョーチョーさんは高校生の頃、民主化デモへの参加を始めた。

今でも腕に残る傷痕。「帰れって言われても、本当に帰るところがない」男性の悲痛な叫び

ミョーさんはイスラム教徒のロヒンギャが多いミャンマー西部のラカイン州で生まれ、当時の首都ヤンゴンの名門校に入学した。

「拷問、殺されるだけ」入管法改正で強制送還恐れ ミャンマー男性

しかし、2006年に日本に入国した際は、偽造パスポートを使用したようですね。

日本へ渡ろうにも通常ルートではパスポートを発行することができず、密航ブローカーを利用して出国せざるを得なかった。当時、ブローカーに払うパスポートの作成代は日本円で10万~15万円。

ミャンマーで拷問を受けて日本に逃げてきたロヒンギャ男性 帰る場所がないのに「難民」になれない苦悩

母国での民主化運動を理由に難民認定申請?

ですから、彼はロヒンギャであることを理由に難民認定申請したのではなく、母国での民主化運動を理由に難民認定申請を3回して、いずれも相当の理由がなく却下されたということのようです。日本でも民主化運動をやっていたようですが。

来日直後、在日ミャンマー人たちの民主化デモがあり、ミョーチョーチョーさんも足を運んだ。
国軍の、人々への弾圧について大声で抗議するミャンマーの人々。
それでもミャンマーとは違い、銃口を向けられたり、ロヒンギャだからと差別されたりすることもなかった。

今でも腕に残る傷痕。「帰れって言われても、本当に帰るところがない」男性の悲痛な叫び

ちなみに在日ミャンマー人の民主化運動には、中核派が深く入りこんでいると、公安調査庁が毎年発行している『内外情勢の回顧と展望 令和 4 年(2022 年)』で指摘されています。

また彼が国軍から拷問を受けた時にできた腕の傷については、ネット上に専門家の医学的見地からの意見というものがありました。裏は取ってないので、あくまでも参考意見です。

「心配」よりも「疑念」を向けてくる日本の入管、ミャンマー男性が強烈に感じた違和感

ただ、記事には、ロヒンギャであることを理由に難民認定申請をしたように見受けられる彼の発言もありました。もしかしたら両方を理由に申請したのかもしれませんが、前述したように入管は、ヤンゴンに住むロヒンギャには危険がないという認識です。

「ロヒンギャには、帰る場所がないんです」
「ロヒンギャはずっと軍からの迫害を受けて、国からも全ての権利を奪われている。国民として認められていません」
「帰れって言われても、本当に帰る場所はない。帰れないんです」

今でも腕に残る傷痕。「帰れって言われても、本当に帰るところがない」男性の悲痛な叫び

クーデター以降、難民認定されているミャンマー人

彼の発言を聞いていると、まるで入管が極悪非道のように聞こえますが、クーデター以降、毎年30人ほどのミャンマー人が難民認定されています。

令和5年における難民認定者数等について

↓はメディアに取り上げられた難民認定されたミャンマー人たちです。

彼女はかつてFacebookの友だちだったので、よく知っているのですが、戦闘に巻き込まれて母と弟を亡くしてから、街頭に立って演説したり、募金したり民主化運動に熱心に取り組んでおり、メディアにもたびたび取り上げられていたので、入管の打倒な判断だと思います。

彼は、いわゆるCDM(職場放棄運動)に参加した元警官ですので、たしかに帰国すれば身の危険が及ぶ可能性はあると思います。

祖父がスーチー率いる政党・NLDの元幹部で、ミャンマーでは民主化運動に熱心に取り組んでおり、クーデター後、家族から身の危険を知らせる連絡があったということであれば、これも入管の妥当な判断のように思えます。

つまり、M氏は上記の人々のような、難民認定に足る相当の理由がなかったというだけなのでしょう。さらに彼は↓のような、「在留期間の憲法の基本的人権の保障を受ける行為を在留期間の更新の際に消極的な事情として斟酌されないことまでの保障が与えられているものと解することは出来ず」とするマクリーン判決に抵触しそうな、日本に対する内政干渉とも取れる政治活動も行っています。

偽装難民大国だったミャンマー

そもそもミャンマーは、コロナ前は偽装難民大国で、既にして入管の信用がありませんでした。2019年には、あまりの偽装難民の多さに業を煮やした東京入管が、ミャンマー人の留学生の在留資格をほとんど却下するという事態になりました(現在は交付されている模様)。

日本の難民認定率の低さが指摘されることもありますが、それは偽装難民が多いせいです。

私自身、これまでメディアなどを通じ、日本の難民受け入れについて「大きな問題がある」、「あまりにも消極的だ」と批判してきたので、なんとしても受入数を増やしたいとの思いで、3年前、難民審査参与員を引き受けたのだった。しかし、そこで分かったことは、「5000人が難民申請して認定されたのがわずか11人」という2014年度の数字だけを見て「難民に冷たい日本」、「人権を尊重しない法務省」と言うのは明らかに誤解であるということだ……これまでの3年間、100人以上を担当したが、私の関わったケースは難民としての蓋然性が低く、1人として難民認定すべきとの意見提出には至っていない。申請内容の不整合や書類の不備、事前の供述について本人が理解していない、明らかな出稼ぎ目的や退去強制逃れのための難民申請など、難民と思えない理由は枚挙に暇がない。

日本の難民受け入れに関する誤解

「(ミャンマーの申請者も)反軍事政権デモに出ていたので逃げてきたと言うのです。しかしデモの日付を聞くとパスポート上、既に日本にいた期間になっている」
「驚いたのはラーメン屋の話です。ミャンマー人で留学生として日本に来てラーメン屋でバイトをした、と。何年か経ち、親父さんが倒れ、店を守れる人は君しかいない、引き継いでくれと言われた。で、ラーメン屋の味を守るために難民申請したというのです」
「前の人の審査が延び、次のミャンマー人のスタート時間が1時間ほど遅れてしまったことがありました。その男性は面談の場に入ってくるなり、“早く終えてください”“私は難民ではないですから”と言い出した。居酒屋で仕事をしていて仕込みが間に合わないから早く帰してくれ、と言うのです。帰る際には“また申請を出していく”と」

日本は本当に「難民に冷たい国」なのか 難民審査参与員が明かす「デタラメ申請」の数々

日本の難民認定の裏には、ブローカー、人権派弁護士、支援団体の存在が指摘されています。私もコロナ前に難民認定申請中のミャンマー人の知人に聞いたことがありますが、高田馬場に専門の業者がいたようです。難民認定申請1回の代金は2~3万円。ちなみに彼女は、ヤンゴン出身のノンポリ仏教徒の女性で難民であるわけがなく、難民認定申請した理由は、専門学校卒業後、就職先が見つからなかったからだそうです。

要するに、それぞれの国にブローカーがいて、渡航費用の調達、出国手続き、日本の空港での出迎え、当面の宿舎や就職の斡旋、入管での難民申請の仕方、弁護士や支援団体からのサポートの受け方、不法滞在で捕まった場合の対応まで指南する。かなりの数の申請者がブローカーを使っているというのが実情だ。

日本の難民受け入れに関する誤解

ちなみに在日ミャンマー人の民主化運動も、偽装難民目的に利用されているそうです。

実際にデモに行ってみると、やはり純粋な目的で民主化運動に関わっているのとは違うのではない か、と感じられる参加者が少なくない。品川にあるミャンマー大使館の前で比較的大きなデモがあるときに は、数時間にわたってデモは行われ、その間に途中で抜けて帰る人もいれば、遅れてくる人もいる。そこで 筆者が見かけたのは、デモの隊列に加わりシュプレヒコールの文句が書かれた紙を受け取って上に掲げるな り、自分のカバンから小さなデジタルカメラを取り出し、仲間に渡して自分自身がデモに参加している姿を 写真に収めてもらう、という様子である。そして彼らはその写真をプリントし、A4の紙に貼付けたものを 数枚綴じて入国管理局に提出することで、自分がいかに民主化運動に懸命に取り組み、軍事政権に敵視され る可能性が高いかということを証明しようとするのである。

ミャンマー民主化運動の地勢図

それでも彼は日本で生きていく!

「ミャンマーに帰れ!」「お前の人生など知ったことか!」「さっさと強制送還!」と散々な言われようだったM氏……しかし、彼はミャンマーには帰りません。彼には日本に住む権利があります。

本国情勢を踏まえた在留ミャンマー人への緊急避難措置

現在、在日ミャンマー人には、一部を除いて、緊急避難避難措置の特定活動の在留資格というものが交付されていて、ミャンマーの情勢が改善されるまでは、日本に滞在・就労も可ということになっています。

かくいうM氏も、この特定活動の在留資格で日本に滞在しているようです。

ミョーさんは「本国情勢を踏まえた在留ミャンマー人への緊急避難措置」により、半年間、週28時間の就労が可能な「特定活動」という在留資格で日本にいる。だが、これは文字通り緊急避難的な措置で、情勢次第でいつ送還されるかわからない。当事者にとって、とても不安定な在留資格だ。

「心配」よりも「疑念」を向けてくる日本の入管、ミャンマー男性が強烈に感じた違和感

就労可ということで、これは朗報。引き続き、内政干渉も行っていくそうなので、みなさまには、生暖かく見守っていただきたいですね。

「日本政府は人の命をもてあそんでいる。僕らは同じ人間。人の命を大切にし、尊敬すると、その国は平和で民主主義の国になる。日本は民主主義国家だったが、今は“独裁国家”になっている。日本に民主主義を取り戻したい」

あす施行 改悪入管法抗議

ちなみに改正入管法は、昨年の5月、6月に衆参両院で可決。今年の6月に施行されました……民主的手続きを経て。

参考


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