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そらの高校受検のこと

夏休みが終わって進路希望を絞っていかねば…
という中3の起立っ子が多いのかな?と思います。

専門医さんからは
「秋の体調が春にも来るから、秋の体調を参考に考えるといい」
と夏くらいの定期通院でアドバイスがありました。
同時に
「10月〜12月頃、3日間連続で通う時間帯に、
保護者と一緒に、お試し登校をしてみるといい。
体力に見合った高校を選ぼう」

とも。
(今ふと思ったんですが「体調に合った」ではなく「体力に合った」なんですね)

夏休み中のそらの体調は全く回復していなくて、
むしろ悪くて、
進学先は通信制高校を考えていました。
お試し登校もとてもじゃないけどできる体調ではなく、
受験先も年内には決まらず、結局お試し登校もできませんでした。

2021年8月のHUT試験の検査結果

貴翔血圧20210806

起き上がった時の血圧の下がりは75とマシですが、なかなか戻りきりません。
こんなにはっきりと起立直後性低血圧と書かれたのはこの時が初めてだと思います。
検査のたびにサブタイプがINOHになったりPOTSになったりする子ではありますが、この時専門医さんが気になったのは、脈拍ではなく血圧だったようです。

貴翔脳血流20210806

脳血流量の検査結果も良くありませんでした。トリミングで切れていますが、
実は上に大きく❌と書かれています。
ドプスが処方されました。立ちくらみ改善のためです。
動きたい時があるときに動きたい時間の少し前に服用するように、
というお話でした。
地元の小児科医さんの隣の薬局ではドプスの扱いがなく、
受診数日前に連絡し、取り寄せていただいていました。

夏休みが明けて、9月、10月、11月…
高校入試説明会のシーズンが始まりました。
ここで大問題が起きます。

高校入試説明会〜公立通信制高校編〜

公立通信制高校の高校説明会でそれは起きました。
考えていた公立高校の通信制にはもちろん水泳部がなく、
また顧問を引き受けてくださる気配もなく、
インターハイを目指せないことが分かりました。
個別相談ではっきりと断られました。
全体の説明会は定時制の部が中心に紹介され、
「先生たちは生徒に寄り添い、応援してくれるので、とても楽しい!」
という生徒さんの姿がキラキラしていました。
そらは学校に行けるなら行きたい子ですから、
「定時制もいいなぁ」とポツリ。
しかし、期待して申し込んだ個別相談で、
そのキラキラは学校の一部分だと知ることになります。
個別相談の担当先生の反応は、
なんでも全面的に応援するという感じではありませんでした。
「やりたいことがあるならそっちへ行けば?」という雰囲気すら感じました。
インターハイはかなりタイムが厳しいので夢物語かもしれません。
でも、そらはたとえタイムを切れなくても、
高校時代の目標として、目指したかったのです。
急に水泳を続ける意味を問われました。
水泳を真剣に続けるのならこの公立通信制高校は選べない。
水泳を趣味にするなら選択肢に入れることはできる。

私は起立性調節障害になってから、いろんなことをあきらめてきたそらが、
唯一手元に置き留めているものを、手放すことを受け入れられませんでした。
本人がやりきったと思えて辞めるのは受け入れられると思います。
でも、環境のせいで辞めるのは私が納得できませんでした。
悔しくて高校説明会の個別相談で、そらの前で泣いてしまいました。

なぜ、この子のやりたいことがこうも簡単に奪われ続けるのか。

年間の数日だけ臨時顧問を引き受けてくれるだけでいいのに、と。

そらが水泳のことをどう考え、結論を出すのか、
私は待たなければいけなくなりました。

高校入試説明会〜公立全日制高校編〜

その後、そらはいつも通り夕方になるとスイミングクラブに行き、
泳いで、同じ敷地内にある塾で勉強して、という生活を続けていました。
そして、現在通う公立全日制高校(スポーツ科)の説明会に参加しました。
少し前から、水泳部の顧問から声をかけていただいていたご縁もあったので、
私がとにかく参加しようとそらに声をかけました。
そらは乗り気ではなかったと思います。
説明会にはサッカー部らしき子が何人か集まって座っていて、
説明会が始まってしばらくすると1人、また1人…と夢の中へ笑
手元の書類やパンフレットがバサバサッと床に落ちても起きません笑笑
そらと顔を見合わせて笑いました。
今、その子たちとはお弁当のおかずを奪われる仲です。

全体の説明会の後、水泳部の顧問がお時間をとってくださって、
私からはそらの身体のこと、単位取得(進級)に対しての不安、
顧問からは高校のこと、ぜひ来てほしいと思っていることなど、
時間をかけて話し合いました。
とても真摯に考えてくださっていることが伝わってきました。
起立性調節障害の症状で出席ができなくなった時のことなど、
具体的な話にはなりませんでしたが、
管理職とも何か方法がないか話し合ってみると言ってくださいました。
きっとなんの方法もないだろうと分かっていましたが、
そのお気持ちがとても嬉しかったのです。
「この高校においでよ」
という気持ちが伝わってきて(たとえ部員確保のためでも!)、
通信制の先生には感じられなかった魅力を感じたのでした。

2021年11月のHUT試験検査結果

貴翔血圧20211112

全体的な血圧はこれまでより高めでしたが、
起き上がった瞬間の血圧はまさかの…38
血圧も戻りきりません。

貴翔脳血流20211112

脳血流量は右が改善されていました!

選んだ高校は…

11月の検査結果を見て、これではとても全日制高校は無理だと思い、
私は通信制一本だと私立の通信制にも問い合わせしました。
本当ならそれも保護者がしてはいけないと専門医さんから言われていました。
でも、じっとしていられませんでした。
専門医さんからは、
「お家の人がすることは待つことだけ」
と言われていたので、
「どうするの?」とも聞けません。
一度、
「私立の通信制なら大会へ引率してくれるみたいだし、
起立性の子が何人も来てるみたいだよ。
この日ならお母さんも予定大丈夫だから、
学校見学行こうよ!」
と言ってしまいました。そらは
「そんなん急に言われても…」
と言って頭から布団をかぶってしまったのです。
失敗した…と思いました。
最後の一言は要らなかったのに。
「私立の通信制なら大会へ引率してくれるみたいだし、
起立性の子も何人もきてるみたいだよ。」
という事実を伝えるだけでよかったのに。
もう、私にできることは「待つ」だけでした。

12月が終わり年が明けました。
1月。
高校はまだ決まっていません。
2月になると、私立に合格した子がちらほら。
内心焦りますが、どうしようもできません。
ひたすら待つのみです。
そらが『高校ここにするから』と言う日を待つのみでした。

ある日夫が、
「最近そらがスッと起きてくるようになったよなぁ?」
と言い出しました。
そういえば…。
でも11月の検査結果がアレでしたし、定期通院するたびに、
治るまでまだ何年もかかると言われていたので、
まさか体調が良くなってるなんて少しも思うこともなく。
「しんどくない日が減ってるなら良いんだけど」
と話していました。

このタイミングで、睡眠専門医さんに
「勢いを止める必要ないんじゃない?」
とアドバイスを受けたそらが、
「やっぱり水泳を続けたい。今の体調なら通信制は選ばない」
と言ってきました。
全日制高校のスポーツ科を受検する。
もし入学後どうしても体調がダメなら、その時は通信制への転校を考える。
そらはその覚悟をして決めたのでした。
水泳部の顧問も、そらが結論を出すのを何ヶ月も待ってくれていました。

受検自体はラッキーなことに、定員割れをしていたので、
余程の事がないかぎり、不合格にはならないことがわかっていました。
その余程の事を回避するために、受検までの残された時間、
塾で勉強をしたのでした。

受検直前2022年2月HUT試験検査結果

貴翔血圧20220222
貴翔脳血流20220222

初めて全てに⭕️がつきました。
むしろ血圧が高めだと言われました。
夫が感じていた「寝起きが良くなっている」は本当にそうでした。
専門医さんからも、
「これなら行けそうだな」
と言っていただきました。
そらに聞くと年末頃、急に起きてもしんどくない朝が来たと教えてくれました。
ずっと1人で自分の体調のことを考えていたんだと分かりました。
そらはこの検査結果を見て、自信を持てたと思います。

高校生活

体調は年末から回復しましたが、中学校は最後までほぼ登校しませんでした。
2月から3月にかけては引き続き私は言いたいことを我慢して、
どんな生活になろうと、そらに任せました。
そらは「その日」までに調整してきました。
受検日も今まで起きていた事がない時間に起きてきて、
5時間の試験を受けました。
まだ睡眠障害があり、途中で眠ってしまう可能性があったので、
中学校を通じて高校にその旨を伝えていただいていました。
実際、社会の試験中に眠ってしまい、机に額を「ゴオオォオン!」と強打し、教室中に響き渡らせ、試験監督に「起きよか」と声をかけられたそうです。
翌日は面接と実技試験もありました。

高校は遠いです。
電車の乗り換えは2回あるし、1時間半はかかります。
そこで夫と相談して、起きたらすぐに送っていくという体制をとることにしました。
私は1年仕事から離れることになりました。収入面の心配はありましたが、
とにかくそらが単位を取れる可能性を高める事を最優先にしました。
当初のイメージでは8時頃起きたそらを車で1時間かけて送っていく…でしたが、
高校が始まるとそらは7時前には起きてきて、7時20分には私の車に乗って
学校に向かうことができました。
車中は眠っている事が多かったです。
帰りは時間に応じて私か夫が迎えに行きました。
高校までの車での往復送迎は、体力回復の時間の確保だと考えてしました。

少しずつ、少しずつ、
今も少しずつ進んでいます。
夏休み中の部活は自分で通学しました。

最後に

高校受験は県によって全然違うと思います。
こちらの地域では定員割れしている高校がチラホラあり、
どこかには行けるだろうという感じです。
通信制も定員オーバーということもなく、年に何回か入学のチャンスがあるので、
気持ちがラクでした。
そらは結構迷走して(笑)、途中、
「水泳をやめて、
〇〇学科((必ず定員割れするけどメチャクチャ勉強しなくてはいけない)を目指す」
と言い出した時もあって、隠れて頭を抱えました。
中学校の先生や、塾の先生と相談し、
そこは県内有数の進学校に落ちた子たちが
二次募集で集まって来るところだと伝えると
「そうなん!?それやったら無理や〜」とすんなりあきらめました。

私も夫も、そらが言い出したことや決めたことは、絶対に否定しませんでした。
それはこの受験のことだけではなく、日々の小さな事もでした。
例えば、「登校するorしない」、「勉強するorしない」、
「食べるor食べない」、「起きるor起きない」「練習に行くor行かない」
などもです。
『自分が決めたことを両親は絶対受け入れる』
という確信を、そらに持ってほしかったからです。

専門医さんが繰り返しおっしゃっていたことは
「子どものアクションを忍耐強く待つ」
ということでした。
事実は伝えてもOK。
でも私も我慢できずに
「体調が悪い時でも続けられた水泳を本当に辞めるの?」
と聞いて、
「お母さんはもったいないと思うんよ」
と気持ちも伝えてしまったことあります。
でもそらは、親の思惑を感じても、
自分で決めて結論を出すことができたと思っています。

こうして紆余曲折しつつ、迷いに迷った高校受験でしたが、
体調の安定という基盤があることで、前向きに高校生活を楽しめています。
回復から半年以上かけたおかげで、ずいぶん体力も戻ってきました。
でも生活リズムが整ったかと言われると…うーん…。
それでもいつ起こしても起きられます。

息子を見ていて思うのは、学校に行きたい気持ちのある子は、
体調さえ回復すれば、生来の頑張り屋さんの性格を
いかんなく発揮するんじゃないかな?ということです。
その体調の回復がいつになるかわからないから苦しいのですが、
今できない事のほとんどは、起立性調節障害の体調不良が原因です。
そしてその体調不良は本人の責任ではないです。
このことを本人も保護者も受け入れられるか…。
本人が受け入れるためには、まずは保護者の受容が鍵になると思います。
「なんでできないの?なんでやらないの?」
といろんなことが心配になりましたが、
親子で「全部病気のせい」にしてしまっていいと思いました。
そうすることで、本人をラクにしてあげたらいいと思ってやってきました。

今は、そらの大学受験むけて、超苦手な英語をどうするか…
真ん中娘のうみの高校受験をどうするか…
同じようにいくわけがないので、
また悩み、親子で迷走しながらやっていけたらと思います。

最後までありがとうございました。

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