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起立性調節障害の専門医さん②2020年2月

年が明けた2020年2月。
2回目の通院日が来ました。
この約4ヶ月の間、そらの体調は悪くなるばかりでした。

治したい。
治ったら学校に行く。

この頃のそらは、学校への思いがたくさんあって、学校に行きたくても行けないことへの悔しさをよく口にしていました。

この日も初めて通院した日と同じように、
私も主人も仕事を休みました。
電車での通院はまず無理です。
座っていられないし、そもそも起きられないから、車に寝かせて連れていくしかありません。
大阪環状線はとても怖くて私は運転できないので、ここは主人の出番です。

うみを小学校に送り出し、
りくを保育園に送り…、
その間にそらに起きるように少しずつ声をかけ…。
「大丈夫…歩けるから。大丈夫…。」
と言いながらもそらはフラフラで、
主人に支えられながら車の後部座席に乗り、
倒れるように横たわったのでした。
そらが眠れるように枕もセットして、毛布をかぶせてやって、万全の体制で出発しました。
道中、そらは後部座席でずっと眠っていました。

到着したのが予約時間の1時間前。
予約時間の30分前から、そらを起こしました。
なかなか起きません💦
「どうする?抱えて行く?」
「いや…ギリギリまで待とう。」
根気強く声をかけましたが、それでも起き上がれません。
10分前になったので無理やりドアを開けて、
2月の冷たい空気を車内へ入れました。
「行くよ。もう時間だよ。」
と身体を揺すりながら起こすと、ものすごい不機嫌な声で
「寒い寒い寒い!!やめろ!!」
とわめき、
「わぁったからちょっと待ってよ!!」
と言うものの目は開きません。
「もう時間なんよ。なんとか起きて…!!」
そらは何とか起き上がり、フラフラしながらクリニックまで歩いていきました。
ものすごくしんどいんだろうな…と思いました。
でもそれより、今の自分の身体に何が起こっているか知りたい気持ちが強かったんだと思います。

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前回と同じようにクリニックの玄関は施錠されているので、インターホンを鳴らし、開けていただきました。
この時は、一番寒い2月ということもあってか、指先が冷えていると正確に検査ができないということで、かわいいフワモコの手袋みたいなモノに手にはめて、温めるように言われました。
なんだか可愛かったです。

《心理士さんとの面談》

今回もそらと私たちと別行動でした。
先に私と主人が呼ばれ、前回から今日までにあったことを、心理士さんに話しました。
この時話した内容は忘れてしまいましたが、
学校に行きたがっていること、
体調が悪いこと、
学校にもほとんど行けていないこと、
水泳の練習に行けない日もあること、
などをたくさん話したと思います。

最後は決まって私たちの体調報告(?)です。
イライラするか?
食事はとれているか?
眠れてるか?元気度は?
そらが起立性調節障害になって、そらは一般的な中学生生活が送れなくなっていましたが、
私も主人もそのことで気持ちが不安定になることはなく、
よく食べてよく眠り、
まぁまぁ元気なのでした。

《検査結果》

心理士さんとの面談の途中で呼ばれ検査室に入りました。そらと私たちがそろって検査結果の説明を聞きました。私たちがそろうのはこの検査結果の説明を聞く時だけです。

これがこの時の血圧と心拍数です。
血圧は前回は起き上がった時60まで下がっていたのが、
この時はさらに悪く50まで下がっていました。
上の血圧が50って…と、ものすごく驚いたのを覚えています。
「急に起き上がると血圧が下がるからしんどくなるよ」という意味で「❌」がつきました。
水分があまりとれていないのでは?ということでした。
心拍数はギリギリ100で「⭕️」でした。

脳血流の結果です。
前回と比べるとめちゃくちゃ悪くなっていました。
脳全体に全く血流量が足りていません。
立った時にグラフが下がるのは予想できましたが、その後横になっても戻っていません。
一度起き上がったら、脳貧血状態が長く続いてしまうのです。
前回から今回のこの数ヶ月間の不調の原因はコレだと思いました。

Dr.はそらに
①水分をしっかりとること。
②寝そべりスマホはしないこと。
③スマホで遊ぶ時は歩きスマホをすること。
④ライオン歩きをすること。
⑤夜は11時には布団に入って眠る準備をすること。
を話しました。
そらはうなずいていました。

《Dr.との面談》

Dr.と私たちとだけでの面談で、
「脳血流がとにかく良くない。
 メトリジン(ミドドリン)を飲んでみましょう。」
と言われました。
以前、小児科医さんに処方されたお薬をもう一度飲むことになりましたが、前に効いた感じがなかったので、飲むことに対して期待はしませんでした。
期待はしませんでしたが、「治療」らしいことができることにホッとした気持ちも少しありました。

そして、こんなに脳血流の状態が悪かったら、勉強どころではないという話もありました。
頭にモヤのようなカーテンがかかり、ボーッとした世界になっているそうです。
そのために集中力と記憶力が低下するということでした。
「勉強に集中できない」というのは、この事だったのかと、それは症状だったのかと、びっくりしました。
そらは記憶力抜群の子だったので、ただショックでした…。

起立性調節障害は、
朝起きられないだけではなく、
生活そのものが維持できず、
学ぶことからも遠ざける病気
なのだと、
その時突然理解したのでした。

私と主人は、学校の先生をしています。
主人は特別支援学校教諭、
私は子育てを優先できるように
小学校の非常勤講師(特別支援学級のサポート)
をしています。
Dr.は私たち両親が「学校の先生」ということで、「学校に登校させたい気持ちが強いのかもしれない」と警戒しているように感じました。

「ご両親が学校の先生ということですけど、今は、学校どころじゃないですね。」
とハッキリと仰いました。私たちも
「体調優先の生活をしたいと思っています。」
と答えました。

この時のそらは、
起立性調節障害の身体的重症度は「重症」で、
サブタイプは「INOH(起立直後性低血圧)」でした。

《通院を終えて》

「やっぱり悪かった~」
帰りの車の中でそらはそう言っていました。
私は思った以上に悪い結果に、出口の見えないトンネルに入るって、こういうことなんだな…と妙に納得していました。

本当に良くなるんだろうか…。

どうしたら治るんだろう…。

どこかに治療法があるんじゃないのかな?

そんなことばかり考えていました。

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