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映画「青春18×2 -君へと続く道-」再見

劇場での公開が終了するのと同時にNetflixで「青春18×2 -君へと続く道-」の配信が始まった。
Netflixでの配信は劇場公開日から早ければ3か月後という話を聞いていたので、8月中に配信があるかなと期待はしていたが、劇場公開が3か月とロングランになったこともあり、劇場での公開終了と入れ替わる形で配信が開始された。
Netflix配信開始の告知動画で藤井監督と清原果耶が出ているものもあったが、衣装が7月上旬のロングラン上映舞台挨拶の時のものだったから、この時にはNetflixでの配信自体は決まっていたのだろう。
Netflixでは全世界公開(主にアジア圏向けだとは思うが)ということなので、劇場公開も含め、この映画の海外展開戦略のひとつだと思われる。
もともと清原果耶が出演しているNetflixオリジナルドラマ「宇宙を駆けるよだか」が見たかったので、映画の配信がなくともNetflixを契約しようと思っていたので、タイミングが良かった。
 
家のスマートテレビで劇場ではじっくりと確認できなかった細部を中心に3回目の鑑賞をした。
 
・画面アスペクト比はシネスコサイズ。ワイドテレビで見ているのでレター     ボックス表示になる。
・解像度はHD。プレミアムプランで契約してみたが、4K画質で配信される     のはNetflixオリジナルの映画やドラマだけのようだ。来月からはスタンダ     ードプランで十分だ。
・画質については、自分の再生環境のせいかもしれないが、あまり良好とは     いえない。
 配信画質のせいなのか、4Kテレビのアップコンバート機能との相性の問題     なのか、人の肌の質感が悪い。
 大写しの場面なら問題なのだが、中途半端に小さく映っているような場面      だと、肌がちょっとまだらに映る。
・音声は5.1チャンネルだったが、マルチチャンネル用のシステムがないの       で、いつもの2チャンネルサウンドバーで再生。

※ここからは、ネタバレあり(この映画のマニア限定)。

 劇場では確認できなかったところを映像を止めながら見て、気づいた点を思いつくまま書いてみる。
 
【ジミーの実家の居間】
ジミーの父親は18年後相応の年に見えるが、母親の方が若過ぎ。
いいとこジミーの姉にしか見えない。
ジミーの妹は、出産ため里帰り中か、出戻りなのか。
台湾の家の中の風景が、昭和か平成初期の日本の居間にしか見えない。
 
【スクーターの二人乗り(現在)】
男性のシャツの色がオレンジ。ヘルメットの色が男性が白、女性が水色。
過去のジミーとアミの時と同じ色。
それを見て、アミのことを思い出し、自分の部屋の「思い出の宝箱」を探しに行く。
 
【ジミーの部屋(現在)】
ジミーが高校を卒業してから18年もたつのに部屋がそのままってことはあるのか。
五月天のCD「知足」あり(アミの部屋にも同じCDあり)。
机上に日本語を勉強したときの本がそのまま。
お菓子の空き箱と思われる金属缶の中は、想い出の宝箱。
映画の半券、当時の写真、アミからの絵葉書、カラオケ店の名札など(アミの部屋にもほぼ同じものが飾ってあった)。
映画「情書(Love Letter)」の半券の日付は2006年8月20日(日)。
映画に行くのに、カラオケ店の前でジミーとアミは待ち合わせているので、カラオケ店は日曜日は休みという設定らしい。
この映画の現在時は2024年。過去は今から18年前の2006年。
原作は2014年にジミーが日本を旅している。過去は18年前の1996年。
映画「ラブレター」の台湾初上映が1996年8月だから、原作は初上映時に見ていることになるが、映画ではその10年後なので、リバイバル上映ということになる。
 
アミは台南のジミーの実家宛てに絵葉書を出しているが、大学生になってアミに電話をかけるジミーは台北の大学にいるのに、ジミーの手元にその絵葉書がある。
ジミーの家族は、アミに会いにカラオケ店に行っているので、ジミーの実家に届いたエアメールがアミからのものだと分かり、台北にいるジミーへ絵葉書を転送したという線が妥当か。
会社をクビになったジミーが、おそらく相当久しぶりに(あの感じだと大学生の時以来実家には帰っていないかもしれない)実家に戻った時には、アミからの絵葉書は実家のジミーの部屋に置いてあった「思い出の宝箱」に入っていた。
ジミーがゲーム制作にのめり込む前には、台南の実家に帰る機会もあって、その時に絵葉書を実家に持ち帰り、「思い出の宝箱」の中に大事にしまっておいたという設定なのかもしれない。
 
 
【アミからの絵葉書】
絵葉書の絵は写真ではなく絵だった(只見線第一橋梁)。
絵のタッチ、葉書の紙質からして、アミが水彩で描いたものか。
水彩で絵葉書だとすぐ滲んでしまうから、コーティングでもしたのかな。
 差出人:佐久間亜美
     968-0401 福島県南会津市只見町只見野原1261-1
もともと只見に住んでいた人に佐久間姓の人はいない。町外からの転入者か?
アミの漢字は原作どおり「亜美」だった。原作には名字は出てこない。
住所は架空。「南会津市」という市はなく、実際は「南会津郡」。
只見町が市に属することは永久にないと思われる。
字については「只見町只見字原」という住所が実在するのでそれを参考にしたと思われる。
郵便番号も架空だが、アミの家のロケを行った住宅が「只見町塩沢」というところにあり、そこの郵便番号が「968-0411」なので、これに近い番号にしていると思われる。
消印の日付は、「21.Ⅻ.07 8-12」。
つまりアミが台湾に行った翌年の2007年12月21日(金)。
この絵葉書を受け取ったジミーはアミに電話をしているから、その時ジミーは大学2年の冬。
絵葉書の文面
 ハロー!元気ですか?
 旅の合間に少しだけ
 故郷の景色の中にいます。
 こっちはすごい雪。
 いつかジミーに見せいたいな。
 夢を叶えたジミーに会えること、
 楽しみにしているよ!
           Ami
 
 「!」が3回も使われいて、台湾にいたとき同様、元気で溌剌とした印象の文面。
 正月前の12月下旬に葉書を出しているので「旅の合間に少しだけ」故郷にいても自然。
自分の名前は、「アミ」でも「亜美」でもなく、カラオケ店の壁画のサインと同じく、アルファベットで「Ami」。
この絵葉書をすでに病床にいるアミがどんな気持ちで出したのか、それを想像しただけで泣けてくる。
 
【由比ガ浜】
浜辺で海に入ってはしゃぐ若者たちの姿を見て、18年前のことを思い出すジミー。
湘南とはいえ、3月に素足で海に入る奴はいるのか?
 
【鎌倉駅】
地図を見て、只見までのルートを確認するジミー。東北本線→磐越西線経由
ジミーがため息をついて、画面が切り替わると松本駅。
松本のホテルで手帳に書き込むジミー。ここに路程が書いてある。
 品川→(東海道本線)→藤沢→(江ノ電)→鎌倉高校前(下車)踏切
 鎌倉高校前→(江ノ電)→由比ノ浜(下車)由比ガ浜
 由比ノ浜→(江ノ電)→鎌倉→(横須賀線)→横浜→(横浜線)→八王子→
 →(中央本線)→松本
只見に行くのを逡巡しているジミーならこのルートが有力か。
ぼやけてよく見えないが「横浜」の文字が見えるので、たぶんこれで合ってる。
普通列車のみでも、夕方に鎌倉を出れば23時過ぎに松本につく。
JR東日本が監修しているので、この辺は間違いはないだろう。
 
【松本駅・長野駅】
  松本→(篠ノ井線)→10:29長野→(飯山線)→越後川口→(上越線)→長岡(泊)
  長岡→(上越線)→小出→(只見線)→只見(下車)
  只見→(只見線)→会津若松→(磐越西線)→郡山→(東北本線)→上野
会津若松までは確定だが、郡山から東京方面へは新幹線を使ったという可能性もある。ただ、無職になったジミーの旅は急ぐ旅でもないので、鈍行で帰っただろう。
 
【台南のカラオケ店】
台南の廟でポエという願掛けをしたら、財布なくしたアミ。
途方に暮れて歩いていると、「KOBE」という名前のカラオケ店を見つける。
アミが台湾に来て1か月ほど経っているという設定だが、いくらなんでも台南の店に入るのに「すいませーん」はないだろうという突っ込みもあったが、アミは台湾へバックパックの旅に出るのに準備不足(言葉が一番大きい)だったであろう裏設定があるので、まあやむなし。
 
このカラオケ店の店主が神戸出身で台湾に居ついてしまった日本人シマダ(北村豊晴)で、この店でアミは働かしてもらうことになる。
観光ビザで入国したはずのバックパッカーが就労したら違法だろうというのは、バックパッカーの経験者たちの共通したツッコミ。
アミは台湾へバックパックに行く準備がかなり不足した状態で台湾に行っているので、このあたりは全く意識せずバイトをしていると思われる。
さすがにシマダは違法なのを知っているが、20年前の自分の姿を見ているようなアミにそんなことをいうはずもない。
18年前の台湾の状況は分からないが、アミが滞在した1か月ほどの間ですぐに台湾当局の取り締まり受けることも考えにくいだろう(違法就労を是認しているわけではありません)。
 
【展望台】
この映画の冒頭から中盤ぐらいまで、アミを演じる清原果耶の姿に微妙な違和感を持っていたのだが、その理由がはっきりしなかった。
この配信を見てようやく気づいた。
眉が今の日本の基準より若干太いのだ。
2006年当時日本の流行に合わせていると思われる。
この映画を見た後、清原果耶が出演している映画ほぼ全部と、主要なドラマをほとんど見てしまったので、その中の清原果耶の姿がすっかり刷り込まれてしまい、この映画のメイクと違いに違和感があったのだ。
 
清原果耶って基本美形なのだが、髪型、メイクで顔の印象がかなり変わる。
様々な役を演じているので、それに合わせたメイクをした姿を見ているし、舞台挨拶だと芝居をしている時とはまた違うしっかりしたメイクになることが多いが、なんだか見る度に顔の印象が異なる不思議な女優さんだ。
 
芝居の時の表情の作り方もうまいので、なおさらそういう印象を受けるのだろう。
 
【カラオケ店のアミの部屋】
アミを映画に誘うジミー。
アミはその誘いをOKしてひとこと。
「これってデートじゃん」
このひとことを言われたジミーは意外と冷静。
いや、それに反応できないほど緊張していたのか。
自分なら言われた瞬間、耳まで真っ赤になる。
 
【映画館】
ジミーとアミふたりで映画館(実際に台南にある全美戲院)に「Love Letter」を見に行くのだが、同時に上映している映画の看板が映る。
「藍色大門」(邦題「藍色夏恋」)と「最好的時光」(邦題「百年恋歌」)。
「最好的時光」には「青春18×2」のエグゼクティブ・プロデューサーのチャン・チェンが出演している。
映画の中で、アミが台南を旅するのは2006年という設定。
「藍色大門」の公開は2002年だから、「Love Letter」と同様にこちらもリバイバル上映ということになる。
映画の中には出てこないが、映画のパンフレットに映画の登場人物のキャラクタシートの一部が記載されている。
その中で、アミは2004年に手術で入院し、退院後自宅に引きこもりがちになって、自宅で映画「藍色夏恋」を見て、台湾に憧れを持つようになる、という設定が書かれている。
日本で「藍色夏恋」が公開されたのが2003年だから、2004年にはレンタルで「藍色夏恋」を借りることができる。
 
それはともかく、この「藍色夏恋」を見てみた。
「青春18×2 -君へと続く道-」の台湾パートの空気感そのままだった。
瑞々しく、水彩画のような淡いトーン、ゆったりとした時間の流れ、若い頃の心の揺れ動き。
「藍色夏恋」は、台北の高校に通う男子高校生チャンが、同じ高校の女子高校生モンに恋するが、モンはチャンを受け入れられない秘密があるというストーリー。
台湾パートは「藍色夏恋」、日本パートは「Love Letter」をオマージュしていたというのがはっきり分かる。
そして、「青春18×2 -君へと続く道-」の原作となった紀行エッセイ「「青春18×2 -日本漫車流浪記-」」に足りなかった部分、変えたかった部分を映画「余命10年」で補ったという構図だった。
「藍色夏恋」の主人公モンが、自分の3年後、5年後を想像して語るセリフに
  3年か5年後、あるいはもっと先ー
  私はどんな大人に?
というのがあって、さすがに驚いた
 
ここで、ジミーがアミと行くことになる十分駅のランタン上げの重要な伏線がある。
ジミーが映画館の売店でポップコーンを買っているときに、アミが壁に貼ってある十分駅のランタン上げのポスターを見つける。
「行ってみたい」というアミに、ジミーは「ここからだとちょっと遠い」とあまり乗り気ではない様子。
ジミーよ、台南から台北よりさらに先にある十分駅までは、ちょっとどころの遠さではないよ。
距離にして約350km、2006年当時は台湾の高速鉄道も開通していない(台湾高鉄の開業は2007年1月。超微妙!)ので、電車で行くと片道5時間ぐらいかかったらしい。
アミに気を使って「ちょっと遠い」と言ったのか、何となく遠いのは知っていたが、そこまで遠いことを高校生のジミーは知らなかったのか。
後者かな。
 
【ジミーの部屋(過去)】
ランタン祭りにアミを誘う前のジミーの部屋のベッドの枕元にCDがいくつか置いてある。
1つは五月天のCDアルバム。
4枚ほどCDが確認できるが、そのなかにMr.Childrenの「Sign」のジャケットが見える。
ランタン祭りに向かう車中でジミーとアミが聴いていたミスチルの曲はこの曲だったのか。
 
 僅かだって明かりが心に灯るなら
 大切にしなきゃと僕らは誓った
 めぐり逢った すべてのものから送られるサイン
 もう 何ひとつ見逃さない
 そうやって暮らしてゆこう
 
 緑道の木漏れ日が君に当たって揺れる
 時間の美しさと残酷さを知る
 
 残された時間が僕らにはあるから
 大切にしなきゃと 小さく笑った
 君が見せる仕草 僕を強くさせるサイン
 もう何ひとつ見落とさない
 そうやって暮らしていこう
 そんなことを考えている
               「Sign」Mr.Children
 
藤井監督は、このシーンでジミーとアミが聴いているミスチルの曲を聞かれて「くるみ」と答えていたっけな。
でも、この曲の歌詞は18歳のジミーじゃなくて、36歳のジミーの歌だな。
「くるみ」を「アミ」に変えたら、映画の主題歌にそのまま使えそう。
でも、36歳のジミーには歌の方が少々若いような気がする。
20代ならちょうどいいかもしれない。
 
ランタン上げに行く途中のジミーならやはり「Sign」かな。
ミスチルの所属レコード会社の人も「Sign」と考えているようだし。
ただ、この電車の中で二人が聴くミスチルの曲を散々検討して、結局何も流さず映画を見ている人の思いにゆだねる判断をしたのは、やはり藤井監督だったらしい。
素晴らしい判断だと思う。
 
【ネットカフェ】
黒木華演じるネットカフェの店員由紀子がプレイしているゲームは、「OPUS: 魂の架け橋」OPUS: Rocket of Whispers)。
ロケットが出てくるのですぐ分かる。
 
由紀子がジミーのことをネットで検索したときに、PCモニターの画面にジミーのプロフィールが映る。
ジミーの本名は「林家銘」。
肩書は、「COO/ゲームディレクター」とある。
これで冒頭の会社の役職解任の謎が解けた。
ジミーは、アーロンと立ち上げたゲーム制作会社「ジャムゲームズ」のCEOだとばかり思っていて、CEOを取締役会でいきなり解任というのに違和感があったのだが、ジミーはゲームディレクター兼COOで、一緒に会社を立ち上げた友人アローンがCEOというなら話は分かる。
実質的にゲームを作っているのは今でもジミーで、こんな大きな会社になる前と同じように、利益度外視でゲーム制作を続けていたら、ジミーの方法ではゲーム制作に金がかかりすぎるという理由で、取締役会からCOOを解任されてしまったということだった。
 
アミが台湾の映画館に貼ってあったポスターで十分駅のランタン上げのことを知ったように、ジミーは長岡のネットカフェに貼ってあったポスターで津南のランタン祭りのことを知る。
ランタン祭りの日付は3月16日と17日。
この日付を見て、ジミーがランタン祭りに行こうとしているから、ジミーが長岡についたのは、このどちらか。
ジミー、超ラッキーだね。
 
由紀子の軽自動車のナンバーは「長岡314お96-86」。
黒木華なら「96-87」じゃないかと思っていたのだが、黒木華って「くろきはな」じゃなくて「くろきはる」だったんですね。
「くろきはる」ならラ行の発音で始まる数字は6しかないので「96-86」かな。
 
【十分駅でのランタン上げ】
鈍行電車に乗って、台北よりさらに先にある十分駅に向かうジミーとアミ。
2006年当時片道5時間くらいかかったようなので、車中の暇つぶしも考えてジミーの「ミスチル聞く?」だったようだ。
十分駅に着くともうすっかり暗くなっている。
季節は夏なので、かなり遅い時間だ。
十分駅周辺のランタン上げは、通年昼でも行っているらしいが、行くなら夜でしょ。
とても美しいシーンにこんなことは言いたくないのだがあえて言う。
ジミーとアミは、その日のうちに台南に帰れたのか?
片道5時間だぞ。十分駅で夏の夜にランタン上げたら、最終列車はもうないのでは?
最終列車を逃してしまったとしたら、ジミーとアミはその夜、どう過ごしたのか?
 
ジミーとアミはランタン上げに行くとき、完全に日帰りの軽装だった。
最終列車に間に合う時間に行って、その日のうちに台南に帰ってきたに違いない。
帰りの列車の中の二人の様子はどんなだったろう。
ジミーは疲れて列車の中で寝てしまったかも。
そのジミーの寝顔を見ながら、アミは、いつまでも続いてほしいと願っていた台南での日々を思い出していたんだ。
そうに違いない。
 
【只見町】
津南のランタン祭りが3月16日か17日で、その翌日にジミーが只見へ向かっているので、ジミーがアミの家に行ったのは、3月17日か18日という設定だ。
例年の只見なら、3月中旬だと積雪は1メートル以上あることが多い。
映画のロケをした年は、只見の積雪がかなり少なく(ロケの時期は2023年の3月下旬)、映像で見るとなんとなくいい感じの積雪量になっているが、本来はこんなものではない。
雪はアミを閉じ込める「病気」のモチーフになっているから、藤井監督としては、もっと積雪が多い只見の映像を撮りたかったかもしれないが、知らない人からしてみれば、これでも十分積雪の多い雪国に見えるだろう。
冬の只見は、ほとんど晴れ間が見えない。
雪空か、雪が降っていなくとも曇天である。
3月とはいえ、少ない晴れ間を狙って撮ったのか、別に晴れ間にはこだわらなかったのか。
アミがすでに亡くなっているのなら、もうアミは自分の病からは解放されているので、只見のシーンは、曇天、雪空ではなく、晴れ間で撮影することが予定されていたのかもしれない。
 
只見駅に降り立つジミー。
どこをどう迷ったら只見駅の隣の会津蒲生駅に近い「まるまさ商店」に行けるんだい、ジミー?(只見駅と会津蒲生駅の駅間は4.5km)
しかも、歩いてきたのは只見駅と反対方向だ。
 
松重豊さん演じる中里の軽トラに乗せられてアミの家に向かうジミー。
只見川の支流伊南川にかかる黒沢橋を渡るが、どう見ても左岸側から右岸側に向かっているのだが(「まるまさ商店」から来たならこの方向で合っている)、橋を渡ってアミの家についたはずなのに、アミの家はなぜか左岸側にある。
松重さん、道を間違えて引き返しました?
 
【ジミーの大学】
ジミーの通う台北の大学の構内にあると思われる公衆電話からアミに電話をかけるジミー。
手元には、話すことを日本語で書いたメモがある。
さて、アミから送られてきた絵葉書には住所は書いてあったが、電話番号はない。
あとのシーンでわかることだが、アミの携帯電話に電話をかけている。
アミの電話番号は、アミが台南から離れる前にアミから直接教えてもらっていたということになる。
 また手紙送るね。
 バイバイ
アミからまた送ると言われた手紙は、17年後にアミの母親から受け取る「ラブレター」になるなんて、この時のジミーは知るはずもない。
台南の駅で別れたときはお互いに「再見」といって別れたはずなのに、ここでは、本当に冷たい声で「バイバイ」というアミ。
そう言わざるを得なかったアミの気持ちをジミーは知らないまま時が流れる。
 
そういえば、藤井監督が脚本の締め切りぎりぎりで、ジミーがアミが死んでいることを知って旅に出る設定に変えたっていってたな。
ジミーがアミの死を18年後に日本に行ってからはじめて知るなら、大学生の時にアミに電話をかけるこのシーンはどうしても必要というわけではない。
ただ、アミの絵葉書をみてジミーが冬休みに只見に行きたいという内容だから、脚本変更前から存在していたシーンなのか。
 
【アミの家の前】
初めて会ったはずなのに、台湾から来たと聞いただけで「あなた、もしかしてジミーさん?」とアミの母親が分かることに違和感があったのだが、これも原作のエッセイにあるエピソード(原作では、アミの家は秋田県の由利本荘市)。
18歳のジミーの写真しか見ていないのにジミーってわかるのは、ゲームが完成してアミに電話をかけてた時に電話に出たのはアミのお母さんだったからだよね。
アミから聞かされていた「台湾の4歳年下のシャイなボーイフレンド」は36歳になりました。
アミが生きていれば40歳か。
 
【アミの家の茶の間】
アミの家の中の最初のカットで、左隅に仏前の花が見切れて映っている。
仏壇の方をジミーが見ると、仏前には、ちょっと考えられないほどの量の花がある。
アミが亡くなってから15年以上は経っているのに、この仏花の量は、母親のアミに対する想いの表れだろう。
弔いは、弔われる人のために行うものではなく、弔う人が自分が相手のことを想うその気持ちのために行うものだから。
 
【アミの部屋】
映画「Love Letter」の主人公渡辺博子(中山美穂演)の婚約者の部屋によく似ているといわれるアミの部屋の様子だが、Netflixで配信している「Love Letter」で確認してみると、思ったほど似てはいない。
壁にいろいろなポストカードや絵画があり、イーゼルがあるのは共通しているが、「Love Letter」の方は天井が高く、あまり似ているという印象はなかった。
 
アミの部屋で印象的なのは、その天井。
勾配屋根で天井が窓の方へ傾斜しており、天井には青空が描かれている。
青空は、この部屋に閉じこもっていることが多かったはずのアミの外界への憧憬の証。
アミが自分で描いたのだろう。
窓際には鳥かごが吊るしてある。
病気がちでこの部屋で過ごすことの多いアミが飼えたのはインコぐらいだったのか。
部屋に飾ってある絵も藤井監督の実姉の吉田瑠美さんが描いたもの。
手放した絵を借りてきて飾っているものもあるそうだ。
 
映画を2回も見たのに、机の上にアミの病気「肥大型心筋症」の本が置いてあることに全く気付かなかった。
映画の中に出てくるなら、パンフレットにその病気の設定が書いてあっても不思議ではない。
 
本棚の上には、台湾での思い出の品の数々。
ジミーの「想い出の宝箱」の中身とほとんど一緒だ。
その中でも目を引くのは、アミへジミーたちが送った寄せ書き。
そして、アミの母親から「アミがあなたに残したラブレター」を渡されるジミー。
装丁は天井と同じ青空がモチーフになっている。
冬の雪空がアミにとっての「死」「病気」のモチーフなら、青空はまさに「生」の象徴なのだろう。
表紙には「台湾編」とあるが、台湾編以外の絵本が編まれることはなかった。
もしかして、この台湾編の絵日記の装丁が青空ということは、アミの部屋の天井も台湾から帰ってから青空を描いたのか。
アミの部屋の天井の青空は、台湾の青空なのか?
 
【アミの絵本・台湾編(回想)】
最初に只見駅から台湾に出発するアミのシーンがあるが、これが清原果耶のオールアップのシーン。
3月下旬に只見編から撮影が始まり、その後台南で2か月ほど撮影を行った後、台湾から戻ったその足で成田から只見まで来て、この数秒しかないシーンを撮ってオールアップになったらしい。
映画の時間の流れと全く逆の撮影順になってしまったようだ。
 
廟でジミーがお参りをするシーンでは、ジミー視点では見切れていた二人の姿がハッキリを描かれる。
初めて会う前にふたりがニアミスしているというのは、恋愛映画のお約束。
 
神戸KTVをアミが見つける場面でも、カラオケ店で働くおばちゃんがバイクに乗って帰るところとすれ違っている。 
 
【病室のアミ】
アミ視点で、ジミーがアミに電話をかけてきた様子が描かれる。
アミが日本に戻ってきてから入院したのは2007年ということになるが、この時期ならもうすでに携帯電話は3Gの時代。
国内で使っている端末がそのまま海外でも使えるようになっている(別途国際ローミング契約は必要だが)。
アミは日本に帰ってきてからも、その携帯を入院しても病室に持ち込んでいた(台南で使っていた機種と病室で使っていた機種が同じ)。
2007年当時にバイタルモニターがある病室に3G携帯の持ち込みが認められていたかが定かではないが、それまで病院で使える移動端末の代表だったPHSがすっかり落ち目になって、携帯電話の病院内持ち込みを認めざるを得ない状況になってきた頃だから(医療機器への影響が大きかった2Gから3Gになったということも大きい)、アミが病室に3G携帯を持ち込んでいたとしても、それほどおかしくはない。
PHSと携帯電話との間でMNPが始まったのは2014年だから、携帯電話の番号を病室に持ち込むためにわざわざPHSにMNPしたということはあり得ない。
 
2006年当時で行き先が台湾なら、もしかするとPHSを持って行ったという可能性もある(PHS事業者であるDDIポケットは2003年から台湾でのローミングサービスを開始している)。
アミの家は只見駅の比較的近いところにある設定だから、只見町3本しかないPHSの基地局のギリギリ範囲内で、日本に帰ってからもPHSを使えていたはずだし、入院してもPHSだから、バイタルモニターのある病室でも使えていた、という可能性もゼロではない。
ただ、映画を見た限り、アミの使っていた折りたたみの端末はPHSではない。
(当時の端末が入手できず、単なる折りたたみの端末を撮影で使っていた可能性はあるが、映画の見ただけでは、十字キーのプレートが角形の端末で、あのシェルデザインの端末って思い当たらない。)
ま、普通に考えて3G携帯のグローバル端末かな。
と思っていたら、エンドロールでこの映画のFilm Partners(映画の出資者)の中にKDDIの名前を発見。
ああ、アミの携帯はauで確定だわ。
ただ、アミの携帯の端末特定できず。
気になって仕方ないので、どの機種なのか誰か教えてほしい。
 
それはともかく、アミが病室でジミーと電話するシーンは、ジミー視点の時とセリフは一緒なのだが、アミ視点での音声がそのままジミー視点で使われているわけではないようだ。
一番違うのは、最後にアミが「バイバイ」という声。
ジミー視点の時のアミの口調は、有無を言わせないというか、面倒くさいからもう切るよといった感じで、非常に冷たい。
おそらくジミーにはそう聞こえただろうという感じで声の演技をしている。
アミから絵葉書が届いたから電話したのに、あんなふうに言われて電話を切られたら、その後はアミに電話をかけるのを躊躇してしまうだろう。
 
アミ視点では、ちょっと違う。
ジミーともっと話していたい、ジミーの声を聞いていたい。
けれど、今の自分の状況を悟られてはいけない。
日本へ、アミのところへ来たがっているジミーに会うわけにはいかない。
病床にいるこんな姿の自分をジミーに見られたくないし、見せてはいけない。
ジミーを悲しませるだけだから。
台南の駅で別れた時は、お互いに「再見」といったはずなのに、この時はもう「再見」とは言えないアミ。
「また会う」「また会おう」という意味での中国語“再見”には。根源的に約束をするという使い方が内包されている、という。
ジミーに連れられて行ったランタン祭りの日に自分からジミーに言った「約束」。
おそらく果たせないことを知りながら交わした約束が、もはや本当に果たせなくなりつつあるになっているのに、ジミーにここで「再見」とは言えない。
ジミーがもう自分へ電話をかけてこないように、自分の本心とは裏腹の「バイバイ」。
こんなニュアンスで、アミは「バイバイ」と言っている。
いつだって別れは辛いものだが、こんな切ない「バイバイ」ってあるかい?
 
電話でジミーと話すアミの後ろにバイタルモニターが写り込んでいる。
バイタルモニターに表示された心拍数と思われる数字が、電話の途中で変わっていく。
 アミ「それにね、また来週から旅なの。」
 ジミー「どこに?」
 アミ「地球の裏側。彼氏と」
そんな切ない嘘をついた後、アミの唇はかすかに震えている。
 ジミー「そうか…」
ジミーは、そう絞りだすのが精一杯。
そのジミーの声を聴いた瞬間から、アミの心拍数の数字が上がりだす。
しばらく間があるが、その時アミは何を思ったのだろう。
アミの表情、目の動きには様々な感情が浮かんでいる。
 アミ「また手紙送るね」
その後のアミの表情。感情があふれ出しそうになるのをぐっと抑えて
 アミ「バイバイ」
 ジミー「うん」
それがアミとジミーとの最後の会話となった。
そして電話を切った後、携帯電話を愛おしむように両手で握りながら窓の外を見つめるアミの姿。
 
このシーンは、まだ台湾での撮影をする前、この映画の最初に行われた日本での撮影で、正真正銘の清原果耶のファーストシーン。
清原果耶が「なんでこのシーンからの撮影なんですか」とさすがに怒って、監督、プロデューサーが「申し訳ありません」と平謝りしたといういわくつきのシーン。
それなのに、それなのにですよ、この演技が出来てしまうんだ、清原果耶という人は。
 
黄色いスイートピーが病室にあり、それを水彩画にしているアミ。
スイートピーの花言葉は、「門出」、「私を忘れないで」、「別離」。
黄色いスイートピーに限ると「分別」、「判断力」。
考えすぎかもしれないが、スイートピーの色に意味があるとすれば、ジミーに自分の病気のことを言わなかったアミの判断についての暗喩なのか。
あるいは、オレンジのスイートピーがないので黄色にしただけで、色に意味はなく、スイートピーの花そのものの花言葉を示したかったのか。
 
病室で台湾での絵本を描いているアミ。
もうすでに酸素が必要になっている。
絵本の最後はランタン上げのシーン。
ランタンにオレンジ色の差すアミ。
筆を洗う水の色はオレンジ。台湾で青春を象徴する色だ。
 
 ジミーの夢が叶うように。
 ずっと応援しているからね。
 出会ってくれてありがとうジミー。
                  Ami
絵本の最後にはそう記されていた。
アミの願いが通じて、ジミーは自分の夢を叶えることができたのか。
その夢を失ってしまったジミーはどう思ったのだろう。
ジミーへの最大限のいつくしみの言葉で、この絵本は終わっていた。
  
【ジミーの手紙(回想)】
ジミーが手帳に旅の記録を書いているが、全て主演のシュー・グァンハンの直筆らしい。
アミの絵本にもアミの直筆が出てくるが、清原果耶が書いているかどうかは微妙なところ。
インスタにアップされている清原果耶の直筆文字と見比べてみたが、似ているような若干違うような。
と思っていたのだが、文字は清原果耶の直筆だったようだ。
清原さんはきれいな文字書きますね。
アミの絵日記も吉田留美さんが描いた1点ものだから、そこに文字を書くのは緊張しただろうな。
 
大学生時代、寮の部屋でアローンとジミーが開発しているゲームは、「龍脈伝説」というタイトルで、「OPUS:星歌の響き」(OPUS:Echo of Starsong)のもとになったゲームのようだ。
このゲームの説明に「龍脈を探す声を持つ少女」とあるので、ジミーのモデルとなったゲーム制作会社のCEOが昔作ったゲームのようだ。
 
ジミーがゲーム制作に熱中し、初めてのゲームが完成したとき、アミに電話をかけてアミの死を知るシーンがある。
このときジミーが作ったゲームは、「OPUS-地球計画」(OPUS: The Day We Found Earth)だった。
 
ジミーがアミにかけた2回目の電話を取った相手は、アミの母親で間違いないだろう。
ジミーがアミの実家を訪ねた時に、アミの母親裕子はジミーに対して「やっと会えた」といっている。
これだけなら、裕子がアミの残した絵本に出てくるジミーに会ってみたかったということかなと思うが、それに対してジミーは「遅くなってすみません」と謝っている。
最初に見たときからこのセリフに違和感を覚えていた。
普通は「遅くなってすみません」というのは、行くことを約束していた人に対して言う言葉だ。
すると、ジミーは只見に行くことを裕子に約束していたのだろうか。
ジミーと裕子が話す機会があった可能姓があるのは、ジミーが電話を掛けたこの一度だけ。
映画の中では、ジミーの回想ということもあり、ジミーの電話の相手の声は全く出てこない。
このときの電話の相手が由紀子だとすると、裕子からジミーはアミの死を知らさせたこと以外にジミーは何を話したのか、何を話せたのか。
全く予期しないアミの死を突然知らされて、ジミーは崩れ落ちる。
この状態で、まともにジミーは自分から会話できるとは思えない。
とすると、裕子の方からジミーに、今すぐは無理でもいつか只見に来てほしい、アミに会いに来てほしいと言ったのだろう。
そうでないと、ジミーが裕子に会った時のあの会話にはならないと思う。
 
裕子は、アミの絵本を読んで、アミのジミーに対する思いを知っていた。
アミが「ジミーに残したラブレター」をジミーに見せたくて、アミのジミーに対する思いを知ってほしくてそう言ったんだ。
ジミーは、アミの死を突然知らされて、その時に返事ができたかどうかは分からない。
でも、アミの元に行けば、アミの死を受け入れざるを得ないジミーは、それができずに、アミの思い出を心の奥に封印したまま、仕事に打ち込むしかなく、ジミーは「心を失って」いった。
 
裕子は、来てくれるかどうか分からないけれど、ジミーが来るのをずっと待っていた。
ジミーが来てくれた時のためにも、アミの部屋をアミがいた時と同じようにずっと保ち続けていたんだ。
ジミーにアミの死を告げてから10年以上経っているが、子供の頃から病を患い、23歳でこの世を去ってしまった娘の残した思いをその相手に伝えたいと思う親の気持ちがここにも表れている。
 
【只見線から東京へ】
只見線に乗り、東京へ戻るジミー。
只見線で最も有名なスポットで、アミから送られてきた絵葉書にも描かれていた第一橋梁を列車が渡っていく。
列車の進行方向から、只見から会津若松へ向かっていることが分かる。
会津若松からは、在来線の磐越西線を使ったのは間違いないが、郡山からは東京方面へはアミとの思い出を噛みしめながら、東北本線で上野へ向かったのだろう。
 
東京に戻ったジミーは、隅田川沿いの隅田公園の桜並木を眺めている。
ずっと雪景色の中を旅してきたジミーの旅は、東京で春を迎える。
 
 あの時 君は言ったね
 私たちはどんな大人に
 なるんだろうって
 
 君と出会って
 恋をして
 そして今
 その青春にサヨナラを告げる
 それだけで
 この旅には大きな意味があったと思うんだ
 
このジミーのモノローグがこの映画のすべてだと思える。
アミに出会って、アミのように「誰かを感動させられる人になりたくて」とゲーム制作に打ち込んできたジミーがそのゲーム制作という仕事さえ失った今、ようやくジミーの長かった青春に終止符を打つことができる。
それができたのは旅だった。
藤井監督は、この映画で言いたかったことは「それでも人生は続く」ということだと話していた。
だから、東京で終わってもよかったこの映画はここでは終わらない。
エピローグは、台南だった。

【保安駅】
ジミーの心の変化を表すように、台南のジミーは今までの暗い色の服ではなく、白いシャツを着ている。
その表情は、仕事を失ってこの駅に降り立った時とは違い、心なしか晴れ晴れとしている。
18年前、この駅でアミを見送ったとき、アミはジミーに「再見」と言った。
カラオケ店の人が「バイバイ」という中、ジミーも「再見」と言いながら手を振った。
 
ジミーに残した「ラブレター」アミの絵日記の最後には、こう綴られていた。
 出会ってくれてありがとうジミー。
 
ジミーが初めてアミに書いた手紙の最後も、アミと同じく、相手への感謝の言葉が綴られていた。 
 
 君が言っていたように
 ゴールなんてなくなっていい
 もう少し旅を続けてみるよ
 遅くなってごめん
 アミ
 ありがとう
 
【新しい仕事場】
スーツ姿の不動産屋が、ジミーをカラオケ店のバイトに誘い、「Love Letter」のチケットをくれた悪友ウェイだと最初気づかなかったが、ジミーとの会話で気づいた。
まだまだ元気がないジミーだが、旧友との会話でちょっと元気が出る。
 
【台南のカラオケ店神戸KTV(現在)】
ジミーの心の変化を表すように、台南のジミーは今までの暗い色の服ではなく、白いシャツを着ている。
18年ぶりにあのカラオケ店へ行くジミー。
とっくに閉店しているカラオケ店だが、アミの壁画はまだ残っている。
すっかり色褪せてしまったが、アミとジミーがそこで過ごした証はまだ残っていた。
それにようやくジミーが向き合えるようになったということだろうか。
 
カラオケ店の寂れ加減が絶妙だった。
壁画は、18年経過した色合いでもう一度描き直したのだろうか。
この壁画を描いたのは、藤井監督の実姉である吉田瑠美さん。
絵本作家で、アミの絵本も吉田瑠美さんの手によるものである。
吉田瑠美さんのインタビューも読んだが、この退色した壁画を描き直したという話はなかったので、18年前のシーンの撮影終了後に現地台湾の美術スタッフが描き直したのか。
それとも全体的に退色加工を施したのか。
 
そういえば、このカラオケ店(神戸KTV)のセットはいまも台南近郊の雲林というところにあり、見学することもできる。
直接行った人の写真もネットに上がっていたが、この退色した壁画ではなかったので、どの順番でこの壁画が描かれたのかちょっと分からかった。
しかし、前田プロデューサーの話によると、アミの壁画の前にあった謎の壁画は現地の美術スタッフが描いたものらしいので、退色したアミの壁画はいつ、だれが描いたのかわからなくなってしまった。
ただ、ジミーが36歳の時の撮影を先に行っているから、18歳のジミーの撮影よりは前ということか。
ということは、
 退色したアミの壁画(現地美術スタッフ)
→アミの壁画の前にあった謎の壁画(現地美術スタッフ)
→アミの壁画(吉田瑠美)
の順で描かれたということになるだろうか。
アミの壁画の題材は吉田瑠美さんにほぼ一任されて描いたものだから、最初にその構図の壁画を現地のスタッフが描くことはできないはずだが、壁画のスケッチは藤井監督と相談して決めていたとのことだから、あらかじめそのスケッチを現地台湾の美術スタッフに渡していたのかもしれない。
 
【展望台へ向かう橋】
このシーンはいつ見ても気持ちよさそう。
自分もバイクで走ってみたくなるが、ヘルメットにシールドがないとちょっと辛そう。
今のジミーは眼鏡をかけているから大丈夫か。
ジミーのかぶっているヘルメットの色は、18年前と同じ白。
 
【展望台】
18年前はアミと一緒で夜だったが、今回はジミーひとりで夕方。
海に沈もうとしている夕日が美しい。
ジミーが18年前のことを思い出していると、「ジミー」と呼ばれた気がして、アミの姿が見えるというシーン。
アミの服装は、18年前にこの展望台に来た時と一緒だが、アミのメイクがかなり違うような気がする。
あくまでも、ジミーの記憶の中のアミという感じなのかな。
 
最後に鼻をくんと鳴らすジミー。
最初映画を見た時は気づかなかったが、アミのつけていた香水レールデュタン(時の流れ)の香りがしたような気がしたというシーンだったんだね。
香りと記憶。
映画「Love Letter」のオマージュが最後に出てきた。
(実は、このシーンは映画「余命10年」のオマージュでもあると思っている。)
ランタン上げの時にジミーはアミとハグしているが、アミの首元にジミーの顔がきているので、アミの香りはこの時一番強く感じたんだろうな。
初恋の人がつけていた香水の甘い香りは、その人の思い出とともにずっと記憶に残るんだろう。
この映画の余韻が切ないだけでなく、暖かさも感じる大きな要因はこのラストシーンにあるのだろう。
 
【エンドロール】
映像を止めて、それぞれのシーンをじっくり見てきたので、エンドロールに流れる「記憶の旅人」のインパクト、効果は映画よりだいぶ落ちてしまう。
この主題歌は、映像を止めたり、戻せたりしない映画館で、あのシーンをもう一度見たいという思いがマックスになっている映画本編終了後に流れるのが一番いい。
この曲を聴きながら、自分の頭の中で映画のシーンを思い出す。
まさに観客が「記憶の旅人」になれる瞬間だ。
 
配信なので、ようやくエンドロールの情報が画面を止めて見られる。
エンドロールの情報は、映画のパンフレットにも載っているのだが、文字が小さすぎて潰れており判別不能。
台湾の役者さんの紹介がパンフレットには載っていないので、カラオケ店でバイトしている「不良娘」を演じた台湾の女優さんが陳姸霏(Chen Yan-fei)というのをようやく確認できた。
映画公開当時から、この陳姸霏さんがかわいいと評判だった。
 
突然関西弁でしゃべり出すカラオケ店の店長役をやった北村豊晴さんの名前もしっかり確認した。
出演した役者さんの数はこうしてみると意外と少ない。
 
【劇伴】
この映画の劇伴(サウンドトラック)は、大間々昴の手によるものだが、Netflixでじっくりとこの映画を見てみても、この劇伴は、まさにこの映画に寄り添っているとことを再確認した。
「静かな」「静謐な」というこの映画の雰囲気を音で体現しているが、映画の邪魔になることはない。
映画の最後まで、映画に、映画の中の物語に静かに寄り添い続けている。
 
【タイトル】
この映画のタイトルは、日本側の案では「君へと続く道」になる予定だったということが、前田プロデューサーから明かされている。
これに台湾側が、原作の「青春18×2」にしてほしいという要求があり、制作会社の社長の判断で、「青春18×2 -君へと続く道-」になったとのことだった。
「18×2」にはこの映画のテーマにかかわる重要な要素が含まれているので、これが外されなくてよかったと思う。
ただ、これだけではどんな映画かわからないのでサブタイトルは必要だったと思うが、英語のサブタイトル「Beyond Youthful Days」(青春の日々を超えて)の方がよかったと思うのは自分だけか。
ただ、これだと「青春」がかぶっちゃうんだよな。
 
自分のように「青春18×2」をとっくに過ぎた者が、映画のロケ地に縁でもないと「青春18×2 -君へと続く道-」というタイトルの映画を見に行くことなんて、まずありえない。
この映画の配給会社の担当者は、この映画の試写の反応をみて「青春18×3」現象が起こっていると感じていたそうだ。
「青春18×3」現象とは、50も半ばになろうとする大人が、映画を見終わった後みんな目を赤くして部屋から出てくることを指しているようだ。
この映画の前田プロデューサーは、脚本の変更、つまりジミーがアミの死を知って旅にで出ることになったことによって、この映画は大人の映画になったと言っていた。
主演のシュー・グァンハンも同じこと言っていた。
自分も、この映画を見て、「青春18×2」以上の大人にこそ響く映画だと感じていた。
 
「青春18×2」以上の大人なら、青春の淡くて儚い初恋を知っているし、生きていれば経験する蹉跌も多少の差こそあれ経験している。
そして、ジミーの父親やアミの母親に、子の親になった自分の姿を投影しているかもしれない。
物語の構成や内容そのものを映画の縦軸とするなら、この映画は縦軸で見せる映画ではない。
だったら、映画の予告編で、松重豊演じる中里の「神様いじわるだよ」というセリフや背景にバイタルモニターが映っているアミの病室を使ったりはしない。
そこは見せてもいいところ、そこはこの映画が本当に言いたいところではないからだ。
映画で描かれているシーンを映画を見る人が自身の経験、体験に響かせる、重ねあわせることを映画の横軸とするなら、この映画は横軸で見せる映画だ。
この映画の横軸に響いた人はこの映画に深い余韻を感じ、それが響かなかった人にはありきたりでお涙頂戴の映画に見えることだろう。
 
自分が言いたいことは、この映画はタイトルで損をしている、ということだ。
この映画のタイトルは、おそらくこの映画を見たら心に響く人たち、自分のような「青春18×2」以上の大人が見てみようと思えるタイトルには残念ながらなっていない。
この映画のタイトルに落ち着いた経緯も理由も十分理解できるだけに、映画のタイトルの難しさを思い知らされるし、本当にもったいないとも思う。
 
ロケ地がたまたま以前住んでいたところだったという理由だけ見たこの映画、そんな縁がなければ、この映画の存在さえ知ることさえなかっただろうことを考えると、その縁には感謝しかない。
 

円盤化への期待

好きな映画を家でじっくり見られるのは、大変ありがたい。
が、Netflixをこの先ずっと契約し続けないとみられなくなるのはちょっと厳しいので、映画がディスク化されるまでは、スタンダードか、広告付きベーシックプランでしのいで、いつでも見られるようにだけはしておきたい。
同じハピネットファントムスタジオ配給で清原果耶主演の映画「宇宙でいちばんあかるい屋根」の場合は、映画公開から5か月後にディスク化されているので、その例に倣うと遅くとも今年中には発売されると予想される。
 
個人的には、こんな美しい映画はBlu-rayといわず、UHD Blu-rayで出してほしいところだが、期待薄である。
「宇宙でいちばんあかるい屋根」のときは、特典として「本編オーディオコメンタリー(清原果耶×藤井道人監督×前田浩子プロデューサー)」というものがついていたようだから、今回も非常に期待している。
NHKドラマ「おかえりモネ」のディスクに特典として入っていたオーディオコメンタリー(清原果耶×坂口健太郎 最終週75分)がとてもよかったので、今回もなんとかお願いしたい。

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