鬱と共に、仲良く生きる

 私には双極性障害とか躁鬱と呼ばれる精神疾患がある。
いつからだろうか??

 自分が抱えているそれが、そう言う病なのだとわかったのは最近。けれど振り返ってみれば、高校を卒業して上京した2014年辺りから症状は出ていた。

 アルバイトを詰めて詰めて、いっぱい働いて頑張れる時期が続いていたかと思えば、ある日突然憂鬱で何の気力も起こらないもぬけの殻状態に入る。

 精神科の先生に「クソ真面目だね」と言われるほどに真面目な私は、「周りの人達はみんな毎日長い時間働いて稼いでるのに、なんで私には同じようには出来ないのだろう?」などと思って自己嫌悪が止まらなくなる。
でも、年に2度程度そんな時期がある程度だった。

 最近では、躁と鬱の入れ替わりは激しく、
また感情の起伏の幅も大きくなった。パニック発作もしょっちゅう起こる。過呼吸は辛い。
以前にも増して、多くの人がそうしているように毎日職場に通って一定時間働くという事がしんどくなった。
働ける状態の日もある。
そうでない日もしょっちゅうある。
真面目な私はコンビニの仕事を休めない。
結局週5日頑張って、週末に心がぶっ壊れる。
大好きなダンスすら出来ないほどに。

 ここ最近「この世の中は生きづらい」と思う。そう、生きづらいんだ。
どこかに就職して正社員になって毎日働く事が美徳とされていて、アルバイトしかした事がない時点でなんだか劣等感があるのに
私なりにMaxで仕事に取り組んで頑張って、でもキャパオーバーしてしまって「辛い」と言えば、
「もう少し頑張れないの?」
「今もう少し踏ん張らなきゃ今後も辛い事から逃げ続けることになると思うよ。」と言う人もいる。

 東京で頑張って頑張って頑張って、そんで張りすぎて心の糸が切れて壊れた結果が今なのに。もう頑張れないよ。

 年々生きづらさを強く感じるようになった今、25歳になって、私は、大切な事は『手放す』という事だと思った。

 他の人、周りの多くの人たちと同じように生きなきゃいけないという考えを手放す。
私は私なのだから、私なりに生きれば良い。

 自分の精神疾患を理解しようとしてくれない人との関わりを手放す。
「頑張らなくていいから、辛かったら休んだらいいよ」そう言ってくれる人たちを周りにたくさん置く。そうしたら楽になる。

 どこかで雇われて毎日職場に通って働かなくては、という固定観念を手放す。
今は自由な時代だ。1人で気ままに自分のペースでできる仕事もきっとあるはずだ。

 そう思えば少し楽になる。

 躁鬱が治ったら1番楽だし、嬉しい。
でもそんな簡単じゃないし、何で治らないの…なんて何年間も思いながら生きるのは辛い。

 頑張らないで少しずつ、鬱と付き合いながら、自分の生きやすい世界を自分の手で作っていって例えば10年後に今より気楽な世界で生きれていたらいい。
そう思う事にした。

 こんな私の文章が、同じように苦しんでいる誰かに届いて、少しでも心が楽になったら…と思う。

noteの創作活動を生業に出来たらなぁ…。記事を読んでいただいて何か心に響くものがありましたら、気が向いたらで良いのでサポートお願いします!