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「関係性」をつくる

先日、ある場所でプレゼンをした

 今回は、ちょっと番外編となります。
 先日、ご縁がありましてプレゼンさせていただける機会がありました。

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「関係性をつくるカフェから始めてみた」という内容です。

こんな内容でした…

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 武蔵野市にある"MIDORINO_”という場所の一角で週に一度だけカフェを開店しています。
 なぜ、会社以外でわざわざ忙しい状況をつくっているのかといえば、最近子供たちの表情が冴えなくて身の回りで悩んでいる方が増えてきたなと感じたからです。
 学生の頃に出会ったフィリピン北部山岳地帯の電気もガスも通じておらず不便で何もない場所に住む子供たちが、日本からの来訪者をみて好奇心一杯のキラキラした瞳を向けてきたことが思い出されました。

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「子供たちにワクワクする未来を渡してあげたい。」
「大人たちの顔を上に向けたい。」
 ・・・そんな思いから、ファーストペンギンになってみました。
 失敗するかもしれません。でも、こんな人もいるんだと。
「同じような問題を抱える人と安心して話せる場」
「さまざまな才能を持ったひとが才能を発揮できる場」
「好奇心が生み出される場」
・・・そんな「場」を作りたいと思いました。
 伝えたかったメッセージは、
「もっと自分の人生を楽しもうよ」
ということです。

ちょっと変わったコーヒー屋

 自分で言うのもなんですが、ちょっと変わったコーヒー屋だと思います。
 その日に提供する分だけ朝、焙煎してドリップしたものを基本的には提供しているのですが、「自分で焙煎する方法」もお伝えしています。
家庭で焙煎できれば家での会話も広がって、おもてなしの幅も広がりますし、店で自分で焙煎するようになればお客さん同士の会話のきっかけになります。
隣同士に座った方々から会話が始まったり、焙煎したコーヒーを飲み比べる光景も見られます。(ベテランさんは勝手に自分で焙煎してくれますので、隣で少しアドバイスするくらいです。)

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関係性をつなぐきっかけのツールとして

 やりたい事は、コーヒーを「飲料」という商品として販売するのではなく、「関係性をつなぐ」きっかけにすることです。
 コーヒーというのは昔から貿易品(商品)として取引され嗜好品として販売されてきましたが、ひとの会話の間にもあるものです。
 世の中は多様なひとの生き方の組み合わせですが、「知らない」事や人に対してどうしても攻撃してしまったり遠ざけてしまったりします。
 コーヒーを間にして相手を「知ること」で「遠くの人」をつなげて、変化の時代の中に角度の違った考え方や新しい考え方が生まれるきっかけを作りたいのです。
 そして、決まった枠から飛び出して様々な制限から解放されて「自由になりたい」という自分の気持ちを解放してほしいと考えています。

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 そしてコーヒーは生鮮食品なので、なるべく新鮮で酸化が進んでいない状態で飲用することが健康な身体をつくるということを伝えています。

広告もあまりせず自然体で

 チラシも配布せずInstagramなどは、スカスカ。Facebookも気まぐれ。noteなんて、もっと気まぐれで毎週どころか投稿忘れたりする・・・と積極的な広告もせず、「気づいてくれる人が来てくれたらいい」程度の感覚で続けていましたが、偶然なのか月平均売上はお店の賃貸料とほぼ同額でプラスマイナスゼロでした。
 なるほど、広告とは短期間に多くのお客さんを呼ぶための「時間を買う」という行為なのだと気がつきました。
 お金をかけないのであれば時間をかける。お金をかけるためには売り上げを上げて利益率を上げなければならない。利益率を上げるには‥?
 ・・・いずれにしても、ゼロベースをもとに足すか引くかをしてバランスを取ることを考えるようにしようと思います。
 ただ、プラスを大きくしすぎると無理が出て、マイナスしすぎると品質が下がってそっぽを向かれてしまいます。身の丈に応じて続けるために必要な分だけを考えようと思います。

・・・プレゼンでは、ここまでお話ししました。(多少、盛りました。。)

日本の原点、「吹き溜まり」の場所

 世界地図をヨーロッパやアジア・中国から眺めると日本という国は「歩いて流れた先」にある東端の岬というような位置にあります。(”Fareast”(極東)は正に。)
 最近読んだ古事記の解説本によれば、日本海とアジアに開かれた出雲と太平洋・黒潮の流れと繋がった熊野を舞台にした神話が描かれているそうです。
 どうやら、東南アジアなど南方から流入した人々(縄文文化)と朝鮮半島経由で入ってきた北方の人々(弥生文化)が混じり合って「日本人」ができあがった「多様性のある」国なのだというのに驚きを感じました。
 日本列島に辿り着いたら、もうその先には行くところはない。
 どうにも逃げようがないから様々なものが溜まっていく場所。
 世界の文化・文明の終点が私たちの国のようです。
 もともと「多様性」があり「異文化を受け入れる」素地はあったのだと、だから私たちは学ぶことが好きなんだろうと、何だか心が揺さぶられてしまいました。

 食と健康のこと、自然との関係のこと。運動とからだのこと、文化や芸術のこと・・・。
 学問や知識の吸収が中心になってしまった学校では学べないような「生きるための知恵」が得られる場が身近にあったらいいな。
デンマークの「フォレスホイスコーレ」(人生の学校)があったらいいなと、夢は尽きません。

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