挑戦することに気づかされた・・・
「失敗しない」に振り回されていた
振り返ると2015年。
仕事で手帳のスケジュールは埋まっていましたが、数字を追い、「なるべく失敗しないように」する日々でした。
減点主義の中では、在りきたりな成果物しか得られません。
自己アピールが飛び交うなか「やりたいこと」のイメージが「会社の中でやりたいこと」にしかなく、「どこに行っても同じだろう。」という思いが何となく白けた思いにつながり「熱意」が少しずつ失われていきました。
いま思えば、本当にやりたいこと/自分が本当に大切にしたいこと(=ライフワーク)を掴めていなかったのでしょうね。
そんな時に、「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」(「生き方」稲森和夫 著)という言葉に出会ったのです。
「この仕事は自分に合わない。」という考え方では仕事の結果が低いのは当たり前でしょう。
でも、本当に「やりたいこと」があるのならば、そのために「やりたくない仕事」も楽しめるのだと思うようになりました。
ライフワークは、「自分の夢」と置き換えてもいいのかも知れません。
自分のライフワークを探って人と会い、様々な考え方に触れ、自分の中で模索して情報を集め、また考えて発信して行動する。そんなことで広くて深い考え方ができ、普段の仕事(=ライスワーク)の中でも少し角度のちがったアプローチ
につながり「やりたくない仕事」が何となく楽しく思えるようになってきました。
挑戦することの大切さ
それに気づくきっかけが息子にありました。
感覚過敏の症状を持つ息子は学校で挑戦の日々を過ごしていました。
発達障害の症状のひとつ、「感覚過敏」。初めて口にする食材の感触や味、味覚や唇などへの触覚、ニオイが混ざり合う臭覚などを伴う「食」は受け入れ難いものがあるのでしょう。彼にとって偏食は単なるワガママではありません。
それに、突然視界に入ってくる子どもたちや、様々な音が飛び交う世界は、視覚・聴覚過敏もある彼にとっては厳しい環境だと思います。
息子にとって毎日の学校生活は「挑戦」であり未知の世界で「冒険」でもあったでしょう。学校では毎日マラソンし、遠足や宿泊学習で山や海の自然に触れ、調理学習で料理を学び自然の数珠玉でのれんを作っています。
食がカラダをつくり、カラダを鍛えることで自信が生まれ、緊張感の中で頭とカラダをバランスよく使うことで深い睡眠をもたらし脳をつくります。
箸をつかったり食材に触れたり不定形で小さな数珠玉を扱うことで五感や指先の感覚が養われ「無理」とあきらめていたことが出来るようになりました。
「これしかできないだろう。」と予め制限をつくるよりも 「できないかもしれないが、やらせてみる。」ということが大切なことで、失敗して課題を発見し挑戦して、ある日できるようになるのです。
実は失敗は体験の1つで新たな課題の発見に過ぎず、進歩につながっているのだと気づかされました。
コミュニケーションを加速させる必要性
それにしても、何を目指せばいいのか?それを模索する日々がはじまりました。
学校生活が進むにつれて、運動会の練習で同学年の(一般の)子どもたちが手を引き声をかけてくれました。
「足を引っ張ってしまっているかな?」と最初は感じていましたが、息子がいるチームはむしろ一体感が出ていたようです。周りの子どもたちが「どうしたらいいか?」を一緒に考えるきっかけを作っていたようです。結果的に、なんとか一緒に動けるようになりました。
小学校の世界では、それぞれの役割の中でお互いが支え合えていますが、社会人になると競争や効率性の中で目にすることが少なくなっています。
何かの課題を、できることで助け合うのが日本人のDNAだと考えています。最近の自然災害でこの意識が再び芽生えている気がしますが、日常でこの場面に出会う機会が少ないような気がします。
「さまざまな人が出会い、得意なことやできることを交換することで新たなコラボが生み出される場がつくりたい」
と考えるようになりました。
身の回りの親同士で話して出てくる共通する悩みは「親亡き後の子どもたちの居場所」です。
生活資金の確保も大切ですが、何かあったときに地域の(よく知っている)知り合いが増えれば世の中の困りごとは何とかなると思います。
コミュニケーションを広げお互いを知ることができる場をつくらなければなりません。
地域を見渡すと、隣に住む人のこともよく知らないような状態です。
おまけにコロナ騒ぎで直接的な人の触れあいが積極的に避けれらる雰囲気ができてしまいましたが、オンラインで繋がる状況です。そのような中、
「信頼関係は言葉だけでは紡げない。他の霊長類と同じように人間は五感を用いて他者とつながり合う。共有しやすい視覚や聴覚ではなく、嗅覚より味覚、味覚より触覚のほうが信頼を高める。」
という、京都大学総長の山極壽一先生の言葉が胸を打ちました。
イベントを仕掛けても一時的で継続的な関係に繋がるようにも思えません。日常的に、何かでお互いを知ることになり、持っている知識や経験を持ち寄って何か新しい解決方法を見つけられる「醗酵場」のような場所。
そのヒントがスナックにありました。
そう。あの狭っ苦しくて大の大人がヤケに高価な柿の種をつまんで酒を飲む、あのスナックです。