高校入試に落ちたら(その2)

「奥羽本線(下り)快速 7時2分横手発秋田行き」
 16年前、ぼくが秋田市にある予備校に通うため利用していた電車だ。乗換案内で調べたところ到着時刻は7時59分とある。
 アレ? 1時間もかからないな。前回、「秋田市までは電車で2時間ほど」と書いたのは思い違いだったのか。もしかすると、帰りに利用することがあった普通電車だと約1時間20分の移動時間なので、1時間20分と120分をごっちゃにしていたのかもしれない。受験に落ちるわけだ。
 とにかく、時間が倍に感じられるほど苦痛だったことはたしかだ。県南一の進学校を受験して落ちた15歳のぼくは、1年間、父親か母親の運転する車で駅まで行き、電車に揺られること1時間の距離にある秋田市の予備校に通うことになる。
 そういえば、4月あたまの入校式を前に、伯父さんや叔母さんから「入学祝い金」をもらった。受験して浪人したヤツに祝いも何もないんだけど。渡す方も貰う方もずいぶんバツの悪い祝い金だった。

 予備校の入校式には母親も出たはずだ。出席者は校長以下、教師たちと高校受験に落ちたぼくら生徒とその保護者たち。生徒は男子が20人ほどで、女子は10人もいなかったような気がする。少ないと思われるかもしれないが、この理由は後ほど説明したい。
 覚えているのは、たしか校長だったと思うが、高校入試という、おそらく生徒にしてみれば人生で最初に経験する大一番に負けた面々を前に、入試の失敗にかけたブラックジョークを言ったこと。数人の保護者が笑っていた。まあかける言葉も難しいし、変になぐさめるよりはそっちの方がいいかもしれない。
 それと、英語担当の教師が3分ほどのあいさつをすべて英語でまくしたてたこと。ぽかーんとしている全出席者の雰囲気を察してか、他の教師が「ちょっと先生、内容の説明はないんですか?」と促したが、英語教師の返事は「これぐらいはわかるでしょ」だった。
 少なくともぼくはほとんど理解できなかったし、他の大勢の生徒も同様だろう。ただ、学校のレベルとその目的を知らしめる意味で、生徒のケツの穴を引き締める効果はあったようだ。

 同時期、同じ高校を受験した中学の同級生と遭遇するという出来事があった。
 その日は同じ町内の家で築の建前の餅まきが行われるのだ。
 少年時代は町内で「餅まき荒らし」の名を誇っていたぼくとしては高校浪人の身といえ参加しないわけにはいかない。
 その家の庭先で餅がまかれるのを今か今かと待っていると、道路の向こうから学ランを来た高校生数人がチャリに乗ってくるのが見えた。そのうちの1人は遠目からでもすぐにわかった。1ヶ月ほど前まで同じクラスだった石山だ。 
 そうか、この辺りはアイツにとって高校の通学路になるのか。石山がぼくに気がつかずに通り過ぎていくと、同じ高校に通う兄キが「あいつ、お前の同級生だよな」と聞いてきた。その日、ぼくはほとんど餅をゲットできなかったと思う。

 本格的に予備校生活が始まった。30人弱のクラスメートで、県南から来ているのはぼくだけだった。ほぼすべてが県中央にある中学から来ていて、中には小学や中学が一緒だったという生徒も数組いた。
 ぼくは予備校のイメージとして、目標とする学校には落ちたけど、それなりに成績優秀な生徒が入るものと思っていたが(中学浪人ならなおさら)、クラスメートの日頃の発言や授業中の受け応えを見てると、どうやらそうではないらしい。
 バカがいる。しかも少なくない数だ。その例をいちいち挙げるのは面倒なので省略するが、ちょっとイタい言動のヤツとか、予備校なのに「シメる」とか言ってるヤツとか。
 
 はて、これはどうしたことだろう。ここは県内の予備校の中でも進学校の合格率トップと聞いていたのに。しばらくしてその謎は解けた。高校受験を教えるクラスは2つあったのだ。
 つまり、県内トップの進学校を目指す生徒用のクラスと、それ以外の高校を目指す生徒用のクラス。クラス分けをするために試験をした記憶はないので、単純に志望校のレベルで振り分けたのだろうか。なんにせよ、ぼくが入っているのはその他(バカ成分多め)のクラスだった。
 
 授業の内容は、どの科目も過去問を解いて受験問題の傾向に慣れるというやり方だった。模擬試験の頻度は3ヶ月に1度ほどだったろうか。当時の問題集、ノート、テスト用紙なんかはまだ実家の押し入れに眠っているはずだ。
 今となってはクラスメートの名前を一人も思い出せないように、教師も印象に残っているのは先の英語教師を含めて数人だけ。
 そのうちの一人は、最初の授業でポール・マッカートニーに似ていると自己紹介した数学担当の教師。続けてかました「今日はジョージは来ていないんだけど」というボケに、ぼくの隣のヤンキー風の生徒が「つまんねえ」とつぶやいた。
 この教師の担当はたしか数学で、授業で難問を解いた生徒に学食の「肉うどん」をおごってやると言ったことがある。
 そうだ、予備校の肉うどんが絶品だったことをいま思い出した。いまだに駅で立ち食いそば屋の肉うどんの香りを嗅ぐと予備校時代の記憶が開くような気がする。

 ぼくは高校生になってからは学校をサボりがちになるが、予備校にはマジメに通っていたと思う。家族の目もあるし、志望校に入るためには成績上げるしかないし。
 しかし勉強ばかりをやっていたわけではない。予備校のある秋田市にはタワーレコードもあるし、佐々木希が働いていたというファッションビル「FORUS」もある。そこでUKパンク風の古着を買ったり、地元のレコード屋では手には入らないCDを買ったり。
 また、初めてバンドのライブに行ったのも予備校時代だ。バンドはハイロウズで、場所は秋田県児童会館。アルバム「ロブスター」を出していた頃で、季節は秋だったような気がする。ライブは、ヒロトが金髪だったことと1曲目がシングルカットされた「千年メダル」だったことぐらいしか覚えていない。それからぼくは3年間連続でハイロウズのライブに参加することになる。

 また、ぼくが無謀な高校受験をする理由の1つでもあった、中学3年のときから好きだったYさんに初めてラブレターを出したのも予備校時代だった。手紙ではなく、ポストカードで(黒澤明記念館で買った、裏に黒澤明の絵が画かれたものだった)。
 みうらじゅんさんも最初のラブレターは往復はがき(にマッキー黒)で送ったということだが、なぜ童貞は送り先の家族にもバレバレの行為をするのだろうか。送ったのは1通だけではなかったはずだが、Yさんから返事は来なかった。

 ライブに行ったり童貞をこじらせたりしているうちに季節は冬になり、高校入試まで2ヶ月を切った。現役中学生も参加する最後の模擬試験は地元の会場で受けた。
「ゾーン体験」という言葉があるが、このときはぼくも一種のゾーンに入っていたと思う。なんせ、国語の長文の問題中にあったジジイと少年の会話をいまだに覚えているのだ。そのテスト結果は500点満点中420点ほどだったと思う。
 模擬試験から数日後、ぼくは母親と共に約8ヶ月ぶりに母校の中学を訪ねた。2度目の受験の手続きをするためだ。元担任に次も同じ高校を受けることを伝え、先の模擬試験の成績表を差し出した。元担任は成績表の総論部分を「まず問題なく合格できるでしょう、か」と、目を細めながら読んだ。
 1つ気がかりだったのが、昨年よりもその高校を受ける生徒が多いということ。つまり今回の方が倍率が高いのだ。

 予備校生活も大詰めというところまで来たある日の授業中、クラス1のバカがポール・マッカートニー似の教師に尋ねた。
「もし次も入試落ちたら、この学校ってまた入れるの?」
 ポールの返答は冷たかった。
「高校浪人に予備校2年目があるはずがないだろ」
 その言葉を胸に、15年前の3月某日、ぼくは2度目の高校入試を受けるのである。
(続く)


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