引越しのご挨拶に変えて マグリットの翼

ここしばらくブログをお休みしていたので心機一転アメブロから引越してまいりましたカクレモグノミと申します。1番好きなものは美術と芝居です。野田秀樹さんとケラリーノ・サンドロヴィッチ さんが大好き。野田地図は野田さん自身がなんと言おうと、見に行く前の予習から帰宅した後戯曲を読み返してあれこれ思い返し、WOWOW放送で復習するまでが演劇だと思ってます。

ご挨拶がわりに我が家の子供達の話を少し。我が家には長男の高校生のコロ君と妹の中学生のシロちゃんがおります。コロは私に似たのか美術も芝居も大好きな趣味の幅広い子ですが、娘シロは美術は見るものでなくて描くもの。ルネッサンスなんてまるっきり興味なし。ところがたまに気が向いて一緒に展覧会なんかに行くと独特な感想を呟いたりしてはっとさせられる事もしばしば。

画像1

これは以前行ったルネ・マグリット展での話。有名な「アルンハイムの地所」を前にした時、それまでさほど真剣に見ていなかった当時小学生低学年だった妹シロが「このお山は空が飛びたいんだね」と呟いた。アルンハイムの地所は画面手前に鳥の巣があって小さな卵が3つ入っている。その奥に小さな鳥の巣に立ちはだかるような険しい山脈が反りたっている。その山並みは鳥が飛び立つ姿そのものが凍りついたようでなにか、囚われたような不穏な様子の気になる不思議な印象の作品だ。様々な解釈がされているがマグリットが10代の頃自殺した母の姿と残されたマグリット兄弟を象徴しているとか悲しい解釈がされている。ポーの同名の小説のイメージもあり、なんとなくこの絵には張り詰めたような暗い影を感じてしまう。この作品を前にして娘シロちゃんは空を飛びたい山の絵に見えたらしい。

娘シロちゃんはとてもメンタルの強い子です。誰かに嫌われても「良かったシロも○○ちゃん嫌いだったから」と言ってしれっとしているタイプ。私なんかメンタルが弱々なので嫌いな人にすら嫌われていると知ったら傷ついてしまうのにこの違いはなんだろう。この子を見ていると人は辛い事を経験して段々強くなるものではなく、強く生まれるかそうでないかの違いなんだなと気がついて、つまらない事を我慢するのがバカバカしくなった。だってシロちゃんなんか別に過酷な運命を切り抜けてきた訳でもないけど鋼のメンタルなんだもん。

そんなシロにはこの作品のお山が自分の運命に悲観して命を絶った鳥ではなく、空が飛びたくて鳥になろうとしているお山に見えたらしい。

私にはきっとそんな風には思えないだろう。毎日目の前の鳥の巣に戻って来る鳥を見ても、私は山だから無理と最初から諦めてしまう。でも、シロがこの山だったら飛びたい気持ちを込めて毎日少しづつゆっくりと岩山を羽に変え、少しづつ山の稜線を翼に変えて、いつか山並みを大きな翼に変えるだろう。そして得た大きな翼を広げどこか遠い所へ飛んで行くかもしれない。

絵にはそれぞれの物語が込められている。それが知りたくて画家について読んだり調べたりするのですが、その込められた物語と、受け取った物語が違ったとしても不正解ではなくみんな正解なんだ。それを娘から教えてもらいました。

絵は見るものじゃなくて描くもの、それは今でも変わりませんが気が向くとたまに母の展覧会にも付き合ってくれます。

#子供に教えられた事

#美術 #アート

#西洋美術 #美術史



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?