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私の娘は時々仕事をする

私の娘は今日も「仕事やから、休んだらあかんな」と言って“職場”へ向かった。

娘のこと

ダウン症で自閉症の私の娘は、昨春支援学校の高等部を卒業して、今は障害者支援施設で生活介護サービスを受けている。生活介護サービスは、常に介護を必要とする障害者が主に昼間通所することで受けられる。娘が通っている施設は午前中は散歩や体操、午後から工作や音楽療法などを行っている。こんな風に書くと“堂々と”働かなくてよい大人の集まりのように思われるかもしれない。「しかたがない」と理解を示してくれる人もいるかもしれないが。

実際、そこでは行政からの委託を受けて軽作業をすることがある。生活介護サービスの中には、創作的活動や生産活動の機会の提供というのがあるのだ。その作業のある月は、お給料が数千円手渡しでもらえるので、娘は「お金稼いだ!」と自慢げに言っている。

しかし彼女はお金の価値を理解していない。本当の意味でお金を稼いだことを喜んでいるわけではないだろう。では、娘にとって「はたらくってなんだろう」。

私のこと

私は独身時代に失業していた期間が1年ぐらいあった。実家暮らしで、とくにお金に困っている家ではなかったので、金銭的にどうしても就職しなければという感じではなかった。
だんだん昼夜逆転した生活になってくるし、とにかく母が掃除洗濯食事の用意となんでもしてくれるお嬢様生活にどっぷりはまり、このままでは社会復帰は無理だなあと思うようになってきた。
しかし、「26歳の女が仕事もせず、結婚の予定もなく、家でぶらぶらしていていいのか私!」と自分が情けなかった。

家にずっといる(通勤定期がなくなると交通費がかかって気軽に出かけられない)と、否応なしに自分を見つめてしまう。私はふらふらして頼りない自分が嫌いだった。強がっているけど実は打たれ弱い自分が歯がゆかった。こんな私には支えがいる。それは仕事だと思った。
お金儲けのためというより、ウジウジ自分が情けないとか弱いとか考えなくてもいいように心の隙間を埋めるために、働きたかった。って今から思うと私が食うに困っていない“甘ちゃん”だったからそんな理屈っぽいことを考えていただけの話だけど。

この国の現状のこと

ほとんどの人は働くことで生活の糧を得る。糧には二つの意味があるように、本当に今日のごはんのために働いている人もいれば、余暇を楽しみたいなどより豊かな生活を送るためと言う人もいるだろう。そして今この二者の格差は、是正されるどころか、どんどん広がっているという。

明日どころか今日食べるものもないとか、一日の食事が学校の給食だけなんて言う小学生の話を聞くと、バブルを知っている世代としては、ここは本当に日本か?!と疑いたくなる。そしてこのコロナ禍だ。仕事が減るもしくはなくなるなどで生活困窮者は増えている。

一方で、日経平均株価は約30年ぶりの高値なんてニュースが流れる。空前の株高でお金持ちおよび超お金持ちの人たちの資産は増え続けている。世界的に見ても“お金が余ってる?!”なんてことを聞くと、到底高給取りとは言えない(失礼、夫よ)サラリーマンと結婚し市井の人である私は「どこに?」と思ってしまう。

経済の専門家でなくても、グローバル化とIT化を進めてきたことが一部の富裕層に富の集中をもたらしていることはわかる。
お金持ちはどんどん私腹を肥やし、貧しいものはますます貧しくなる。このまま行くと二つの階層は接点をなくし、それぞれの存在が見えなくなってしまい「格差をなんとかしなければ」という“空気”さえもなくなってしまうのではないか。未来を悲観する若者たちがいても仕方がないかなんて思ってしまう。

近い将来AIロボットが人間にとって代わる、なんて話も聞くようになってきた。そしてこのコロナ禍だ。私の娘も生産活動の機会を奪われ、子供銀行発行のお札でごまかさなければならないかもしれない。全く、私たち親子が生きていくこの国の行く末は大丈夫なのだろうか。

私が考える新しい働き方のこと

私はなんでも単純に考えてしまう傾向がある。経済や経営に全く素人の私は、単純に、ITなどによる技術革新やワークライフバランスの見直しによる新しい労働形態ができないだろうかと思った。それが以下のようなことである。

【技術革新】
AI技術の進歩など技術革新で消えていく仕事はある。それは“歴史は語る”である。でも去るものもあれば来るものもある。新しく生まれる職種もあるということだ。
そこで、単純思考傾向にある私が結構がんばって考えた。新たな職種を人間とAIロボットのコラボでやる、なんてことを。できない人間を失業させるのではなく、人間のできない部分をAIが補う。ろうあ者も目や耳の代わりがあれば“できない”人ではない。成果100のうち人間が10でもAIが90埋め合わせられれば、人間が100の成果を生み出したとみなす。そしてAIの活用による生産性の向上で生み出された収益は人間の賃金にプラスされる。失業とか賃金カットどころか、賃上げだ。
賢い人にお願いです。技術革新はAIを賢くして独り立ちさせるのではなく、人間のために進めてもらいたい。企業の内部留保を肥やすだけのために業務効率化を進めるのではなく、またAIなどの導入による企業負担を労働者側に転嫁されることのないよう、効果的に生産性を向上させ個々の労働者が残業など長時間労働をしなくても良いように適正な質と量で働けるシステムを考えてもらいたい。

【柔軟な働き方】
コロナ禍で認知度が急浮上したリモートワークという働き方。7割の実現は難しいかもしれないが、経営者側が無視できない状況にはなってきていると思う。これまで介護や育児をしている人にとって通勤と長時間労働は、正社員になるための大きな壁だった。このことは障害者にも言えるかもしれない。コロナ禍以前から言われていた働き方改革。本当に柔軟な働き方ができるようになり、安定した雇用と賃金の底上げが実現できれば、生活困窮者を減らすことができる。

技術革新も柔軟な働き方も、大企業では導入もそう難しいことではないかもしれないが、資金も知識・情報も十分にあるとは言えない中小企業や小規模事業者では難しい。だが、これらの企業こそ技術革新が必要なのではないだろうか。そしてなによりも、経営者側に迅速かつ大胆なチャレンジをすることで生き残り雇用を守るという意識付けをしなければならない。そのためには行政による手厚い資金面や情報提供などの支援が必須だろう。

私は米国の若者たちのように社会主義に期待しているわけではない。儲けたお金が特定のところで滞っていることが問題で、どう循環させるかが大事だと思う。それに、私は人間の欲望を否定するつもりもない。“人生を楽しみたい”という欲望を悪者にはしたくない。

いろいろ偉そうなことを書いてきた。上記のようなことは誰でも思いつくようなことだし、欠陥や問題点もあるのかもしれない。ただ私は、「働けない人たち」のことを思わずにはいられなかった。ひとりでも多くの働きたい人が仕事に就いて人生を楽しめたらいいなあと単純な私は思う。やっぱり娘のことがあるので、障害者など弱者と呼ばれる人たちに対してはとくにそう思う。

私たち親子にとっての「はたらく」ということ

この前テレビで漫画家の一条ゆかり氏が苦労と努力の末に漫画家として認められ、編集者がナポレオンパイを食べさせてくれた時、それが勲章となり「生きてていいですね私」という気持ちになったと話していたのを見た。その時私は、娘にとってと言うか、私たち親子にとって「はたらくってなんだろう」の答えがわかった。「私たち、生きてていいんですよね」って確認できる手段になっているのだ。

昔失業していたときも、障害をもった子どもが生まれたときも、誰の役にもたっていないけど「存在していていいの?」という不安がいつも付きまとっていた。今、生活困窮者が増えている。コロナ禍が追い打ちをかけて、人々から働く機会を奪っている。自殺者も増えているという。私と同じように、「生きてていいですか?」って思っている人がいるのかもしれない。

娘は納税できるほど稼いでいるわけではない。それでも、「お金稼いだ!」と喜んでいる娘を見て、ほんとうに世界の中心で「生きてていいんですよね!」って叫びたい。そして、娘には人生をもっともっと楽しんでほしい。




#はたらくってなんだろう

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