なぜRPG求道者は原神でガチャり続け、完全没入《フルダイブ》してしまうのか?
すべてのはじまりとおわり
実家に帰った時、PS5で原神をやる妹から、こう言われた。
🎮👹「ゲーマーのおまえが原神やらないのはおかしい。いますぐやれ」
📱😺「はい……」
そういうわけで時間をみつけてiPadにインストールをした。M1チップでは最高画質でプレイができる。すごいことだ。
ただ、冒頭でiPadでの操作が難しすぎてカメラ操作して移動した時点で詰んでしまった。
かといって、PCでやるにもSSDの容量がPSO2とNGS、デスストランディングやMGSV、エースコンバットなどなどのせいで、ほとんどなかった。
そういうわけで原神プレイ時間3分未満のプレイヤーは、ファンアートをいいねするだけのbotとなった。
ファンアートというゲームプレイ環境外でエウルア嬢とぶつかってしまったせいだ。
運命的な衝突のあと。すぐにGoogleに問い合わせはしていた。
📞😺「率直に聞く。エウルア嬢と会えるのか?」
Googleは答える。
📞💡「いいや、無理だ。とうぶん彼女はこないだろう……」
どうもピックアップされずに時が経過していたらしく、ファンアートに反比例してツチノコと化しているらしい。「560日ほど」とYahoo知恵袋でも言及されるほどに、未復刻となり続けていた。
僕はPSO2からNGSまでやって、ウチノコから教えてもらって知っている。
アクションRPGの時間の大半は、プレイアブルキャラの背を見て過ごすこととなることを。
プレイアブルキャラの背とは、アクションRPGにおける福利厚生である。運営がプレイヤーに対して通常の報酬にプラスして支給する非金銭報酬だ。
ただし一般的な福利厚生と異なるのは、この福利厚生を得るには、大きな財布の痛みが伴うということだ。
僕はPSO2NGSで信じがたい出費を重ね、推定50,000円は投入してこの美しいプレイアブルキャラウチノコの背を完成させている。だから、とてもじゃないがこれ以上の出費をするわけにはいかない。
最初期プレイアブルキャラである蛍嬢の背を見てゲームを続けることだってできはする。他のキャラだって負けちゃいない。見目麗しいプレイアブルキャラばっかりなのは原神のすごいところだ。
だから、福利厚生は他のキャラで得られる。それで十分なはずだ。
そもそも福利厚生を求めて金を出すなど、本末転倒だ。
この福利厚生には、推定で30,000円の出費が必要となる。これでもピックアップがすり抜ければ、さらに課金が必要となる。
おまけに原神は、キャラに合わせた武器というものがあり、こちらもほぼ30,000円必要となる(以下は価格改訂前の記事とみられる)。
つまり60,000円持っていかれる覚悟で引かないといけない。
ガチャゲーにおいて無料プレイヤーのぶんをおごっている、と考えれば、一人あたり6,000円をこのゲームで払う必要があるとすれば、だいたい10人分をまかなう計算となる。
こうしてRPG足長おじさんになれるんだぞ、と思い込んだとしても、重大な事実と向き合わなきゃいけない。
つまり、僕たちがRPGをやるために、福利厚生はなんら重要ではないってことだ。
本質的にRPGで重要なのは、ストーリーだ。
それを僕らは僕らはコンシューマーゲームと呼ばれる、家庭用ゲーム機のRPGから教わっている。
僕の場合は、キングダムハーツシリーズ、MGSシリーズ、デスストランディングやエースコンバットだ。
おまけにボンクラヲタク単独主催、見目麗しいプレイアブルキャラ杯優勝常連であるウチノコは、PSO2NGSで僕を待っている。
そうだ。僕は、原神で蛍嬢とともがんばればいいはずなんだ。
ただ原神のRPGとしてのストーリーを楽しめれば、十分なはずなんだ……
🎮😺「もう、引き返せない……」
そうして僕は思い出す。10周年を迎えた、ソードアートオンラインのキャッチコピーとなったセリフだ。
⚔️「これはゲームであっても、遊びじゃない」
そうして僕は原神の世界にSAOの世界に脳神経から直接入出力可能なナーヴギアを利用せずとも完全没入し、土日を使って埋没コストたる47,070円の元を取り返そうと走り続けている。まだ冒険者ランクは17でしかないが。
どうしてこうなってしまったのだろう?
なぜRPGゲーマーだった僕は、原神でガチャり続けてしまったんだろう?
さらに、この福利厚生を様々な人が経験しているはずだ。こんな煩悩まみれ足長おじさんは、たぶんこの世に多い。
だから、こう銘打ちたい。人類の罪、ガチャゲーを理解したいから。
🎮😺「どうしてRPG求道者は原神でガチャり続け、完全没入してしまうんですか?」
🎮😺「どうしてでしょうね……」
RPGプレイヤーは完全没入できるゾーンを探し求める求道者?
ネットフリックスのドキュメンタリー「お金をダイジェスト ギャンブル」をみていたことがある。
疑問を抱いていたからだ。
なんでみんな損をするのをわかっていながら、カジノやパチンコに足を運ぶのだろう?と。
そのなかで面白かったカジノ戦略の話は、こういったものだった。
期待感を持った時、ドーパミンが活性化するのだという。そのとき勝ち負けすら気にならず、プレイを続行し続ける。
ゾーンと呼ばれるこの状況は、スポーツプレイヤーであれば誰しもが経験しているはずだし、バンナムAC7やフロムACfA, ACVといった死に戻りゲーをプレーしていた者なら理解できるし、原神のようなソシャゲのガチャを回した者ならわかっているはずだ。ぜんぶやった僕が保証しよう。
しかし僕がガチャをまわすときは、カジノ常用者のようにはなれそうになかった。
ガチャを回すにあたって、天井になることは当然覚悟を決めていたほどだ。ガチャ引いてる時は、安心感よりも不安ばかりが募った。
これから6万円が失われる。
どんな未来を踏んだとしても確実に。
この6万円に見合う結果を、僕はこの原神で得なければならなくなる。
ドキュメンタリーをみていたせいもあったんだろう。しかし僕はFGOの無料石や福袋で回すガチャが一番楽しいと知ってる。100連分すなわち約3万円溶かして無理やり獲得するときに理解してきたのも大きいのだろう。
当時のFGOには天井などなく、3万円使えばしたらそこで撤退するしかなかったものだし、残念ながら生きた心地はしなかった。出るまで回せば出る、という地獄のフレーズは当時は言われてたものだが、冷静に考えると恐ろしい。果たして彼らはどれほどの諭吉をアズライールしてしまったのだろう。
FGOにおいても天井は実装され、300連すなわち9万円で狙った⭐️5ひとりは出るようになった。
とはいえ、やはり高すぎる気はする。
僕にはなんともわからないが、ソシャゲのガチャは、そのゲームの知名度が高く、かつ当時の話題性が高いほど、ゾーンに入りやすいのかもしれない。
でなければソシャゲプレイヤーはもっとそれぞれのゲームで点在するはずだし、サ終するゲームも、これほど多くはないはずだ。
このゾーンの記述が冴え渡っているのが、呪術廻戦だと思っている。黒閃や、東堂のいうところの「退屈が裏返る」瞬間だ。少なくともアクションゲームをやってるときは、僕は味わえている。
だがほかにもゾーンについて気になる要素がある。「心地よさや一定のリズム 安らぎです」という部分だ。
RPGが多少の変化球をもちながらも結局は剣と魔法のRPGにたどり着くのも、実は関連があるのかもしれない。
修行を重ねる求道者は、文を読み書きし、詩を詠い、教祖がしたという振る舞いを演じるものだ。そのなかで、求道者は現実にいながら自由と安らぎを得る。
原神もブランニューワールド、つまり真新しい世界ということらしいが、剣と魔法、敵との資源収奪合戦、謎の空間である地下牢と決してお約束は外しはしていない。
はじめに僕はこのあたりにロシアによるウクライナ侵攻を思い出し、
🎮😺「敵を倒したり資源を勝手に取ったり敵のアジトでもある地下牢に勝手に入って暴れまわるの、明らかに脇の甘いロシア兵と同じだな……」
とかぐったりしていた。
しかししばらくプレイをしていくなかで、
🎮😺「まあ、お約束だしな……」
と割り切るようになっていったし、
🎮😺「そういえばプレイしてたドラクエ9とかFF13とかキングダムハーツシリーズでもおんなじことしてたし疑問を抱いてなかったわ……」
と自らの無垢さゆえの罪に、思いを馳せたりもした。
そして原神における硬い敵を殴っている時に、ようやく感覚が帰ってくる。キングダムハーツ2のセフィロスや留まりし思念、PSO2NGSでスレイヤーでボス敵を回避しながら殴るとき。モンハンサンブレイクでの数々のモンスターと回避しながら殴りあっているときのあのゾーンだ。
🎮😺「そういえばこのゾーンに入れるの、剣と魔法のアクションRPGだけかもしれないな。銃だとすぐに決着がついちゃうから……」
そして原神におけるこのゾーンは、ハイエンド装備をしているエウルアを使っている時にのみ訪れることに気づいていく。
🎮😺「NGSみたいに見た目だけじゃないって、こういうことなんだ。強さをガチャで得ることができるRPGが原神なんだ。これ以上の強さを求め始めたら……もっとガチャを回しにいってしまう!」
そこで原神のガチャの、僕にとっての本質に近づいていく。
🎮😺「そうか、原神は画一的なRPGフォーマットとガチャが統合してある!ガチャは選ばれし者になることそのものだ。そうでなくとも、金さえ払い続ければ救われる。親ガチャとかいう運命論そのまんまじゃないか……これは、狂う!」
そういうわけで、僕は本気でアクションRPGをやりたくなったらモンハンサンブレイクを起動し、太刀か片手剣で原初のメルゼナを狩りに行って三乙することでどうにか狂わずに済んでいる。
だがこの自制がいつ自分に不幸があったときに外れるかわかったものじゃないのが、恐ろしいほど怖い。
フォーマットが画一的だと言われる剣と魔法のRPG。
それが異世界転生ものやJ-POP、恋愛ものと同じくくらい揶揄されたとしても、その心地よさや一定のリズムを、完全没入できるゾーンを、揶揄しているその人こそが常に求めているケースは枚挙にいとまがない。
僕自身も含め、人は自分を棚に上げて主語を大きくする運動は得意だ。
つまり、こういうわけだ。
人は、ゾーンを知ると後戻りできなくなっていく。
特にRPGプレイヤーは完全没入できるゾーンを探し求める求道者で、だからこそソシャゲの、強さに直結するギャンブル要素マシマシなガチャにもハマってしまうんじゃないのか?
……というのが、あまり考えたくない仮説だ。
このドキュメンタリーの最後のシーンと仮説も示唆的だ。
ゾーンの要因となっているこの仮説推論、いわば対称性推論によるバイアスは、人の言語学習を支えてきたものだ。
だから人は言語を学べる学習能力が故に、この地獄のゾーンに入ってしまう。おそらく言語を理解できる誰にも例外はない。
実際にITシステムを教える側でもあるエンジニアの僕は、以下の記事で学習に関する詳細をまとめている。
つまるところ、映画インセプションの言葉を借りるのなら、
僕たちRPG求道者はRPGのなかに眠りに来たのではなく、目覚めにきているのだ。
完全没入できるゾーンという地獄に入るため、つまりなんと、学ぶために。
RPGが選ばれるのは、学ぶ道を探しているから?
僕らには時間がない。
より正確にいうと、学ぶために時間をかける努力ができない。
これは僕自身が学習コストを突破するときに悩みまくった問題だ。
僕は曲がりなりにも事業会社のITエンジニアとして雇われている。
そして、これだけはいえる。
社会人に求められていることはただひとつ、期待に応えることだ。
この期待に応えるためにITエンジニアである僕は周囲の人々から経営陣まで、ITシステム全般たるハードウェアからソフトウェア、ネットワークまで開発かつ運用できることが当然のように要求される。
時によっては偉い人たちに意思決定を促せるように、現場をふまえた、社外のコンサルやITベンダ以上の適切な資料をつくることが期待される。
さらに、社内外のあらゆる不正に対抗できるように、法に基づいた統制を全て知り、自他に厳しく求め、そして改善し続けなければならない。
このぜんぶを社内の育成制度や資格に要求するのは無理だとすぐわかるはずだ。
完璧にこなす超人を探すことも、懇切丁寧に教えを乞うなんてことも、どれだけ金を積もうが無理だということは誰しも理解できるだろう。
つまり、自学自習の学習コストは、自前でほぼどうにかしなければならない。
最終的な僕の突破方法は、100万円近く使って600冊以上の漫画から専門書まで本を買い揃えて冒頭だけ読んでおき、必要なときにまたひっぱりだすという、オフラインGoogle検索だった(以下がその記事)。
これは後になって、人間の学習能力の発達に沿った手法であることがわかっていくが、つまり、いまはこうした100万円分の本を先に漁っておく手法は一般的な学習スタイルではない。公的教育機関で図書館の利用法を教わらない限りは。
これ以外の学習スタイルを考えると、それこそ公的教育機関やインストラクター的な指導、もしくは資格本や読みづらいオンライン記事にかじりつく自習というお決まりの流れだが、どれも金ばかりかかるか、集中するのも難しいみたいなものばっかりだ。
そういうわけで、人は学ぶことを望んでいても、学ぶことから日々遠ざかるしかない。
そこに現れるのがSNSであり、動画であり、RPGなわけだ。
これらは学ぶきっかけとなるゾーンの迷宮であり、現実で適度に生きている人は、じっさいに現実に帰って来れる。
しかし、現実でひどい被害を受けてゾーンから抜け出す理由を失えば、人生を閉じ込める地下牢となり、同時に聖域となる。社会的状況を背景に、SAOのナーヴギアを付けずとも完全没入してしまうのだ。
ネトゲ依存やソシャゲ依存と加害者たちから揶揄されれば、なおさら聖域の安心感は強化されてしまうだろう。元来、被害者に問題はなく、加害者に問題があるので、これは当然の摂理だ。
人は完全没入するかしないかを選べないのだ。僕らが完全没入していないのは、たまたま運がいいだけに過ぎない。
SAOや無職転生、おにまいなどはこのあたりのゾーンから抜け出せなくなるという描写に関して驚くほどよくできていて、これが親近感をつくり、人気のきっかけとなっているのかもしれない。
人が学ぼうとして没頭するSNS、動画、RPG
ITエンジニアの僕の経験則でしかないが、僕らは本来、学ぼうとしてRPGをやっているようなのだ。
新しいITシステムを開発したり運用したり、何かをドキュメンタリーで学んだり、現実にしろ空想にしろストーリーラインを考察したりするように、僕らはRPGを求めているように感じている。
今回の話題に合わせてゲームに限定した話をしたとしよう。
知ることに飢えた人のためのSNS
まず僕らは新規タイトルのRPGを、人づてに知ることが多い。
ブルーアーカイブにしろ、原神にしろ、モンハンライズサンブレイクにしろ、ツイッター上での言及やファンアートによって存在を検知する。その後、オフラインで同僚や家族から教わり、最終的にプレイすることになる。
ITシステム開発や運用においても、ツイッター上や会社のなかでの言及で存在を知る。会社ですでに利用されているのであれば、いずれ運用のために利用する機会を得ることになる。
ITエンジニアである同僚たちにかなりのRPGゲーマーが多いのも、なにかを示唆しているようだ。
SNS依存とはつまり、知ることへの飢えなのかもしれない。
わかりやすく学ぶための動画
次に動画だ。いまどきのYoutuber、特にVtuberは僕らの代わりに死に戻りRPGをやってくれていると言って過言ではない。
パトラ嬢やホロライブのこより嬢がフロムのAC4系やACV系をプレイしていく。正直かなり昔にやってた僕なんかよりも彼女たちはずっと上手だし、なによりも上達することに余念がない。
彼女たちがプレイしているのをみると、自分もAC6が出たらがんばろうと思えてくる。
ITシステム開発や運用においてはまだ動画系のコンテンツはゲーム配信と比べれば圧倒的に貧弱だが、さっきのネットフリックスのドキュメンタリーとか、ノンフィクションの映画などではお世話になる。その後その関連の本を読んだ時の理解度が、大幅に異なるからだ。
RPGというストーリーラインを使ったトレーニングコース
最後にRPGだが、これは勇者を含めた何者かになっていくまでのトレーニングコースだと思う。
RPG並みのトレーニングコースの設定とはつまり、よくできたフィクションのストーリーラインをつくるのと同義で、信じられないくらい面倒だ。
小説や漫画を描くものなら、ストーリーラインをつくるだけで面倒というのはすぐに承知してくれるだろう。僕もハヤカワや電撃に小説を送りつけたりする暮らしをこの2,3年で始めたが、本当に大変だ。
顧客が求めているのはなんだかんだで剣と魔法のRPGなわけだが、僕は銃とコードのRPGをつくってしまった。描くべきものと描けるものはどうしても異なり、どう合わせていくのかが難しい。以下はハヤカワで縁がなかったので電撃用に改造した、お金=スパイウェア開発者が戦うというスパイものだ。
さらに僕は新人向けのITトレーニングコースを毎回設計しては、適宜その人の得意分野と現在自分の部署で問題になっている事項、さらに以前の受講者のフィードバックにあわせて再設計を繰り返しているからこそわかる。めんどくさい。
また、パワポを筆頭とする資料づくりもこのRPGのトレーニングコースをつくる状況とほとんど同じだ。
端的に言って、何が期待されているのか?
期待されている課題を表現するとどうなるのか?
それらの課題をつくるに至った問題や経緯はなにか?
これらストーリーラインの設計においては、答えはあくまで一例としての意味しか成さない。真に答えや新たな問いを見つけ出すのは聴衆自身であり、RPGプレイヤーだ。
どれだけ完璧な作品を書いてなお、この真理は覆せない。
なぜそう断言するかといえば、僕自身がギルクラをみたうえで小説で表紙絵を書き改変を二度行い完結させた聴衆であり、それでもなお何かが足りないと考え続けているからだ。
僕はいわばRPGより多少自由な改変作品という地下牢のなかで格闘し続けてきたわけだが、RPGの時の経験は多いに役に立っている。
MGSで潜入しながら、ギルクラの集や涯が戦う姿を回想していたものだし、デスストランディングをしながら、ギルクラのいのりが荒れ果てて閉鎖された東京をつなぐ旅を思い浮かべた。
こうしたRPG求道者が原神でガチャり続け、完全没入《フルダイブ》してしまうのは、あまりにも悲惨なことでもある。
しかし、ここまで書き散らしたことから想像するに、必然に近かったのかもしれない。
僕たちは(リアルとフィクションの間で)どう生きるか?
僕たちが画一的だと揶揄をしながらもRPGをやるのは、むしろ学ぶという観点から逃れることはできないだろう。
でなければ、他のことをRPG並みにのめり込んで学ぶしかなく、そうして学習を繰り返した僕ですら、RPGの魅力に取り憑かれている。
ここまで斜に構えた文を書いてきた僕だが、結局この背中に、福利厚生に、47,070円を溶かしたのだ。
空想のなかであっても、現実同様に、強欲には生きることはできない。空想世界で強欲に生きるには、現実で真面目に働き、適度に倹約しなければならない。
それが嫌なら、現実で代わりのものを得るために、もっと真面目に働き、適度に倹約し、たくさんの人のためにならなければならない。
空想の主人公たちはいずれ現実に帰ってくる。だが僕ら現実の人間たちは、またフィクションの世界に、RPGの地下牢の世界に自ら閉じ込められにいく。
現実を生きる僕らのほうが、よっぽど空想の世界に生きているのだ。
ソシャゲ系RPG原神は、現実と空想にいかに折り合いをつけるのか?という大切なことを、RPGプレイヤーの僕たちに真新しい世界と高い請求額から教えてくれているのかもしれない。
それはそれとして……
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