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志樹逸馬 わたしはこんな詩が書きたい

白いページをめくれば話しかけてくる
実在のことば
親しく 目の前に生きて
あたたかくにおう詩を書きたい
読む人に身近な置物のように
青空のように
草におきこずえにしたたる露のように
涼しいせせらぎのように
父母のように
夫婦のように
兄弟姉妹のように
ふんわりふくれて香ばしいパンのように
涙の詩を
笑いの詩を
ねむりの詩を
手にとって食べられる詩を
生命に酔える詩を
あなたがひとり散歩にでかけるとき
ポケットにすべりこませてゆける詩を
病床で口ずさめる詩を
石を割りつつうたえる詩を
あまりにも身近なので、読む人が
活字やインクのへだてを忘れ
空気のように呼吸し
血となり肉となり
生きる力となり
死のまぎわに ふと魂によびかけて
やさしく見送る
詩を書きたいそんな詩集を ひとりでも多くの人に 届けたい
志樹逸馬詩集「わたしはこんな詩が書きたい」

わたしが敬愛する詩人のひとりが志樹逸馬さんです。
わたしにとって志樹さんは言葉通りの詩人です。
存在して「ことば」を最も身近なところに置いてくれる人です。
でもその身近というのは、身体の近くという意味ではありません。
心の、志樹さんのいう魂のすぐ近くに「ことば」を置ける人です。

初めて志樹さんの詩集を読んだ時に、何が起こったかは分からないけど、号泣して、何度読んでも号泣しました。理由はわかりません。
でも、確かなことがひとつあるとするなら、本当に心のすぐ近くに「ことば」を感じたのです。

わたしたちは言葉を持っています。たくさんの言葉を。
でも、志樹さんの「ことば」とは違うように思います。
知識としての常用としての言葉ではない、魂のすぐ近くに置くことができる「ことば」を持っているのではないかと思います。
これから志樹さんの詩をご紹介できればと思います。

今日もよい一日を。

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