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【小説】バックステージ

空の向こう。

禍々しいほど真っ黒な雲が勢力を伸ばし始めた。

時おり光っては、ゴロゴロと雷鳴が響く。

まるで世界という獣が喉を鳴らしているようだ。

もうすぐ夕立が来る。

§

 降り出した雨に俺は顔をしかめながら、アクセルを開ける。街の通勤には車よりバイクの方が便利がいい。電車にも、特にバスには乗りたくはない。とはいえ難儀するのは、こんなゲリラ豪雨の日だ。この程度の雨ならフルスロットルでいける。俺はスピードを上げ帰路を急いだ。

 気付けば雨雲は空一面に広がり、辺りは暗さを増していた。最近の車は暗さに反応し点灯するオートライトを搭載している。対向車のライトは持ち主の意図に関係なく光り、雨を反射させ容赦なく道路の白線を消した。もうどこがセンターラインかも分からない。

 街から郊外の住宅街へ抜けるには、途中で田舎道を走らなければならない。道はいつしか一本道になっていた。風景が田舎のそれっぽさを増すほど、顔にあたる雨も痛みを増してきた。

「こんな事ならシールドを持ってこりゃ良かった」

 雨の日はヘルメットに脱着可能な雨よけを使っていた。3 点ボタンでパチンと止まる。だから急な雨が降れば、俺の顔は雨ざらしになる。バイクのスピードと雨の強さに比例し、顔には痛みが走る。

「そろそろ……」

 雨の激しさを顔で感じた俺はバイクのスピードを緩めようと思った。それにもうすぐカーブに差し掛かる。

§

 カーブを抜けてしばらくした所に古びた商店がある。今はもう営業していないその店の入り口には、大きめの緑のテントが張ってあり、自販機だけが稼動している。周囲には昔ながらの古民家がちらほら。この辺一体を抜ければ閑静な住宅街となる。

 雨脚が強くなってきたので、これ以上はシールド無しでは運転できない。俺はその商店で雨宿りをすることにした。

 スマホのお天気アプリで雨雲の流れを確認しながら、自販機でコーヒーを買った。夏の日とはいえ、雨に打たれた後なのでホットを買いたかったのだが、そこには青一線。「夏でもホットを用意しておけよ」と苛立ちながら、プルタブを起こした。

 パキッと軽いアルミの音がする。それと同時に、俺はビクッとした。

「雨宿りですか?」

 左隣に女の子が立っていた。

§

 年齢的に20代前半だろうか? 比較的、若そうな女の子が空を見上げていた。雨の音にかき消されてか、いつの間にかそこにいた少女に急に話しかけられ、俺はついつい驚いてしまった。少女は俺のその様子にクスクス笑いながらこう言った。

「ひどい雨ですね。止むかしら?」

「あー、雨ね……止めばいいっすね」

 咄嗟の事だったので大した返事を返せなかった。それよりもさっきの自分の驚いた姿を見られた事が恥ずかしくて、そればかりを気にしていた。

「ごめんなさい。驚かせてしまいましたか?」

「え? あぁ……うん。いつからそこにいたんですか?」

 少女は何も答えず、漏らすような声で「うふふ」と笑っただけだった。そして驚いたのは彼女の気配だけではない。

「その格好……」

「あ! これ? 可愛くないですか?」

「ロリータだよね?」

「よくご存知で」

 そう言うと少女はまた笑った。

 かぼちゃのように膨らんだスカートにはレースが施され、厚底から顔を出したストッキングにはガーターベルトが繋がり、背中には大きなリボン。彼女は、雨の日にまるで似合わないロリータファッションをしていた。

 明らかに世代違いの女の子。それも稀有なファッションをしている。この後、何となく気まずい空気になるであろう事を察した俺は、口に含むコーヒーの量を多くした。この時はさっき買ったそれがホットじゃなくて良かったと思った。

§

 コーヒーが無くなる頃、自分の気持ちとは裏腹、雨はまだ止まずにいた。俺は仕方なく、空きかけた缶を灰皿代わりに煙草を吸おうとした。

 口に咥えた煙草は少し雨で湿ってはいたが、火が着けば問題ない。吸う度に火の温度で乾くだろう。俺は親指でライターのフリントホイールを回した───着かない。

 服の濡れていない箇所を探してライターを拭いてみたりと、何度か試みたが火は着かなかった。

「火……着きません?」

「え? あ……うん。着かないっすね」

 俺は愛想笑いをしながら、仕方なく咥えた煙草を箱に戻した。間を持たせたかったというより、会話を避けたくて煙草で口を塞ごうとしたが、それも叶わず。少女も俺の心情に反して話しかけてきた。

 遠くから救急車がサイレンの音階を変えながら近付いてくる。雨の日の静けさに、それだけがけたたましく聞こえ、余計に俺を焦らせた。たまらず今度は俺の方から少女に話しかける。

「ゴスロリはしないの?」

「え!?」

 俺の方から話しかけたせいか、彼女は驚いた様子だった。

「ピンクが好き? ほら、ロリータは白とかピンクでしょ? ゴスロリはしないのかなって」

 ロリータファッションには種類がある。

 白やピンクを基調とし、フリルやレースをふんだんにあしらったお人形さんの様な、オーソドックスなそれに対し、黒を基調とし、骸骨や十字架などゴシックの要素を取り入れたゴシック・アンド・ロリータ。それは通称『ゴスロリ』と呼ばれる。

 少女の着ていたそれがピンクだった事から、俺はとりとめのない質問をした。

「ピンクが好きなのかなって……そっち派?」

「黒……黒も着ますよ。時と場合によっては」

 男の俺がそんなことを詳しく話すのは変だったのだろうか? 彼女は少し驚いた様子を見せ、また微笑んでみせた。

「貴方……オハラ ケンジさん?」

 次に驚かされたのは俺の方だったが、すぐにその答えが分かった。

 音楽雑誌のカメラマンをしている俺は、あるアーティストのライブツアーに同行している。今日はスタジオでのリハーサル。首からぶら下げたままだったバックステージパスを手に取り、俺は自分の名前に目をやった。

「K…E…N……間違いないですね」

 少女は俺の名前のアルファベットを順に確かめると、どこか嬉しそうに笑った。その間に俺はポケットからまたライターを取り出し、もう一度、火が着かないかを確かめていた。

「貴方……大丈夫そうですね。早く戻った方がいいですよ?」

「え? 戻るって……まだ雨が」

 俺が聞き返す前に、少女は持っていた傘を広げた。そしてそれを肩に乗せると、俺の方へ振り返ってまた微笑んだ。

「私、そろそろ次のお迎えに行きますね?」

 迎え? 一見、若く見えたが子どもでもいるのだろうか? そんなことを考えている間に、少女は歩き出そうとしたので、俺は咄嗟に彼女に言った。

「まだ雨が降ってるよ!? それ日傘じゃないの!?」

 彼女は振り返るとこう答えた。

「私……雨に濡れたこと無いんです」

 そしてまたニッコリと微笑んだ。

「あ……」

 その瞬間、ライターに火が着いた。

 ライターから目を戻すと少女の姿は無かった。そして少女とは別に、向かってきたトラックのライトに俺は目が眩んだ。

§

 眩んだ目を開ける───見えたのは白い天井だった。

「兄ちゃん!」

「痛っ……」

 聞き慣れた声に目をやると同時に、全身に激痛が走った。そこには白いカーテンを背にした弟がいた。

「ちょっと待ってて! お母さん呼んで来るから!」

 弟はそう言うと、シャッと勢いよくそのカーテンを開け飛び出して行った。

「病院……」

 見慣れない景色のはずだが、俺は自分がどこにいるかは分かった。

 後々、聞いた話によると、俺はあの雨の中、カーブを曲がる際にスリップし転倒したらしい。そしてセンターラインをはみ出した俺の体は、運悪く向かってきた対向車のトラックと衝突。不幸中の幸いか、俺の体より先にバイクがトラックにぶつかったので、どうやら一命をとりとめる事ができたのだという。

§

 ケンジの住む街より遠いどこかの街のどこか。女子高生が話をしていた。

「なぁなぁ、昨日の都市伝説見た?」

「うわ!しもた、見逃したわ!どんなんやったん?」

「何か死神って雨に濡れへんらしいで」

「何それ(笑)?」



追記

下記にて、あとがきを書いています。合わせて読んで頂けると幸いです。




 

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