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呆気あった。

先日、父が亡くなった。

新型コロナウイルス襲来により崩れた日常は経済的な圧迫を除けば、僕らにとってはそれほど悪いものではなかった。
僕らには家にやることがあったし、家でやれることがあった。

このnoteもそうであるが、それらのことをやり始めた矢先に父、危篤の知らせが入ったものだから新たに試みようとしていた日常もさっくり崩れたというか中断する形となった。

4月22日。僕らは車を実家のある神戸の病院へ向けて走らせていた。
父が入院した病院も面会禁止であったが、父に関しては家族だけは入室を許可して貰えていた。
駆けつけた時、父の容体は少し安定していた。父の目は大きく開かれ、何かを訴えていたのか、見えない何かを見ていたのか僕にはわからなかったが、物心ついてから最も近い距離で父と向かい合った瞬間自然と涙が溢れた。
母も妹も弟もトキロックも最期まで耳は聞こえてるからと父に話かけ、涙を流した。
この流れで息を引き取れば、なかなかの感動的な引き際となっていたのだが父は家族が集まったことで何かを感じ、気を良くしたのか、その夜は亡くなる気配を見せなかった。

翌日は母の誕生日であった。僕はほのかに父はこの日を自分の命日にするのではと思っていた。
祝福とお悔やみを同時に持ってくることで感情の起伏のバランスを取らせるという父の最期の気遣いと捉えて父の死を待っていたのだが一向に訪れる気配はなかった。
ダウン症の弟が母の誕生日会をサプライズでしたいと言うので、僕が病室に母の夕食と一片のケーキ、お祝いメッセージを持って行った。
LINEのビデオ通話で実家にスタンバイしたケーキのロウソクに火を点け、バースデーソングを歌い、母が吹いたタイミングで孫(妹の子供達)がロウソクの火を消すというオンラインパーティーを開催した。母がとても喜んでいたので、面倒くさいなと思いながらもやって良かった。

母は甘いもの好きな父に生クリームを舐めさしたがっていた。先日も先生にカステラを食べさしたらダメでしょうか?と言って、構わないですけど、また誤嚥性肺炎を起こして苦しませることになりますよと言われたばかりなのに、、、。
母は自分が食べることが好きな故、どうしても父が好きだったものを最期食べさせたいという想いが強いみたいだ。
僕としては母が生クリームで父にとどめを刺すのも悪くないとも思ったが、生クリーム殺人事件を妹は受け入れれないのではないかと思い直し母の欲望を制止した。結局、父は母の誕生日には亡くならなかった。

翌日、先生に延命措置を取らず、このまま出来る限り苦しまないように、父の体力に沿う形で看取らせて貰いたいという思いを再度伝え、三密にならないようにということで僕と妹と母とで交代で父に付き添うようにした。

父の妹さんも面会出来ないのでビデオ電話で父と繋いだ。僕が話しかけてもほとんど反応することなかった父が妹の声が聞こえたのかパッと目を開き何か言おうとしてるのか口を動かそうとしたのには驚いた。

ここから父が亡くなるまでの数日は何とも言えない不思議な感覚の時間であった。
父は苦しんでいるようには見えなかったが、明らかに陽気ではないことだけはわかった。
僕はそんな父に早く楽になって欲しいと思っていた。
それは言い換えれば早く死んで欲しいということにもなり、冷酷な息子だなと思えなくもないが、実際、父さん、死なないで!出来る限り長生きして!とはその父の姿を前に言う気にはなれず、僕らはただただ父の死を待ち、父も自分の死を待っているとしか言いようのない時間であった。

病院側も危篤当初、持って三日くらいという話をしていたので、付き添いを許可してくれていたが、このコロナ事情の中で徐々に毎晩付き添わなくても大丈夫ですよ(付き添わない方が病院としても助かります)という空気に変わってきたこともあり、最終的に危なくなったら電話してくださいというスタンスに切り替えた。
母は父の死に目に会いたいという思いが当然ながらあり、出来ればそうさせてあげたいなと思っていたが母の体力とも相談しながら、毎日、10分程度の面会には行っていたのだが、父は良くも悪くもない状態のまま生き続けていた。

僕ら家族もその状態に慣れてきて、今日も父さん元気だったよ。という会話がなされるくらいになり、押入れに閉まってあったアルバムを引っ張り出したりして、父が急にパンチパーマにして帰ってきた時の衝撃的な写真など見ては爆笑しながら過ごしてるうちに、油断というか少し気が抜けたのと疲れも相まり、今日は行かなくてもいいかなと5月1日は誰も病院へ行かなかった。

その翌日、早朝4時40分頃に電話が鳴った。鳴った瞬間病院からだとわかった。
急いで皆で病院へ向かったが、着いた時にはもう息を引き取った後だった。
まだ体はあたたかかく、目も口も開いたままで、父さん、もう少し穏やかな顔で死ねないものかね と思ったがそんな都合良くはいかないもののようだ。
先生がやってきて正式に死亡を確認し、初めて生の「ご臨終です。」を聞いた。

10分ほどの病室で名残を惜しむ時間を頂いた。母に促され般若心経を皆で唱えた。僕は惜しむべき名残を早々に使い果たし、僕ら家族はこのご時世に随分と贅沢に父を看取ることが出来たことに異様に感謝していた。

世間的には身内の不幸というカテゴリーに属す出来事であるが、今回の一件は父にとっても僕らにとっても幸せに値する時間(誰も新型コロナウイルスに感染していなければ、させていなければ)であったように思える。

何せ父の死は僕らが待ちわびる程、十二分に呆気あるものだったのだから。

GD






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